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台湾と中国、台湾アイデンティティを巡って【改訂版】

11月刊行予定の本『台湾対抗文化紀行』から第3章を全文公開します。もし、少しでも心に響いたり、引っかかったら、シェア、いいね、RT、スキなどしていただけるととてもありがたいです。どうぞよろしくお願いいたします。

神田桂一

「2019年、5月17日、台湾で、アジア初となる同性婚を認める特別法が、立法院で可決された」(注1)

ブラウザを開くと、こんなニュースが流れてきた。なぜ、台湾は、こういう先進的なことをいち早く行うことができるのだろう。それは、台湾の複雑な事情によることが大きいのではないか。常に戦っていなければならない事情があるからではないのだろか。台湾人の、そのよって立つアイデンティティは何なのか。政治についてどう考えているのか。それを聞き出すべく、一週間後、僕は、取材のために台湾に飛び立った。

5月下旬の台湾は、蒸し暑く、雨が降っていた。LCCを使っていつもの桃園空港に降り立ち、いつもの台北車站(駅の意味)行きのバスに乗る。晴れている台湾しかほとんど知らないので、どこか違和感がある。それは僕の心のなかを写したものであったのかもしれなかった。今回の取材では、台湾人の友人・dodoに久しぶりに会って、台湾のアイデンティティの問題を取材するつもりで来た。

常日頃から仲良くしている友人だけど、いざ、政治の話や、アイデンティティの話をじっくり聞くとなると、本当にちゃんと腹を割って話してくれるのか、僕のことをそこまで信用してくれているのか、不安で仕方がなくなる。僕は、事前にこのことを聞きたいということを話していない。ぶっつけ本番で聞くつもりでいた。なんとなく、事前に伝えておくことは、友人としてあるべき態度じゃない気がしたからだ。いろいろ話を聞かせて、くらいにとどめておいた。バスは、曇り空に変わった台北の空の下、台北車站に着き、そこから西門(しーめん)駅近くのホテルにタクシーで移動して、ホテルで、質問事項を練って、その日は就寝した。

翌朝、10時に、台北のなかでも最近、気になっていた街、六張犁(りょうざんり)站で友人の女の子、dodoと待ち合わせしていた。僕は、なんだか緊張して早起きしてしまい、朝9時には目的地に着いてしまった。せっかくなので街をぶらぶらしていたら、dodoから30分遅れるとのLINEが入った。いつもの寝坊だ。Dodoには遅刻グセがある。僕は仕方なく、近くにあったファミリーマートのイートインで、コーヒーを飲みながら待っていたが、今度はいつの間にか、僕のほうが、眠っていた。

――気がついたら、dodoから着信があった。時間は10時30分。今度は僕が寝坊していた。急いで駅に向かう。すると駅に向かう横断歩道の向こう側にdodoの姿が見えた。ジーンズに白いシャツ、化粧っ気のないシンプルないつもの格好だ。僕の姿を見つけて手を降っている。信号が青になると、僕は横断歩道を渡り、「好久不見!(ひさしぶり!)」と二ヶ月前から習い始めた中国語を使って挨拶してみた。
「覚えたて!」
dodoはそう僕をからかい、笑顔を見せた。さっそく僕らは近くにあるカフェに入った。

