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「0」であるようにしている。だから、100にもマイナス100にも行ける|窪塚洋介 #2

テレビドラマや映画へ立て続けに主演していた時期にも、「自分はメインストリームの役者ではない」と思っていたという窪塚洋介さん。2004年の転落事故を経て音楽活動を始め、そして近年では海外作品にも出演し、俳優としての実力が認められています。しかし、その活動を知らない人からは「『池袋ウエストゲートパーク』のキングみたいな役をやってほしい」と言われることも。そんなときは、どんな気持ちなのでしょう。窪塚さんの俳優という仕事に対する姿勢についてうかがいました。

窪塚洋介
1979年5月7日生まれ。神奈川県横須賀市出身。1995年に俳優デビューし、映画を中心に舞台でも活躍。2017年にマーティン・スコセッシ監督作「Silence -沈黙-」でハリウッドデビューを果たし、海外にも積極的に進出。今冬にはBBC×Netflix London連続ドラマ「Giri/Haji」が配信される。邦画では「最初の晩餐」(監督:常盤司郎)が公開中のほか、「みをつくし料理帖」(監督:角川春樹)などの待機作がある。レゲエDeeJay”卍LINE”として音楽活動を行う他に、モデル、映像監督、カメラマン、執筆など幅広く活動中。

マイペースにやるどころか、ずいぶん外れたところに来てしまった

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――2000年には『池袋ウエストゲートパーク』に「キング」こと安藤タカシ役で出演し、2001年に出演した『GO』で日本アカデミー賞新人俳優賞と最優秀主演男優賞を受賞された窪塚さん。その後2002年には、『Laundry』『ピンポン』『凶気の桜』と主演作が続きます。この頃は、どんな心境だったのでしょうか。

よくその頃のこと「全盛期」って言われるんですけど、当時の自分としてはメインストリームにいるつもりはなくて。なんかちょっと、マイペースにやろうかなと思ってた頃だったんですよね。大河ドラマの主演とか断ってましたし。

――そうだったんですか!

みんなに「お前バカじゃないの」って言われましたけど、1年も同じ役をやるイメージがわかなかったんです。だから、日本のメインストリームはもう、「妻夫木(聡)、任した!」「(小栗)旬、がんばれ!」みたいな気持ちでした。

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――同世代や後輩の俳優の活躍に期待するような気持ちだったんですね。

俺は俺のやりたいようにやるよ、って。そんなふうに考えていたところに、マンションの9階から落っこちたんですよ。そうしたら、メインストリームどころか、あれ、めちゃくちゃ外れたところに来ちゃったなと。明治通りを走っているつもりが、なぜか環八(環状八号線)にいたみたいな。

――道ごとずれてしまった。

それまでの「俳優・窪塚洋介」のイメージが好きで集まっていた人たちはさーっといなくなっていきましたね。仕事もお金もなくなって、そこから本当の人生が始まった感じがしました。それで音楽活動を始めたんです。

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――脚本に沿ってお芝居をする俳優という仕事と、自分でリリックを書いてラップをするレゲエDeejay(ディージェイ)という仕事は、まったく違う表現活動のように見えます。

実は根っこは一緒なんですよ。もともと俺が芸能人になりたかったのは、かっこいいなっていう憧れからだったんだけど、俳優の仕事をしていくうちにだんだん変わっていきました。自分が表現することで、誰かが楽しんでくれて、その人の人生が良い方に転がったりしたらすごく素敵だと思うようになって。近江商人の「三方良し」じゃないけど、俺は楽しい、あなたも楽しい、それによってあなたの周りの人まで楽しくなる、みたいなプラスのエフェクトが広がっていく。自分の仕事で、少しでも良い世界になる手伝いができたらいいなと、本気で考えていたんです。

――仕事をする意味が広がっていった。

芝居も音楽も「世界を少しでも良くする」ための、道具みたいなものだったんです。


メッセージが前に出すぎていた20代の自分

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――それで、「根っこは一緒」なんですね。

でも、20代後半の頃は、自分のメッセージを発信したい気持ちが強くなりすぎていました。映画の宣伝のインタビューなのに、9割自分の話をして、最後に「で、こういう映画がありまして」みたいに言ったりしてた。今考えると、本当に失礼ですよね。当時は、俺のメッセージを発信して、それを聞いたインタビュアーさんが文章を書いて、それを読んだ人の人生が良くなってほしいという気持ちが前に出すぎちゃってた。それはよくないな、と。

――「三方良し」をプッシュしすぎていた(笑)。

そうそう(笑)。それもあって、2006年くらいから音楽活動を始めたんです。19歳で東京出てきた頃、渋谷のHARLEMっていうヒップホップのクラブに通いまくってたので、ヒップホップやレゲエのラップカルチャーはすごく身近にあった。自分でリリック書いて、音源があればもう音楽が作れるなっていうのがわかってたんで。

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――音楽を始める前も、言葉をノートに書きつけたりされていたと聞きました。

10代の頃から、言葉は力だと思ってたんです。なるべくたくさんの言葉を知りたいと思って、本や詩、広告のコピーなんかで印象に残った言葉を書き残していました。もちろん、自分で考えた言葉も。使う言葉にはその人の生き方が表れるし、そういう意味でラップはもう人生哲学ぶつけるものだから、俺にもできるってなんか思ったんですよね。
そして、今は俳優の仕事の比重が大きくなってきたから、音楽活動はストップしてます。やっぱり、全力でできないなら音楽はやるべきじゃない。50:50にはしたくないんです。

――現在は、映画や舞台をメインに俳優活動を本格化されています。それでもテレビに出演されていた頃の印象が強いファンから、『池袋ウエストゲートパーク』の「キング」みたいな役をやってほしい、というようなことを言われることもあるのでは?

