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母、父、芝居の師匠。いくつもの出会いが、自分を俳優にした|窪塚洋介 #1

10代の頃から俳優として活動し始め、2000年代初頭のテレビドラマや映画で鮮烈な印象を残した窪塚洋介さん。2004年以降は映画や舞台をメインの活動の場とし、2017年にはマーティン・スコセッシ監督の『沈黙 -サイレンス-』でハリウッドデビューも果たしました。年を重ね、活動の幅を広げている窪塚さんに、今回は人生を変えた出会い、そして大事にしている家族のことについてうかがいました。

窪塚洋介
1979年5月7日生まれ。神奈川県横須賀市出身。1995年に俳優デビューし、映画を中心に舞台でも活躍。2017年にマーティン・スコセッシ監督作「Silence -沈黙-」でハリウッドデビューを果たし、海外にも積極的に進出。今冬にはBBC×Netflix London連続ドラマ「Giri/Haji」が配信される。邦画では「最初の晩餐」(監督:常盤司郎)が公開中のほか、「みをつくし料理帖」(監督:角川春樹)などの待機作がある。レゲエDeeJay”卍LINE”として音楽活動を行う他に、モデル、映像監督、カメラマン、執筆など幅広く活動中。

父親が撮った「イモい」写真が、芸能界に入るきっかけに

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――お仕事でもプライベートでも、これまでにたくさんの出会いがあったと思います。その中でも、窪塚さんの人生に影響を与えた出会いとはどんなものなのでしょうか?

人生で最初の出会いといったら、母ですよね。お腹の中から出てきて、初めて会う人ですから。しかも、母がこの仕事に就くきっかけをつくってくれたようなものなんですよ。

――お母様が芸能関係のお仕事をされていたんですか?

いやいや、そんなことはなくて。親父も普通のサラリーマンだったから、両親とも芸能関係というわけではありませんでした。でも、なんとなく日々の中で母親がそそのかしてきてたんですよね、「あんた、そのうち芸能界入っちゃうんじゃないの」って。

――今考えると、予言のようですね。

そんなに確信があったわけではないと思うんですけどね。軽いノリっていうか、ミーハーな気持ちで言ってたところもあったと思うんです。でも、その掌の上で俺がまんまと踊ってしまって、そこから芸能人になることに興味を持ち始めました。
そうしたら中学3年のときに、母の知り合いが芸能事務所の社長さんを紹介してくれることになったんです。

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――ご縁があったんですね。

それで、その事務所に送るための写真を撮ることになったんですけど、宣材写真なんか撮ったことないので、どう撮ったらいいかわからなくて。地元が横須賀なので、とりあえず海に行って、制服で写真を撮ったんですよ。どんな感じの写真だったか今でも覚えてる。曇りの日だったな。

――中3の窪塚さん、どんな感じだったのか気になります。髪型は?

わりと短くて、今と近い感じでしたね。でも、ブランド物なのか、もしかするとブランドのパチもんみたいなグレーのセーターを着てて、今思うとすごくイモい写真だった。「エモい」ならいいんだけど、だいぶ「イモい」(笑)。

――見てみたいです(笑)。誰が撮ってくれたのでしょうか。

親父です。だから、母がいて、父がいて、あの2人のもとで生まれて、母親の知人に紹介してもらったことで芸能界への扉が開いた。だから、俺が生まれる前の出会いも、そこにつながっているわけなんですよね。

即興劇で、芝居の基本を叩き込まれた

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――芸能人といってもいろいろな仕事がありますが、俳優を選ばれたのはどんなきっかけだったのでしょうか。

紹介してもらった事務所が、俳優事務所だったんですよ。これがタレントさんやモデルさんの事務所だったら、また違う道がひらけていたかもしれません。そこは、有名な俳優が所属しているというわけではなかったけれど、役者を育てる意志があるところでした。タレントでも歌手でもない、俳優になるんだという自覚を、その事務所に入った時点で叩き込まれた気がします。

――俳優を育てるというのは、レッスンなどをしてくれるのでしょうか。

そう、ここにも出会いがあります。その事務所に所属する、少し年配の女優さんが演技指導としてついてくれたんです。で、1年くらいみっちりマンツーマンレッスンを受けていました。

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――どんなことをやるのでしょうか。

一番大変だったのはエチュードですね。設定を与えられて、即興で演技をする。最初は室内でやってたんですけど、途中から外でやるようになって。「外行くよ」って言われたときは「え、それやばくない?」と思いました。だって外でいきなり芝居始めたら、完全に変な人じゃないですか。喧嘩の芝居とかだと大声も出しますし。

――居合わせたら、ぎょっとしそうです。外って、例えばどんなところでやるんですか。

公園とか。もう恥ずかしくて。

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――中学3年で事務所を受けたということは、まだ16歳くらいですもんね。設定ってどういうものなんですか?

江戸時代の人が、目を覚ましたら現代の公園にタイムスリップしてきた、とか(笑)。いきなり「そこに寝っ転がって」と言われて、女優さんはその場から離れて見てるんですよ。俺はそれをわかっていて、一人で演じなきゃいけない。人が来るとマジでテンパるし。でもそれを1年やってたら基礎が身についたし、演じることに対して度胸もつきました。厳しかったけれど、その1年は本当にいい時間だったと思います。

――スパルタな修行でしたね。

初めて撮影現場に入ったとき、公園に比べてなんていい環境なんだと思いました。だって現場はカメラもいて、スタッフもいて、自分の芝居を待っててくれるんですから。

「パパ」と呼ばれて、父親としての自覚が芽生えた

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――その後、なにか転機となった出会いはありますか?