最初は、僕の習いたての中国語をみてもらったり、近況報告なんかをしたり、dodoに頼まれていた日本で開催されるマンチェスターシティのサッカーのチケットを渡したりして(dodoはサッカーの大ファンなのだ)時間はすぎていったけど、徐々に会話は核心に迫っていった。
「今日はdodoに色んな話を聞かせてほしいんだけど」
僕は、ちょっと恐る恐る話を切り出してみた。
「いいよ、何でも聞いて」
dodoは笑顔であっけらかんと僕に言う。
なので、僕はもう開き直って単刀直入に聞いてみた。
「あのさ、dodoは台湾独立派(注2)なの?」
言ってしまった。しばらくの沈黙。そしてこんな返事が返ってきた。
「独立って言葉は気をつけないと行けない言葉なのよ」
僕は、ハッとした。直感的にしまったと思った。
「独立ってことは、わかる? 何かに帰属しているから独立ってことがありえるわけ」
「うん……。」
「台湾は、別に中国に帰属してはいない。だから独立じゃなくて建国なの(注3)」
dodoは1981年生まれで、僕とほぼ同世代。外省人(注4)の父親と南投人(注5)の母親との間に生まれたハーフ(自分で言っている)だ。でも、今どきは、外省人なんて言葉は、時代遅れの言葉だから、dodoは使わないと言っていた。昔は、外省人は、タロイモ、内省人は、サツマイモと呼ばれたらしい。父親は、サラリーマン。母親は、中国時報という新聞社に勤めていた。中国時報は、保守の新聞として知られる。生まれたところは、現在の大安区、大安森林公園のあるところで、春村と呼ばれていた。そこは、外省人が集まる地区で、周りには、外省人、国民党の人間しかいなかった。でも、大陸の各地から集まっていたので、いろんな大陸の方言を聞いて育ったという。春村の周りには、台湾人が住んでいて、そこには「壁のない壁が存在した」んだそうだ。10歳頃までは、そこに住み、やがて、取り壊しにあうことになって引っ越す。ちなみに通っていた小学校はエドワード・ヤンの映画『ヤンヤン夏の思い出』(注7)の舞台となった龍安国小だ。
「でも学校では台湾人の子どもたちとも仲良く遊んでいた、台湾語も話せたし、楽しかった。

でもさ、台湾の小学校の授業の教科書って地理歴史が10%くらいなのよ。それもほとんど中国のものなの。そんなの行くこともないし、覚えても意味ないよ!ってずっと思っていた。それよりも台湾の他の地域の地理を覚えたいし、歴史を覚えたい。私、地理歴史好きだし。でも、大陸も台湾の領土だから、覚えないといけないという大義なのよ。これって本末転倒じゃない?」

中学校のときに、陳水扁(注8)が台湾の大統領になった。その政策に凄くショックを受けた。台湾という国、アイデンティティを意識しはじめたのはこの頃がはじまりだった。それをdodoは台湾意識と呼んだ。

「そうなんだ。じゃあさ、台湾意識ってそもそもなんなの?」
台湾アイデンティティには、3種類あるとdodoは説明してくれた。ひとつは、

●台湾意識 中国は中国、台湾は台湾、台湾の名前を全世界に認めさせる
ってこと。2つ目は、
●中華民国意識 中国は中国 台湾は台湾=中華民国。
これはかなり難しい概念。台湾ではなくて、中華民国だから、大陸も含まれている。今の憲法は大陸のことも書かれているわけ。でも、それは、私たちには関係ないことよね。最後、
●中国意識 台湾は中国の一部って人たち。これは、馬英九(注9)みたいな人のこと。

「だいたい、選挙では、中華民国意識の人が、どちらかに揺れて、勝敗が決することが多い。浮動票ってやつね。ここの人たちをどう取り込むかが選挙の鍵よ。ようするに、台湾意識を持っている人たちは、台湾の新しい憲法を作りたいと思っている。中華民国である限り、国として承認されない。ちゃんとした国として建国して、新しい憲法を作って、国際社会の仲間入りをしたいと思っている。それが台湾意識なの。小さい頃から、中華民国として教育を受けてきて、初めて台湾意識を芽生えさせてくれた人が台湾人の大統領となった李登輝さん、その次が、民進党として、政権交代を果たした陳水扁さんよ」

中学校を卒業し、dodoは、進学校の内湖高に進学する。そこではバンドに明け暮れた。ギターを始めた。主にオリジナル曲を演奏した。学校のサークルだった熱音社(ロックンロール・ミュージッククラブ)には、台湾で有名なインディーズバンドがたくさんいた。先輩たちは、色んな音楽を教えてくれた。ちょうど時代は、90年。ニルヴァーナ、オアシス、ブラー綺羅星のごとくスターバンドが世界に溢れていた。

「NHKの国際放送でLUNA SEAを聴いてハマって日本の音楽も聴き出した。ビジュアル系(笑)。それからXジャパンも聴いて、スピッツ、ミスチル、とかね!」

台湾のウッドストックと呼ばれたspring screamに出るためにみんなで頑張った。青春そのものだった。学校も自由そのもの。制服はなく、dodoは鼻ピアスをしていたが、何も言われなかった。ここで、人間の多様性を学んだ。そして、大学に進学する。最初は、一般の大学の経済学部に進学したが、合わなくて、台湾芸術大学に進学し直した。そこで、第二のショックを受けた。

