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自分らしく振る舞う

タイトルの通り、私は自分らしく振る舞うことを大切にしている。それは浅いながらも22年間生きてきて、導き出したある種の処世術と言えるかも知れない。

とはいえ、22年間の大半は周りに迎合して自分らしさを隠してきたことが多かった。なぜならその方が当たり障りがなく、誰からも嫌われることがないからだ。なぜ私は自分らしさを隠してきたのかを告白する。

オタバレして距離を置かれた話

私は大学2年の頃、新しいサークルに入ろうと思いスノボーサークルの新歓に足を運んだ。所謂陽キャの集まりで、場は結構盛り上がっており私もそのノリに合わせて楽しんでいた。その中で隣にいた女の子に趣味を聞かれ、私は素直に「最近ラブライブ(少女アニメ)にハマっていて、ライブもよく行ってますねー」と答えた。

すると、女の子はお手洗いに行ってくると一言残し、戻ってくることはなかった。他に要因はあるのかも知れないが、恐らくオタバレ(オタクであることがバレる)した結果、遠ざけられてしまった...笑。当時この経験は強烈で今まで以上に周りと違う存在になる、つまり自分が素直に自分らしく振る舞うことを一切やめようと思った。

本音を必死に隠す就活

その翌年、就職活動をする時期がやってきた。当時の私は何も考えていなかったので、大して興味のない会社も片っ端から受けていた。当然嘘がバレたくないから必死に武装するが、大抵見抜かれて落ちる。ただ奇跡的にこんな自分を採用してくれる企業があって内定は獲得した。自分らしさとはかけ離れた違和感のある就職活動だった。

転機

そんな私に自分らしく振る舞って生きていこうと決意させる転機が訪れる。ヨーロッパ一人旅だ。どこに行っても周りを気にせず自分らしく振る舞う人が日本に比べて圧倒的に多い。例えば、ドミトリーに泊まれば寝てる人がいるのに大声で電話する人がいるし、レジに行けば客である私に構わず同僚とお喋りするし、自分の政治思想や哲学を語ってくる人がいたり、ベッドで寝転がってる私に急に食事に誘ってきたり、周りを気にせず振舞う人が多いように感じた。

自分らしく、素直に

これらの経験から、周りにどう思われてもいいから自分らしく生きることを決意した。つい先ほど養老孟司先生の『ヒトはなぜ、ゴキブリを嫌うのか?』という本を読んでいたが、ヒトは本来、予測不可能な"自然"なんだと主張されていた。本来的に予測不可能な自然に対して予測可能であることを強いる都市の性格の話は興味深かった。

話が逸れたが、とにかく周りを気にせず自分らしく振る舞い、予測不可能なことも織り込んで生きることが大事なのではないか? 

ラブライブ好きを隠し通すよりは、素直に告白する方がよっぽど健康的だし、それで嫌われてしまうくらいならそれまでのことだと割り切る。就職活動も嘘が通って内定が出てしまうことに大きな違和感があったため、その後は基本相手が誰であろうと本音ベースで語ることは意識している。

そんなの当たり前だよ、今更なに陳腐なこと言ってんの?と思われるだろう。ただ、私は頭ではなく、上記のように身をもって経験してきたからこそ、その大切さが分かる。

時には周りの人から嫌われるかも知れないが、自分の信念とどちらが大事なのか?という話になってくる。今のところ、幸いにも自分らしく振舞っても支障なく健康に生きられている。今後この考えは変わるかも知れないが、暫くはこの心持ちを続けていくだろう。


というのも、一度素直なまま

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