やっぱり最初の妻、そして子どもとの出会いですね。正直に言うと、2003年に彼女から電話で「赤ちゃんできたみたい」と言われたときは、一瞬頭が真っ白になりました。予想もしていなかったから。「ちょっと時間ちょうだい」と言ってベランダに出て数秒考えたんですけど、「いや、これは選択肢なんかない」と思って、結婚して、産んでもらいました。

――男の人はよく、父親になる心構えをしづらいと聞きます。

そうなんですよね。生まれたときも、ぶっちゃけそんなに実感がありませんでした。でも、子どもが1歳くらいになったとき、出張から羽田空港に帰ってきたら妻と子どもが迎えに来てくれていたんですよ。で、一緒に空港のレストランで軽く食事をしていたら、息子がソファシートの上でつかまり立ちして、ちょこちょこと近づいて来たんです。そして、俺の肩に手を置いてはっきり「パパ」と言った。その瞬間ものすごくドキッとして、「はい! そうです!」と返事をしそうになりました(笑)。

――自分がパパです、と(笑)。

よく、「子どもに親にしてもらう」という言い方がありますが、まさしくその具体的な瞬間でしたね。その時から、自分はこの子の父親だと明確に自覚するようになりました。

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――今はその息子さんも16歳。2012年に離婚されたけれど、息子さんと一緒に暮らしているんですよね。

息子が生まれた時は自分も20代だったし、あっという間に大きくなって、俺より背が高くなっちゃった。息子との関係は、ここからが大事な気もします。
友達みたいな親子でいたいんですけど、やっぱり親としていろいろ言いたくなってしまうところもあって。その点、前の妻は「友達みたいな親子でいたい」と言葉にすることはないけれど、直感的にそういう関係を築けている。彼女は自分と真逆のところにいる人で、付き合い始めてからくらった影響はたくさんありますね。

――しかし、真逆のタイプの方と結婚するのは大変そうですね。

20代の恋は盲目で、結婚は勢いですからね(笑)。まあ途中から修行みたいな生活が続いて、9年後に離婚するわけですけど。今でも、仲はいいんです。結婚する時に一生面倒をみると約束したことは、離婚したからって反故になるわけではなくて。そんな簡単なものじゃないですよ。彼女が再婚したら、また関係性は変わってくるかもしれませんが。

娘に会いたくて、駅から小走りで帰る

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――2015年に今の奥様と結婚されました。前の奥様も含め、家族みんなで一緒に出かけられることもあるとか。

俺がいなくても、前の妻と今の妻、子どもたちで集まったりしてるんですよね。そういうのが理解できない、という人もいると思うけど、窪塚家はそれが自然なことなんです。
息子にとって、俺と前の妻が両親だということは離婚したって変わらない。顔を合わせたら喧嘩ばかりっていうんだったら会わないほうがいいけど、そうじゃないなら家族が全員揃うのはハッピーなことですよね。子どものことを一番に思って行動したら、今の家族のかたちになりました。

――今の奥様との間には、2017年に娘さんが生まれましたね。

今回は、ゆっくり成長を見守れていると感じます。男の子と女の子の違いもあるのかもしれないし、自分に余裕があるという違いもありますね。

――娘さんは2歳。かわいい盛りでしょう。

もうね、俺の最後の恋です。早く会いたくて、たまに駅から小走りで帰ったりします(笑)。今東京に出張してるので、6日間くらい会えてないんですよ。すでにちょっと”娘ロス”です。
娘ができて初めて誰かのファンになる人の気持ちがわかりました。離れて過ごしてると、夜寝る前に娘の写真とか動画、なんでもいいから見たくなるんですよ。で、送ってもらった動画を観ると、「あーかわいいなあ」って満たされた気持ちになる。ファンって、こういう気持ちを味わってるんだなと。

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――窪塚さんは、手がけられている音楽レーベルと娘さんの名前が同じであったり、弟さんと一緒に音楽活動をされたりと、仕事と家庭の境目を曖昧にしている印象を受けます。

たしかに曖昧かもしれません。海外で仕事をするようになって、むしろ欧米ではそれが当たり前だということを知りました。そして、俺にとっては仕事と家庭を分けないほうが、居心地がいいんです。
日本だと、10年前は現場に家族を連れてくると「は?」って感じだったんですよ。まあ、俺は素知らぬふりして連れていってましたけど。海外の現場に行ったら、「家族は? まさか日本に置いてきたのか? いないといい仕事ができないだろう」と言われたんですよ。それで「あ、いいんだ」と思って家族を呼んだりしていました。

――家族あっての仕事であり、人生であるという考え方が根付いているのでしょうね。良い家族を築いていくのに大事なこととはなんだと思いますか。

根本にあるのは思いやり。あとは、同じ方向を見ることかな。食卓では向かい合って話すこともあるけど、できれば家族とは横に並んで話したほうがいいな、と思っていて。真正面で向かい合って「息子よ!」と訓戒を垂れるのではなくて、同じ方を向いて話せば、気持ちも寄り添うことができるし、対立しない。これはどんな人間関係においても、言えることだと思います。


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この記事は、POLAが発信するイノベーティブ体験「WE/」のコンテンツを転載したものです。ぜひ「WE/」のサイトもご覧ください。
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