今まで外省人に囲まれて生きてきたけど、大学にもなるとたくさんの人たちがいる。その人たちと仲良くなるにつれ、国民党(注6)がいかに昔、228事件(注10)など、酷いことをしてきたかを嫌でも知ることになる。親族を殺された人もいる。そのとき、dodoは自分のアイデンティティについて考えざるをえなくなった。私は何者なのか。

「私の周りには国民党の人しかいなかったから教えてくれなかったのかもしれないし、偶然だったのかもしれない。それはわからないけど。でもとにかく、そういう人たちと知り合って、私の考えは変わった」 

僕らはカフェを出た。ちょっと話しすぎて疲れたので、お昼ご飯でも食べようということになったのだった。六張犁の街は、文化系女子が好んで集まる街だそうだ。そう言われてみれば歩いているのは圧倒的に女子が多い。オシャレなカフェやセレクトショップも点在している。

僕は目移りしながら、街をキョロキョロしながら歩いた。次は、dodoオススメの変わった小籠包を出すお店に入った。出てきたのは、小籠包にアイスクリームが乗ったのと、麻婆豆腐が乗ったのと、ふたつ。なんだこれは。まあいい。話の続きを聞こう。

「私が大学に入ったころは、インターネットの勃興期、情報が無限に入ってきた。色んなことを知ることができた。教科書に嘘が書かれていることがすぐにわかった。それが決定的だったと思う。台湾は、いつ中国から攻め込まれるかもわからない。国としても承認されていない。いろんなアイデンティティの人の集まりでもあって、一致団結することが難しい。そういう環境のなかでは、常にファイティン!していることが大事なの。

だから、みんな政治に関心があるの。フリーチベットの運動に賛同して、台北でビースティ・ボーイズのライブが行われたときは外人がみんな台北に集まった。そのときは本当に感動した。同性婚法案が可決したときだって、感動した。矛盾するようだけど、台湾の自由は、抑圧あっての自由なのよ」

僕は、ドキッとした。抑圧があるからこその自由。台湾より、自由が空気みたいな存在で、自由のありがたさが麻痺している日本の僕には、ことさら響いた言葉だった。確かに、日本でも不自由だと思う瞬間はある。しかし台湾に比べたらちっぽけなものだろう。自由がなくなってからでは遅い。僕は日本の政治で今何がおきようとしているのかをちゃんと監視し、いつまでも自由があるようにしなければ、と襟を正した。

「ある意味で日本は羨ましいの。政治のことを考えなくてすむでしょ。フェイスブックのちタイムラインは、台湾人は、新聞記事のシェア、日本人は、グルメ記事のシェア、私も自分がやりたいことに没頭したいけど、そうもいかないの。よく冗談でいうの。日本に帰りたいって。中国じゃなくて、日本に帰属したいなって(笑)」

笑っていいのかわからなかったけど、僕は笑った。そして僕は、次の取材に向けて、dodoとまた話を聞く約束をして別れた。

日本に帰国後、もっと下の世代の話も聞いてみたい。そう思って、もうひとり、dodoとは年代の違う、88年生まれの台湾人の友だち、シナミちゃんにも話を聞いてみることにした。彼女は両親ともに本省人。母親は公務員。父親は、パソコンの修理を生業としている。

「私はもともと親の影響で国民党支持者だった。それが変わったのは、中国のSARS(注11)の件があったからだった。あのときに、WHOで世界各国が集まってシェアするんだけど、そこに台湾は中国の圧力で会員に入れなかったんだよ。中国でSARSが爆発したときに会員国以外の国にその情報をシェアする義務がないんだよ。それで、隣の国じゃん。台湾の代表チームはWHOは報告に言ったのね。現状を。そのとき記者が、中国に聞いたのね、『なぜ台湾の入会を阻止するのか』って。中国が言ったのは、『そんなの知らねえよ』って言ったの。それがテレビでずっと繰り返し流された。それを見たとき、ヤバイと思ったの。

