POLA WE/

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POLAが発信する企業文化活動WE/の公式アカウントです。WE/がなければ決して出会わなかった「表現者と読者」の二人を結びつけることで、思いがけない発見や、そこから生まれる新たな美を共につくる活動=Meet Upをお届けします。https://bit.ly/317RzGF

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POLA「WE/」の公式note、はじめました

はじめまして。POLA「WE/」編集部です。 このたびWE/では、POLA初の公式noteを始めました。 新しい場所での新しい出会いのための、新しい試みです。 この記事では、みなさまとの出会いのご挨拶とともに、「そもそも『WE/』とはなにか」「noteではどんな記事を公開するのか」についてお伝えします。 「WE/」とは「WE/」は、POLAが2017年に創刊した冊子版の『WE/』からスタートした、企業文化活動です。 POLAが「美」を扱う企業として大切にしている「美しい

    • 好きなこと、これまでの経験、すべてが研究のヒントになる|近藤千尋 #4

      ポーラ「WE/Meet Up」主催の、たった一人のゲストを招待する特別な場。今回のホストは、ポーラ・オルビスグループのリサーチセンターに所属する研究員・近藤千尋さんです。近藤さんは、国内外を飛び回って「美」に関する情報をボーダレスに収集する、通称「ぶらぶら」研究員。ポーラ化成にて基礎研究の第一線で活躍した後、現在のキュレーションチームのリーダーに就任しました。そんな彼女の元を、バイオ系の研究をしている大学院生のゲストが訪れます。研究者として、そして人生の先輩でもある近藤さんに

      • 一歩前に進むということは、自分の奥に向かっていくこと|窪塚洋介 #4

        ポーラ「WE/Meet Up」主催の、たった一人のゲストを招待する特別な場。今回は窪塚洋介さんのもとを、ポーラの池端 慶(いけはた けい)さんが訪れました。池端さんは、従来の枠組みを超える美しく斬新なプロダクトデザインをしているデザイナーです。俳優とデザイナー。この異色の組み合わせの二人の間に、どんな対話が生まれるのでしょうか。 窪塚洋介 1979年5月7日生まれ。神奈川県横須賀市出身。1995年に俳優デビューし、映画を中心に舞台でも活躍。2017年にマーティン・スコセッシ

        • 年齢なんてただの数字。今を楽しめば、年を取らなくなる|窪塚洋介 #3

          2017年に公開されたマーティン・スコセッシ監督の『沈黙 -サイレンス-』で、重要な役を演じた窪塚さん。オーディションで役を勝ち取ったことにより、新たな俳優活動の道が拓けたといいます。海外作品を演じることの醍醐味、難しさはどんなところにあるのでしょうか。年齢によって積み重なる経験、そして広がる表現の幅。最近では、「白髪が増えた」なんていう変化を感じることもあるのだとか。そんな窪塚さんに年を重ねて変わっていくこと、未来の捉え方についてうかがいました。 窪塚洋介 1979年5月

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        • 好きなこと、これまでの経験、すべてが研究のヒントになる|近藤千尋 #4

        • 一歩前に進むということは、自分の奥に向かっていくこと|窪塚洋介 #4

        • 年齢なんてただの数字。今を楽しめば、年を取らなくなる|窪塚洋介 #3

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        • vol.9 近藤千尋
          4本
        • vol.10 窪塚洋介
          4本
        • vol.8 龍崎翔子
          4本
        • vol.7 廣川玉枝
          4本
        • vol.6 清水淳子
          4本
        • vol.5 tofubeats
          4本

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          「0」であるようにしている。だから、100にもマイナス100にも行ける|窪塚洋介 #2

          テレビドラマや映画へ立て続けに主演していた時期にも、「自分はメインストリームの役者ではない」と思っていたという窪塚洋介さん。2004年の転落事故を経て音楽活動を始め、そして近年では海外作品にも出演し、俳優としての実力が認められています。しかし、その活動を知らない人からは「『池袋ウエストゲートパーク』のキングみたいな役をやってほしい」と言われることも。そんなときは、どんな気持ちなのでしょう。窪塚さんの俳優という仕事に対する姿勢についてうかがいました。 窪塚洋介 1979年5月

