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北大恵迪寮の夜 (エッセイ)

昨日投稿したエッセイに、入社面接で学生時代に自費出版した小説の中身を、
「いかがわしい内容じゃないだろうね?」
と尋ねられ、
「── いかがわしいです」
と答えたエピソードを書きました。

この話と、
➀ 自費出版本
➁ いかがわしい

の2点において共通するエピソードがもうひとつあるのを思い出しました。
明日はどうなるかわからない身の上、忘れないうちに書き残しておこうと思います。

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高校1年の頃から、リュックやバックパッカー(当時は背負子しょいこと呼んでいました)に寝袋を持ち、友人と山に登ったり、鉄道旅行に出かけたりしていました。
この件に関して親が干渉することはほとんどなく、その点は今も感謝しています。

当初、登山で宿泊する時はテント、鉄道旅行ではユースホステルに泊まることが多かった。
しかし、当時のユースホステルは宿泊客みんなで歌ったりゲームをするところもあり、そうした集団行動がやや面倒で、やがて駅の待合室や、時には公園のベンチに寝袋を広げて泊まるようになります。

そして、各地の大学寮が他所から来た学生を宿泊させてくれることを知ると、宿泊費(安ければ1泊100円、高くても300円)を払って臨泊りんぱくさせてもらうようになりました。
高校3年の冬に東京で模試を受け、その夜、東大駒場寮に泊まったこともあります。
この寮は史上最悪で、布団を貸してくれず、凍死しそうになりました。新聞紙を集めて服の間に押し込み、かろうじて生き延びましたが。

前振りが長くなってすみません。
大学時代(3年)のことです。アルミフレームのバックパッカーに小ぶりのザックと寝袋を結び付け、ひとりで北海道に出かけました。

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積丹半島を歩いて回り疲れ果てたところで新婚旅行中カップルをヒッチハイクでつかまえ、余市経由で札幌まで車に乗せてもらいました(ニッカウヰスキー蒸留所で私だけタダ酒飲んで後部座席で眠り込み、迷惑をかけてしまいました。あれでトラブルになっていなきゃいいけど……)。

札幌の第1夜は大通公園のベンチで眠り、2日目はさすがに屋根の下で寝たいな、と思いついたのが北海道大学の恵迪けいてき寮でした。

恵迪けいてき寮は、バンカラ気質かたぎで知られ、特に真冬に2階の窓からの「雪上ジャンプ大会」は有名です。

恵迪けいてき寮を訪ねたのは、もう夕刻でした。
けれど、寮自治会の人が言うのです。
「残念だけど、この寮はね、臨泊りんぱくをさせないことになっているんだ」
ええっ、それじゃ今夜も野宿かよ、と廊下でいいから泊めさせて欲しい、と頼み込むと、
「うーん、帰省している学生でベッドが空いてる部屋があるかもしれない。じゃ、キミ、自己アピールしてみたら? ── たぶん、難しいけど」

自治会の人は私を寮の放送室に連れて行きました。そして、マイクを前に、
「今夜、旅行中だという学生さんがひと晩泊めて欲しい、と頼んできました。今から彼が直接話すので、泊めてやってもいい、という部屋の代表者は放送室まで来てください」
と語り、ホラ、と促しました。

私には自信がありました。
『みなさん、こんにちは。東京から来た、Pochiといいます。今夜部屋に泊めていただけたら、最近自費出版したポルノ小説を1冊差し上げます』

話し終わってものの1分もしないうちに廊下をバタバタと走って来る音がありました。
── ありがたいことです。

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私が案内された部屋は、── 予想通りの《バンカラ4人部屋》でした。

その夜、《遠方からの客》を迎えたその部屋は当然、近隣の部屋の住人も加え、酒盛りになりました。

そして、日付が替わった頃、その部屋の《ぬし》、留年を重ね最長老となった《センパイ》が帰ってきました。無精ひげが伸び、髪の毛も爆発しているその《センパイ》は、両手にひとつずつ、盆栽の《鉢》を抱えていました。
「センパイ、また持って来たんですかあ?」
「明日、返しにいかなきゃな……」
呑み屋から寮までの帰り道、酔った彼は各種のコレクションをしてくるようでした。
「この前は、《工事中》の標識を持って帰って来たんだよね……」
《センパイ》いや《牢名主》を加えてまた、吞み直すことになりました。

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翌朝、礼を言って出ようとすると、強く引き止められました。
「Pochiさん、実は今日、藤女子大との合コンがあるんです
「え? 藤女子大って、中島みゆきの母校じゃん!
その頃、『わかれうた』が大ヒットしていました。
「もう1日延長して、合コンに来ませんか? Pochiさんなら話が面白いし、きっとモテますよ!
「来てくださいよ! 藤女子大って、札幌ではお嬢様学校なんですよ! Pochiさんが来れば、盛り上がります!

私の脳裏には、一面の《お花畑》が広がっていました。

うーむ。このお花畑を逃していいものだろうか?

……人生でこれほど迷ったことはないかもしれない。

私はその日に札幌を発たないと(もちろん青函トンネルも、東北新幹線も無かった)必修科目の《金属工学実験》に間に合わなかったのです。
(うーん。既に1年留年しているしなあ……)
工学部で、実験科目に対する出欠は実に厳しい。

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── ジジイになった今も、時折思うのです ── 未練たらしく。

あの時、《実験》を諦めてお花畑に行っていたら、人生は大きく変わっていたかもしれないな……。

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