このまま言ったら国際社会から弾かれる、現状維持というのは選択肢としてはないなと思った。独立しかないって。でも、独立というのは今でも言うのに抵抗がある。実際は独立しているじゃん。国としては別だし、政府も違うし。単なる同じ言葉を使っているだけ。アメリカとイギリスみたいなもんだよ。わざわざいう独立するって必要があるのかなって。言うから付属品みたいに思われる。そもそも付属品じゃないじゃんって。でも私が独立を言うのは、国際機関に認めさせるために独立を言っている感じ」

dodoとは、やはり若干世代が違うため、認識に差がある。下に行けば行くほど、もう別の国という意識がもともとあるみたいだ。中国との葛藤はそれほどない。

「私、5歳下の妹がいるんだけど、その世代は、もうそもそも台湾と中国との間の葛藤もなくて、もう普通に私達台湾人でしょっていう世代。『天然独』って言われているんだけど。教科書は私の頃には、歴史の教科書の他に認識台湾というものが別にあって、そこに台湾の歴史が載っていた。最近は、台湾人の文学者も載るようになって変わってきている。私が思うのは、文化に対しては、中国のものも学ぶのもある程度は必要だと思う。中国では文化大革命でほとんどなくなってしまったし、言葉も変わってしまった。政権も危うい。

今中国で使っている標準語は漢民族のものではない。清のもの。だから微妙に発音が違うんだよ。正統に引き継いでいるのは、台湾の中国語なんだよね。あと大きいのは、今の民進党の大統領の蔡英文がとても進歩的だからだと思う。同性婚法案もそうだけど、その前に年金改革(注12)もやっているの。それはそれで公務員から反発もあったんだけど、やらなきゃいけないことは全部やったんです。一部から反発が予想されても社会のためにやらなきゃいけないと思ったことはやる。安倍とは真逆ですね(笑)。日本の若い人たちって本当に無関心じゃない。今の自分さえよければいい。国のことを考えることが自分のことを考えることだということがわかっていない。知っている政治家はスキャンダルで話題になった政治家しかしらない。あくまでも私が見てきた日本人の話だけど。

だから台湾人と政治というものの認識が違う。台湾人は生活に対するすべてのものが政治だから。今は無関係だと思っている政策がいつか自分に影響を与えるというのがわかっていない。痛い目にあって初めてわかる。台湾人は、危機感が強いから。いつ国がなくなるかもしれないという気持ちで生きている。同性婚法案の場合は、ある程度社会が成熟していくと必ずたどり着く結果だと思うけどね。次はタイだと思う。日本はまだまだだね」

シナミちゃんはひまわり運動(注13)にも参加している。

「私は初日から現場にいました。まず最初、法律に対して反対する学生がいて、ビラ配りしたりネットで活動していて、承認された当日、立法院に学生たちが向かったのに合わせて、私も仲間と一緒に仕事が終わったら向かった。夜には5000人くらいいた。まだ中には入っていないけど、フェンスを越えて、周りに集まった。やめろ、やめろ!ってヤジを飛ばしてた。ある程度の法律は守って。なんかのきっかけで立法院に入ろうとなって、誰かが先陣を切って柵を飛び越えて中に入った。そうなったらもうカオス。

どんどん物資や脚立が送られてきた。私も2階から侵入した(笑)。ちょっとしてからもう出たけど。中では、椅子をかき集めて、通り道を塞いでいた。外では野宿する人でいっぱいだった。お医者さんもたくさんいて、私の友だちは音響の会社に勤めていたから小さいステージを作って、何か言いたいことがある人のためにマイクやスピーカーを用意した。私は次の日、日本で台湾アーティストのツアーの同行があったからもうそれで帰ったけど、台湾に戻ってからもまだ続いていた」

では、中国人は、台湾のこと、台湾の台湾意識のことをどう思っているのだろう。僕は、大陸生まれの友だち、王さんにも、そのことを聞いてみた。王さんは、dodoより年下の85年生まれだ。王さんは湖南省生まれ。両親は医者で、比較的裕福な家庭の元に生まれた。大学で広州に出てきて、卒業後はある日系の出版社に中国で勤めることになる。僕らがであったのはちょうどそのときだ。彼女は村上春樹と渋谷系音楽が好きで日本語は独学で覚えた。村上春樹のことは、世界一かわいいおじさんと読んでいる。その後、日系の大手広告代理店に勤めたあと、辞めて日本に留学、そのまま、日本で働いている。