          「0」であるようにしている。だから、100にもマイナス100にも行ける|窪塚洋介 #2

          母、父、芝居の師匠。いくつもの出会いが、自分を俳優にした|窪塚洋介 #1

          10代の頃から俳優として活動し始め、2000年代初頭のテレビドラマや映画で鮮烈な印象を残した窪塚洋介さん。2004年以降は映画や舞台をメインの活動の場とし、2017年にはマーティン・スコセッシ監督の『沈黙 -サイレンス-』でハリウッドデビューも果たしました。年を重ね、活動の幅を広げている窪塚さんに、今回は人生を変えた出会い、そして大事にしている家族のことについてうかがいました。 窪塚洋介 1979年5月7日生まれ。神奈川県横須賀市出身。1995年に俳優デビューし、映画を中心

          母、父、芝居の師匠。いくつもの出会いが、自分を俳優にした|窪塚洋介 #1

          宇宙からファッションまで。世界中の「美」を集める仕事|近藤千尋 #3

          ポーラ・オルビスグループのリサーチセンターに所属する研究員・近藤千尋さんは、キュレーションチームのリーダーを務めています。このチームの仕事は国内外を「ぶらぶら」すること。研究開発に限らずさまざまなジャンルの情報を集めることがミッションです。世界の「美」について情報を収集し、美とは何かを考えてきた近藤さんがいま注目していることとは何でしょうか。そして、美の範囲が広がっていく将来において、化粧品会社が果たす役割とは。 近藤千尋(ポーラ・オルビスグループ リサーチセンター 研究員

          宇宙からファッションまで。世界中の「美」を集める仕事|近藤千尋 #3

          大学の研究に挫折した私を、会社のチームが救ってくれた|近藤千尋 #2

          ポーラ・オルビスグループのリサーチセンターに所属する研究員・近藤千尋さんは、数年前まで美白研究の最前線でバリバリ研究をしていました。しかし、根っからの理系人間というわけではなかったそう。本を読んだり、美術館に行ったり、映画を観たりと文化的なことが好きだった近藤さんは、迷いながらも大学で薬学部に入ります。しかし、そこで大きな挫折を味わうことに。ポーラで皮膚の研究に出会ったことで救われたという近藤さん。そこに至るまでの過程をうかがいました。 近藤千尋(ポーラ・オルビスグループ

          大学の研究に挫折した私を、会社のチームが救ってくれた|近藤千尋 #2

          世界中を「ぶらぶら」するのが私たちの仕事。異色の研究員現る|近藤千尋 #1

          今回『WE/ Meet Up』に登場するのは、ポーラ・オルビスグループのリサーチセンターに所属する研究員・近藤千尋さんです。ポーラの研究員というと化粧品の開発をしているイメージが浮かびますが、彼女のチームの仕事は国内外を「ぶらぶら」すること。美容、化粧品に限らず、あらゆるジャンルの情報をボーダレスに収集し、ポーラの研究の未来を考えています。そんな近藤さんはこれまでどんな研究をし、ぶらぶらするに至ったのか。最初はそのお話をうかがうことにしました。 近藤千尋(ポーラ・オルビスグ

          世界中を「ぶらぶら」するのが私たちの仕事。異色の研究員現る|近藤千尋 #1

          初めての場所、知らない道。見たことのない京都をZINEにする|龍崎翔子 #4

          ポーラ「WE/Meet Up」主催の、たった一人の読者ゲストを招待する特別な場。今回は、HOTEL SHE, KYOTOなどを運営するホテルプロデューサーの龍崎翔子さんがホストとなり、ゲストとチェキを片手に京都の街をめぐります。そして撮った写真、聞いた話をもとにZINEを制作します。京都に住んでいた龍崎さんと、京都が大好きで何度も訪れているゲスト。その二人が新しく発見する京都の魅力とは。そしてコラボレーションで生まれる世界で一つのZINEは、どんなものになるのでしょうか。

          初めての場所、知らない道。見たことのない京都をZINEにする|龍崎翔子 #4

          ホテルはメディアであり、ドラマティックが溢れている|龍崎翔子 #3

          ホテルプロデューサーの龍崎翔子さんは、北海道の富良野と層雲峡、神奈川県の湯河原、京都の東九条、大阪の弁天町にそれぞれコンセプトの違うホテルを作り、運営しています。19歳で始めたホテル事業。それから5年経ち手がけるホテルの数も増えた今、龍崎さんはいま「ホテル」というものについて、どう考えているのでしょうか。「ライフスタイルの試着」「広告装置」など、単なる宿泊施設ではないホテルの可能性が、龍崎さんのお話を通して見えてきます。 龍崎翔子(L&G GLOBAL BUSINESS,

