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映画館《ならでは》、と今も想い出す《共感現象》エピソード2題

映画は主に、車で10分前後の場所にある、郊外型シネコンに出かけて見る。オンデマンドやレンタルなど、テレビ画面で見ることはほとんどない。
《わざわざ、映画館?》と尋ねられたら、一応、
「大画面の迫力」
と《無難な》答えで応じる。
でも、本当の魅力は、劇場全体での《共感現象》にある。
はっきりそう言えないのは、《共感現象》に出合う機会が少なくなったからだ。
今では、ミステリー映画で、観客全員が《息を呑む》場面ぐらいになってしまった。時節柄、それすらも《自制》しなくちゃならない。

「昔はそうじゃなかった」
と、《古老の繰り言》のようなことをつぶやいても仕方がない。けれど、
「例えば?」
と聞かれれば、待ってました、と語り出すのは、自身で体験した二つの《映画館ごと共感》シーンである。


ひとつは、学生時代、新宿の大きな劇場映画館で、スピルバーグの「ジョーズ」を見た時のこと。

巨大ザメの蛮行に、何度も
「うわーっ!」
と客席がどよめくシーンはもちろん《共感》だが、真打は最後だった。

ブロディが、サメの口内のボンベを撃って頭を吹き飛ばし、相棒のフーパーも無事海上に浮上する。
その時。
──どこからともなく、客席の一部で拍手が始まり、まもなく、劇場全体が大きな拍手の音に包まれたのだ。
もちろん、僕も参加した。
拍手しながら、《心》は劇場中の観客みんなと、
「よかった、本当によかった」
と誰かれ構わず、ハグしていた
のだ。


もう1件は、たぶん今池(名古屋)にあった、日活ロマンポルノを専門に上映する、場末の小さな映画館だった、と思う。だとすれば、高校生だったかもしれない。

問題のシーンでは、押し入れに隠れた男が、引き戸を少しだけ開け、部屋の中で行われている若いカップルの濡れ場を覗き見しようとしていた。
映像は、押し入れに隠れた男の視座に移り、真っ暗な中で縦に一本、光の筋が現れる。
しかし、その《事情》を呑み込めていない客がひとりいた。
「あれ? どしたんだ? 真っ暗だぞ!」
素っ頓狂な声がした。
「変だな、なんで暗いんだ? 故障か?」
声の主は、明らかに酔っていた。
客席には忍び笑いの声が湧き、次第に膨らんでいった。僕もほぼ闇の中、隣の友人に顔を向けて笑った。

次に映像は、部屋の中に移り、カップルの濡れ場を大きく映し出した。
さきほどの酔漢は、「ウケた」と勘違いして調子に乗ったのか、
「あれ、本当はやっとらんのだぞ!」
と得意そうに言い始めた。
「オレにはわかる。角度がおかしい。あの角度では入らん」
客席には、今度は《失笑》のさざ波が起こった
酔漢は、さらに得意げに、「オレは知っとる」「本当はやっとらん」を繰り返した。
笑いながらも、ちょっとウザいな、と思い始めた時、別の客が、
「みんな知っとる! 黙っとれ!」
と一喝した。酔客は、沈黙した。

映画が終わり、ほのかな灯りが客の顔を照らした時、この種の映画館でありがちな、《どこか後ろめたげな翳り》は、そこになかった
オヤジたち、オニイチャンたちの表情には、娯楽映画を一緒に楽しんだ後にも似た、明るい《共感》があった


もし、二つのエピソードの勝負を判定するとしたら、僕は後者のグラブを高く挙げる。
大劇場で体験した《共感現象》には、《演出》の疑念が今も残っている。

#映画館の思い出

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