「台湾は、結構前にツアーで一週間くらい旅行したけど、南国って感じで、凄くいいところだった。料理もおいしいし。特にカルチャー面で、素敵なところで、誠品書店で、台湾のデザイナーがデザインした森栄喜の写真集を、台湾人の有名デザイナー、聶永真(アーロン・ニエ)の装丁に一目惚れして買ったのだけど、今でも一番お気に入りの写真集になっている。森栄喜を知ったのもそれが初めてだった。それだけでも台湾にいってよかった(笑)政治的に複雑な面もあるから結構旅行することを躊躇する人たちもいるけど、私はあまり気にしないタイプ。ただ台湾に行くのは、台湾に日程などを申告しないといけないし、旅券のようなものをもうひとつとらないといけない。あとビザもとらないといけないので結構めんどくさい。個人旅行とツアーでまた違ってきて、ツアーは全部旅行会社がやってくれるけど」

台湾人の台湾意識については

「それはここ最近凄く感じることでもある。でも、逆にそれが、私たち中国人と台湾人との分断を促しているとしたらとても悲しいこと。だから私たちはもっとコミュニケーションをとる必要があると感じる。かつて、中国は、経済的あまり豊かでない国だった。でも、ここ最近で、とても豊かになった。でもそれには私たちの頑張りがあるし、決して理由がないわけではないことは認めてほしい。屈折した感情があるのもわかる。

もともと台湾の立場は凄く微妙だということも。だから驚異として認識するのは凄く理解する。でもあれはあくまでも国のプロパガンダだから。中国のなかでそう思わない人もたくさんいる。そういう人は、国の宣伝に干渉されたくないし、台湾のままでいいと思うし、それをわかってほしい。でも、今の台湾は、全体的に、国の考え=個人の考えという方向性に向かっていってエスカレートしているんじゃないかって危惧しているの。

なんでこんなことを感じたかというと、私は、日本の大学の大学院に通っていたんだけど、そこで、中国人ってだけで、敵視する感じの台湾人が少なからずいたのね。それは悲しかったし、びっくりしたことでもあった。だから、言葉も同じだし、もっとコミュニケーションしたい。理解してほしいんです。私たちも台湾人も複雑な気持ちなんだってこと。台湾意識自体は悪いことではないと思う。私みたいな意識を持たない人は全然ダメだと思っているし(笑)。本当は、台湾みたいな、政治的な立場が微妙なところこそ、みんな無関心じゃなくて、ちゃんと政治的な答えを探したほうがいいと思うんだけど、それが、結果的に国と個人とを同じ認識にしちゃってしまったとしたら……。複雑……」

王さんは、肩を落とした。

では、中国には、台湾とひとつのものとするような、中国意識のようなものはあるのだろうか。

「私は、80年代生まれなんだけど、海外のものは、そんなに詳しくなかった。89年に改革開放政策があって、海外のものが入ってきて、初めて手触れた。私の家は、結構ミーハーで、私が幼稚園のときに、コカコーラ飲まされたり、ソニーのテレビがあったり、パナソニックの冷蔵庫があったり、絶対普通の百貨店じゃ売ってないから。どうやって手に入れたのかわかんない。たぶん色んな手を使って手に入れたんだと思う。だから私の親凄いなって。そういう家庭で育った。

小学生のときには、普通に家庭でドラえもんとか、ちびまる子ちゃんとかが見られたんだけど、海外のものに対して、面白いものとして憧れが会ったと思う。でも2000年生まれ以降は、生まれたときから中国のメーカーが成長してきて、コンテンツも中国のものがあって、海外のものがいいという認識がなくて、国の宣伝もそうなっているから、中国意識が私たちの世代よりはあると思う。肌感覚だけど、今の世代は、留学とか、一番多い世代だと思うんだけど、私たちの世代よりも、留学に行きたいという気持ちがあるのではなくて、親に行かされる人が多いイメージがある。そして、すぐ中国に帰ってくる。私たちの世代は、凄く海外に行きたい人が多くて、そのまま海外に残る人が多かった。それだけ、今の中国は、豊かになって、外に出ていくメリットがなくなったんだと思う。だから自然と内向きになって、中国意識も高まっていっているんだと思う」

