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「For somebody, "YES", and for somebody, "NO"! They are stupid!」日本人中学生の素朴な?セクハラ?質問にアメリカ人女子高生はあきれ果てていたけれど (エッセイ)

昨日の続きです。

日本に来ても家の中に引きこもっているばかりのアメリカ人女子高生は、交換留学組織の提案で、日本の学校に《体験入学》することになりました。
長女の通う中学に話を通すと、「英語の勉強にもなる」と興味を示し、1週間(だったと思う)一緒に通学することになりました。

そんなある日、私が勤務先から戻ると、珍しく彼女がリビングにいます。どうやら、今日、学校で起こったことを妻に話しているようでした。
基本的には、その学校の生徒たちがいかに
 《stupid》
であるかをまくしたてているのです。
詳細は忘れましたが、その中で今もはっきり覚えている《案件》があります。

彼女は英語の先生と共に、各クラスを回り、娘の中学の生徒と英語で話をする、という活動に参加していました。彼女の《側》から言えば、
 《参加させられていた》
ということになります。
大好きなSNSの時間を削ってまで、英語の先生に
 《つきあわされていた》
わけです。

1年生のあるクラスで、先生が生徒たちに、
「アメリカから来たこのお姉さんに聞きたいことがある人は、英語で質問をしなさい
と言いました。
前回の記事で書いたように、彼女は、いわゆる《巨乳》でした ── それも、かなりの。しかも季節は夏、当然薄着です。
ひとりの男子生徒が手を挙げました。指名され、こう尋ねました。
「Do all Americans have big breasts like you?」
中学1年ですから、もっと変な英語を使ったかもしれないし、ジェスチャーも動員したかもしれません。しかし、彼女はこう表現しました。
つまり、
『アメリカ人って、みんなそんなにおっぱいがデカいの?』
と聞かれたわけです。

「……うーむ」
それを聞いて、私はとりあえずうなりました。
日常的に外国人と触れ合うわけではない日本の中学1年生にとって、それはきわめて《素朴な疑問》だったように感じたのです。
(つまり、それくらい《デカかった》……)
以前、下記の記事に書いたこととも関連しますが……

その中1少年は、
アメリカ人という《集団》の中の《1サンプル》を目にして、その《サンプル》が示す《特徴》が、《集団全体の特徴》なのかどうか、確認したかった、のでしょう。
 ── セクハラ的他意はなかったのではないか?
例えば、彼の前に長身のオランダ人が現れたら、おそらく、
「オランダ人って、みんなそんなに背が高いの?」
と尋ねるだろう。
しかし、もちろん、彼女の前で少年に《共感》を示すことはできません。

「で、君は何て答えたの?」
彼女は首をすくめ、両の手のひらを上に向け、心の底から呆れたように言いました。
「I said, "For somebody, YES, and for somebody, NO!"」
つまり、
「デカい人もいれば、デカくない人もいるわよ!」
というわけです。
 ── そりゃ、そうだよね。
彼女は愚かなこの世を1ミリも認めたくないかのように首を振り、
「They are stupid!」
と言い捨てました。
《He》でなく《They》、こちらも《集団》ごと全否定でした。

それで思い出したのが、彼女が以前、アメリカの男子を全部ひっくるめて、
「Boys are all stupid!」
と冷たくいい放っていたことです。
彼女と会った人は、まず、その胸に目がいってしまいます。American boysもJapanese boysも同じでしょう。それは、むしろ自然とも言えます。
でも、本人にとっては、特に思春期の少女にとっては、なんとも《鬱陶うっとうしい》ことでしょうね。 

前回も書いたように、彼女がホームステイした6週間、私自身は極力、《そこには関心が無いフリ》をしようと心がけていました。
向き合って話をしている時などは、うっかり視線が下がらないように、あごの下につっかい棒をしようかと真剣に考えたくらいです。

《関心が無いフリ》作戦は成功したのかどうか、わかりません。
アメリカに帰国した彼女は、友人との会話の中で、
「ホストファミリーんちのオヤジ、《stupid》なヤツだった!」
と言っていたかもしれない。

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