私はサイコパスではないのか?
サイコパス社長に出会い、逃げるまでの100日間の話【第二章】にも記載した通り、私は物静かな方です。コミュニケーション能力もあまりありません。
ですが、本物のサイコパスの意味を知らない人からしてみれば私も同類で、周囲の人からしてみれば私は元々サイコパスだったのです。
なぜ私はサイコパスのような位置づけであったのか。自分語りです。
サイコパスについては知らなかった
そもそも、この社長に会うまで私は“サイコパス”と呼ばれる反社会性パーソナリティ障害のことについて無知でした。
【第四章】で話した通り、キーワードとしては聞いたことがある程度で、単に危険な人のことを指す総称だと思い込んでいた程度でした。
友達が私を仕事に紹介した時点では、まだサイコパスはあまり裏の顔を出していなかったようです。
元々「言っておくが、癖がある人だ」。とだけは伝えられていました。(内容としては、物事に対する拘りが多い等だったと思います)。
直感で、私なら大丈夫だろうと思ったところがあったのだと思います。
私も「癖?」といった程度であり、癖がある人というのがイメージできませんでした。
しかし私も友達も考えが甘かった。人と関わることがそんなに得意な方ではないことも仇となったのか、世の中の危険人物を知らなさすぎました。
後々になって本当のサイコパスの危険性を知りました。
どの程度インターネットを網羅したのかはわかりませんが、友達の一言でサイコパスの意味を知ることになります。
そう言えば昔は私がサイコパスのような扱いだった
私が学生の頃に教師から言われていた内容の多くはこうでした。
・何を考えているかわからない
・自分のことをほとんど話さない
・賢そうに見えるのに成績が悪い。頭が悪い人を装っているのか
・家で普段何をしているのか。なぜその内容がこたえられないのか
・周囲に解け込めていない
・友達をつくらないのはなぜなのか
・あなたに合う友達は見つからないだろう
これらのことを三者面談で毎年のように話されたり、高校の頃は部活動の先生がこのことについて卒業間近に4時間かけて私に説教を行いました。
「ここまで人のことが最後まで読めなかったのは、あなたが初めてでした」。とまで言っていました。
この項目の並びだけを今見ると、
「まるで私がサイコパスのようではないか?」ということに最近気づいたのです。
サイコパスと私の違いについて
友達が何度も心理学博士のように登場しますが、友達は私とサイコパスがまったくの別の人間であるということはわかってくれているようでした。
①人の気持ちがわからない
サイコパスの場合は他人の気持ちがわからないため、自分が気持ち良くなるためだけに罵倒したり、様々なものを支配します。
私は罵倒などをする勇気が無いのですが、それ以前に支配したいと思うほど人に興味がありません。
②嘘をつく
嘘をつくと辻褄が合わなくなってくるはずなので、嘘をつくのが得意ではありません。
ですがサイコパスはそれをいとも簡単にやってのけます。
③生き物の死に対する考え方が安易
サイコパスは自分が死のうが、人が死のうがお構いなしといったところです。何なら死後のことを考えていました。
私にはそれは無理です。悲しいので、できることなら死に対してすぐに気持ちを切り替えて行ける前向きな人になりたいです。
自分がターゲットになって初めてわかる
やはり本物のサイコパスに出会い、サイコパス の裏側を知ると、普通の人との違いに気づくことは可能であったと思います。
ですがほとんどの人がサイコパスには関わったことが無いようです。
サイコパスの割合について掲載している情報を確認したところ、100人に一人、250人に一人と、掲載内容が定まっていませんでした。
例えばサイコパスに出会ってもターゲットの対象にならない可能性もあります。
もしくは他の人がターゲットになり、無意識のうちに自分自身は免れた場合も考えると、サイコパスであると気づく確率はかなり少ないのではないかと推測しています。
そんな中で私と友達は、なぜこんなハズレくじ(おっと失礼)を引いてしまったのかということについて、仕事を辞めてから数か月間考えていました。
そこで友達がまた興味深い、新たな情報を見つけたようです。
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