一息ついて、王さんはこういった。

「国なんて私たちは選べないじゃない。国なんてホテルみたいなもの。嫌になったら移ればいいじゃない。少なくとも私にナショナリズムなんて拠り所としては必要ない。だから今も日本に住んでいるし、日本が嫌になったら、またどこかアメリカにでも住めばいい。でも今、世界的に、そうなっているよね、それは凄く怖いこと。なんでそうなっているのかはわからないけど……」

その後、香港でのデモ(注14)が活発化する。香港の英字紙サウスチャイナ・モーニング・ポストによれは、抗議デモが始まって以来、香港から台湾への移住申請は45%増加しているという。香港の住民が台湾を訪問するにはビザが必要だが、ビザを取得すれば最長1カ月の滞在が可能だ。台湾到着後は、この滞在期間を1カ月延長できる。台湾でも、香港を支持する集会が開かれたという。中国政府は、台湾にも香港のように一国二制度を要求しており、「今日の香港は、明日の台湾だ」という台湾側の危機も迫っている。中国に飲み込まれるのではという恐れがあるからだ。各地のデモのスローガンは、「今日香港 明日台湾」というもの。

DJで、ライブハウス『WALL』の店長、スパイキーくんは、
「これまで、独立のことは国がいってなかったから、表立っては、言いにくかったけど、先ごろ、蔡英文大統領が、中国が打ち出した一国二制度を拒否してくれたおかげで、言いやすくなった」

と言っていた。台湾と中国、そのアイデンティティのはざまで、これからどういうふうになっていくのか。2020年6月に巨大なデモが行われた香港からの移住者も台湾には多いと聞く。20201月に行われた台湾総統選挙では、民進党の蔡英文が勝利し、5月21日、総統として2期目をスタートさせ、就任演説を行った。内容は、中国に対する、「一国二制度」(注15)の拒否を改めて打ち出すものだった。

これは、民進党が打ち出す、台湾独立路線を改めて強調するものだと言えるだろう。その後、揺れ動く東アジア情勢のなかで、とうとう香港は、北京が決めた国家安全維持法で、陥落してしまった。台湾も明日は我が身と緊張状態にあることは想像できる。しかし、あくまでも国家間の話であって、個人のつながりは関係ない。個人の連帯を強くしていくことが、争いを鎮める、唯一の手段ではなかろうか。

注1 アジア初の同性婚を認める法律は、周辺にも影響を及ぼすことを期待されたが、日本にはまだ届いてはいないようだ。台湾では、2020年3月末時点で、3553組のカップルが成立したという。

注2 台湾に台湾人が主権を持った独立国家を建設することを目指した運動のこと。またそのシンパ。

注3 台湾は中国の一部という考えは、中国の一方的な言い分である

注4 国民党とともに中国から渡ってきた人のこと

注5 台湾の南投地方に住んでいる台湾原住民のこと

注6 蒋介石が率いた政党。毛沢東率いる中国共産党に破れ、台湾に逃れ、中華民国を立ち上げる。

注7 2000年公開の台湾ニューシネマを代表するエドワード・ヤン監督の劇場映画。第53回カンヌ国際映画祭で監督賞を受賞。

注8 貧しい家庭の出身から大統領になった人物で、弁護士出身。美麗島事件の被告弁護団に従事したことから反国民党運動に参加するようになり政界に進出。民進党初の大統領で、大胆な台湾独立政策で知られる。

注9 第6代中華民国総統(国民党)。2008年〜2016年在籍。台中の関係改善に務めるも、ひまわり運動なども引き起こした。

注10 1947年に起こった国民党政権と外省人による本省人への白色テロ。

注11 中国南部の広東省を起源とした重症な非定型性肺炎の世界的規模の集団発生が、2003年に重症急性呼吸器症候群(SARS)として報告された。

注12 2018年7月1日、職業軍人や公務員、教職員を対象とした年金改革関連法が施行された。

注13 サービス貿易協定の批准に反対した学生と市民らが、立法院を占拠した学生運動。

注14 中国政府による逃亡犯条例改正案と改正案に対する反対運動

注15 中国の一部であるが、高度な自治権を与える制度

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