          ホテルはメディアであり、ドラマティックが溢れている|龍崎翔子 #3

          その街にしかないたった一つのホテルを創り出す、龍崎翔子の頭の中|龍崎翔子 #2

          弱冠23歳にして、5つのホテルを運営しているホテルプロデューサーの龍崎翔子さん。龍崎さんのつくるホテルはどれも、街の空気感を端的に表現するコンセプトが設定されています。ホテルのあるべき姿について、子どもの頃から考え続けてきた龍崎さん。研ぎ澄まされた思考から、その土地、その宿にぴったりなコンセプトが出てくるまでの過程を、取材場所でもある「HOTEL SHE, KYOTO」を例にうかがいました。 龍崎翔子(L&G GLOBAL BUSINESS, Inc.代表/ホテルプロデュー

          その街にしかないたった一つのホテルを創り出す、龍崎翔子の頭の中|龍崎翔子 #2

          納得できるホテルがなかった。だから自分で作った|龍崎翔子 #1

          子どもの頃からホテルをつくることに憧れ、東京大学在学中に北海道・富良野のペンションを買い取ってホテル事業を始めた龍崎翔子さん。今では弱冠23歳にして、北海道は富良野と層雲峡、神奈川の湯河原、京都、大阪と5つの地域でホテルを運営しています。龍崎さんのつくるホテルは、どれもその街の空気を反映した世界観が貫かれ、唯一無二の魅力にあふれています。今回は最近リニューアルした京都のホテル「HOTEL SHE, KYOTO」を訪れ、龍崎さんがホテル経営を始めたきっかけ、すでにプロデュース力

          納得できるホテルがなかった。だから自分で作った|龍崎翔子 #1

          デザインは楽しく、自由で、みんなに開かれている|廣川玉枝 #4

          ポーラ「WE/Meet Up」主催の、たった一人の読者ゲストを招待する特別な場。今回は、ファッションデザイナーの廣川玉枝さんがホストとなり、ゲストにデザインの楽しさを伝えます。舞台となるのは、なんと日本酒のコンセプトショップです。廣川さんがデザインした着物ドレス、特注でつくられた酒器、繊細な料理……デザインに囲まれた和室で、廣川さんと一緒にファッションデザインを体験する。そこではいったい、どんな服が生み出されるのでしょうか。 日本文化を存分に味わえる空間で 今回訪れたのは

          デザインは楽しく、自由で、みんなに開かれている|廣川玉枝 #4

          人と力を合わせることで、自分の枠を超えたクリエイションが生まれる|廣川玉枝 #3

          2006年にブランド「SOMARTA」を立ち上げた廣川玉枝さん。デザインの技術はあるけれど、ビジネスの経験はありません。服作りに夢中で売ることにまで頭がまわらなかったという廣川さんを、1通のメールが救います。そして、近年の廣川さんの活躍は、SOMARTAのデザインだけにはとどまりません。学校の制服にオペラの衣装、車椅子、はてはロボットまで。おもしろそうなチャンスがあれば果敢に飛び込んでいく廣川さんのデザインは、ファッションの領域を軽やかに超えていきます。 廣川玉枝(SOMA

          人と力を合わせることで、自分の枠を超えたクリエイションが生まれる|廣川玉枝 #3

          皮膚がそのまま服になったら? 最新の技術で「組織」を編み込む|廣川玉枝 #2

          文化服装学院を卒業し、イッセイ・ミヤケに就職した廣川玉枝さん。企業のデザイナーとして修練を積んでいるうちに、自分のブランドを立ち上げたいと思うようになります。廣川さんがどうしても作りたかったのは「皮膚の服」。「Skin Series(スキンシリーズ)」として世に出た無縫製ニットの斬新な服は、レディー・ガガなどのセレブリティを魅了し、2017年にはMoMA(ニューヨーク近代美術館)にコレクションとして収蔵されました。廣川さんとニットとの出会い、そしてSkin Seriesを開発

          皮膚がそのまま服になったら? 最新の技術で「組織」を編み込む|廣川玉枝 #2