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小学4年生の彼女に、もうすでにかなわないと自覚した。

先週、noteの「エッセイ」タグをなんとなく眺めていて、衝撃の出会いをした。

倉本莉亜@小学生小説家さん。

正直、最初はかるい気持ちで目をとめた。なになに、小学4年生?小学生小説家ってまた、よくある、名前だけキャッチーにしましたみたいな感じじゃないの〜(←何様)。そう思いつつ、でも気になって、彼女の投稿をひらいた。

最初に出会ったのは、「twitter、つくれなかった。」という投稿。13歳以下という理由でtwitterのアカウントがつくれなかったこと、そしてその規定について、彼女が思うことや代替案などがつづられていた。

それ自体は短い事実報告とかんたんな考察なのだけれど、その短い文章を読んだだけで、ああ、おもしろい子だな、と思った。

記事内の、“私が、Twitterが作れるようになるまで、あと4年...。”という記述に、年齢も実感をもってほんものだと思ったし、短文のつながりではあるけれど、シンプルにわかりやすくまとめられた考察の構成や文章力に、小学生小説家の肩書きも本気のものだと思えた。

「ああ、彼女の書くものが他にも読んでみたいな」。そう思って彼女のアカウントを訪れた。読むうちに、ぐいぐい引き込まれた。

* * *

すでに他にも紹介記事を書いている方がいらっしゃるし、莉亜さんの書くコンテンツのおもしろさは実際に読んだほうが伝わると思うので、ここでうだうだ語るまでもない。ぜひ実際に、2、3本記事を読んでみてほしい。

長編小説やショートショート、エッセイなど書かれているが、わたしが個人的に一番引き込まれたのはエッセイである。なかでも、莉亜さんとお母さんとの日常をつづるエッセイ集「私のお母さんは、変な人。」は秀逸だ。

莉亜さんの「日常の中でここを切り取ったらおもしろいかな」という着眼点、自分たちの状況を客観的に見つめる視点、テンポよく読ませる文の運び、そして文の結び方(着地点)のセンス。同じくエッセイを書くものとして、このあたりをとくに尊敬している。

最後の一文、ああ、こう終わるのか!とか、この終わり方いいなあ、とか思わされることが多い。自分にはこうは書けない。莉亜さんにしか書けないものだなあ、と思うのだ。

勝手に、好きな記事のリンクを数本だけ貼らせていただこう。

ショートショートではこのあたり。

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ちなみに、他の方の紹介記事ではまだあまり触れられていないところで、わたしが深く感銘を受けたのは、莉亜さんと、お母さんの関係性についてである。

いや、お母さま、すばらしいと思うのです。心から。

私のお母さんは、変な人。」にアップされているエッセイは、お母さんの日常をかなり赤裸々に書いているものもある。けれど、それにちゃんと目を通しつつも、ギリギリのラインでのセーブしかかけずに、公開を許されているお母さん、ほんとうに尊敬する。

そして、そのお母さんの存在を「変なひと」という切り口でとらえながら、それでいて「ありがたい」と認識している莉亜さんがまたすばらしいと思う。おどろくべき客観性

小学4年生にして、これほど自分の親をひとりの人間として客観的に見つめ、自分の置かれている立ち位置や、そのありがたみを自覚できるひとは、なかなかいないのではないか。

そうなると、その莉亜さんの感性を育ててきたお母さんがまたすばらしい……と堂々巡りになるのだが、ともかく、彼女の文章を読んでいれば、お母さんと莉亜さんは、おたがいにちゃんと目を見て、ひとりの人間として向き合って、逃げずに対話を繰り返してきたのだなということが伝わってくる。

そしてこれは勝手な想像だけれど、母側の視点からみれば、それはときに、かなり骨の折れるときもあったのではないだろうか、とも思うのだ。

いまではすっかり“戦友”(←莉亜さんのエッセイ「お母さんは、姉弟差別をします。」の表現です)として対等に会話のできる莉亜さんも、赤ちゃんのころや、イヤイヤ期のころなど、最初からそうやって落ち着いて冷静に考え、話すことができたわけではないはずだ。生物学的な人間の成長過程として、それは当然だと思う。

その成長過程で、あきらめず、しっかりと目をあわせて、対話をすることを根気よくつづけてくれる身近な存在――、莉亜さんの場合はお母さんがいらしたことで、はじめて、彼女は、いまの彼女になったのではないだろうか。勝手にそんな想像をしてしまう。

その積み重ねてきた日々を思うと、とても感動する。現在進行形で、子育て中(親育てられ中)の身としては、痛いほどに。

* * *

莉亜さんに対して、「将来が楽しみだ」と、上から目線のことばはかけたくない(わたし自身、こどものころ、年齢が上だというだけで上から目線で接してくるおとながキライだったから笑)。もう、いますでに、莉亜さんの生きる時代において、わたしは到底、彼女にはかなわないなあと自覚している。

わたしの娘が生きてゆく次世代は、ぜひとも莉亜さんのような方に切りひらいていってほしい。

わたしはわたしで、いまという時代をもうすこし、あがいて、がんばって生きてみるよ。次の世代と重なり合うひとときを、楽しみながら。

莉亜さんとお母さまのように突き抜けてかっこよく、とはいかないかもしれないけれど、我が家も我が家なりに、目をそらさずに対話をしつづけようと思う。莉亜さんにも、莉亜さんのお母さんにも、ありがとうを伝えたい。

莉亜さん、応援しています。どうかその調子で、あなたの色で、これからも楽しんで。

(おわり)

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追伸:
莉亜さんのお母さまへ。すばらしい日常の断片を、公開してくださってありがとうございます。上記に書いてきた尊敬は正直な気持ちです。だからこそ、先日の記事「お母さんが、乱入してきた。」を読んで、予想以上に心配されているのを拝見し、いやいや!大丈夫ですよ……!(笑)とひとり、画面にツッコミを入れてしまいました。

莉亜さんの書くものを拝読していれば、とくにそのなかにひそむ客観性や、社会課題への認識をみていれば、どんなに魅力的な親御さんと日々をすごしているのかが、自然と伝わってきます。ひとりのひよっこ親として、娘さんとそんな関係性を築いていらっしゃること、心から尊敬しています。

どうか、これからもそのままに。楽しい日々を!

自作の本づくりなど、これからの創作活動の資金にさせていただきます。ありがとうございます。