ありますね。そう言ってもらえるのはうれしいことですよ。渥美清さんの「寅さん」じゃないけど、お客さんが役名で覚えてくれて、そう呼んでくれるのは光栄なこと。役者冥利に尽きます。でも、邪魔になることもある。諸刃の剣です。

――役のイメージが枷にもなる。

だから、意識的に「0」のポジションにいるようにしています。そうしたら、100にもマイナス100にも行ける。役の振り幅を大きくしたいんです。かっこいい役もやれば、かっこ悪い役もやる。悪いやつの役もやれば、良いやつの役もやる。もちろん、頭がイカれている役ばかりでもない。なんか俺、そういう印象が強いので、今けっこう真逆の役をけっこう演じてます。

変化球ピッチャーだと思われているなら、あえて直球を

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――2020年公開予定の映画『みをつくし料理帖』の撮影では、髷を結った姿をInstagramにアップされていましたね。それも新鮮でした。

そうそう、時代劇もやるし、優しくて真面目な毒気のない役をやろうとしてます。そういう役って、イメージとしては俺から遠いと思われがちなんですけど、俺、普段は優しいんですよ(笑)。

――そうだと思います(笑)。

クセのある役のイメージが強いから、変化球しか投げないピッチャーみたいに思われてるんです。でもそれは逆にラッキー。直球を投げたらそんなに速くなくても「おっ」と思ってもらえるから。

――窪塚さんは個性がはっきりしている俳優だという印象があります。役をやるときに、同じ雰囲気に見えないよう工夫したりしますか?

それはあんまり心配してないですね。一つとして同じ役はないから。役が違えば、違う人間になるということなので、自ずと違ってくると思うんですよ。

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――演じやすい役、演じにくい役というのはありますか?

うーん、細かく言ったらあるのかもしれませんが、役によるというよりは、さまざまな要因で芝居は変わるんですよね。演出、共演者の芝居、自分のコンディションとか。演劇の舞台に出ていると、それをより強く感じます。舞台は毎回を初回のように演じてほしい、と演出家さんから言われたりします。自己暗示みたいに、本当にそうだと信じてやると、自分にとってはどの回も1回目になる。
しかも、共演者が芝居を変えてきたりすると、俺もじゃあこうしてみようかな、と返したりして、そこに初めてが生まれるんですよね。そうすると、1ヶ月公演が続いても楽しめます。毎回同じことをやっているように見えて、実は違う波に乗っているんですよ。

――そうなんですね。舞台を見るときにふと「自分は初見だけれど、役者さんはこれ、昨日も演じていたのか」と思うことがありました。でも、役者さんも初めての気持ちで演じていたんですね。

それはすごく大事なことだと思います。マンネリになると、お客さんに絶対伝わるから。特に舞台はそうだと思うな。

セリフを覚える。当たり前のようで、一番大事なこと

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――アドリブは入れる方ですか?

それを良しとしてくれたり、欲しがってくれたりする場合は入れますが、用もないのにアドリブ入れるのは好きじゃないですね。基本は台本通りにやります。だって、そのセリフは脚本家が俺と同じくらいのプライドをもって、仕事として書いたものでしょう。それを演じるのが俺の仕事。そこに勝手に付け足したり変えたりするのは、俺が脚本家だったら失礼だと思うだろうから。

――自分の芝居を良くしていくのは、どういう鍛錬、経験だと思いますか?

ちゃんとセリフを覚えていくこと。これは大前提です。

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――基本的だけど、ものすごく大事なことですね。

セリフちゃんと覚えてこない人は、現場で集中できないんですよ。スポーツ選手が体温めてない状態でいきなりプレーするみたいなものだから、体も動かないし、感情も動かせない。良い芝居するっていうところまで、全然到達しないんです。

――何も考えなくても、口からセリフが出てくるくらい覚えるんですか。

そらで言えるようになって、一度忘れるくらいが一番いいですね。特に会話の芝居は、相手がこうきたらこう返して……とガチガチにシミュレーションしても、新人の俳優さんが全然違う感じで返してくることもある。だから、一度忘れるんです。すると、セリフは出てくるんだけど、どんな球が来ても柔軟に打ち返せるようになります。
あと、16歳の時にマンツーマンで演技指導してくれた女優さんに言われたことで、今も大事にしているのは、自分自身と向き合うことですね。他人とは横に並んで同じ方向を向いたほうがいいんだけど、自分とは向き合ったほうがいい。自分のことをよく知っていないと、良い芝居はできないと思います。


■母、父、芝居の師匠。いくつもの出会いが、自分を俳優にした|窪塚洋介 ♯1

■年齢なんてただの数字。今を楽しめば、年を取らなくなる|窪塚洋介 ♯3

■一歩前に進むということは、自分の奥に向かっていくこと|窪塚洋介 ♯4


この記事は、POLAが発信するイノベーティブ体験「WE/」のコンテンツを転載したものです。ぜひ「WE/」のサイトもご覧ください。
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