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ジジイはどこにいる? (島で★深読み)

しまなみ海道を自転車で走破する小さなグループツアーに参加しました。
平日実施のため、参加者はリタイヤ層、従って、「走破」と偉そうに言っても、保険も兼ねての電動アシスト付ではあります。

降雨と強風に祟られ、ハードな道行きでしたが、それはさておき。

もう12月ということもあり、参加者は10名、うち9名が女性でした。添乗ガイドのお兄さんは、普段は登山やハイキングのツアーガイドをしているそうですが、やはり、女性が圧倒的に多いとのこと。
そういえば、今年礼文島のハイキング・コースを個人で歩いた時も、すれ違うグループは、ほとんどが女性でした。

思い出した光景が、随分前にミュージカル「キャッツ」を見に行った時のこと、客席をぐるりと眺めたら、老から幼まで、あらゆる世代の女性ばかりがぎっしりで、中にポツポツ埋もれた《♂》は、いずれもカップルのカタワレばかり。

ジジイはどこにいるのだろうか?

「ジジイは《群れ》の中にいるのが苦手だから、ひとり、ふたりぐらいで楽しんでるのよ」
「パチンコとか、ゴルフの打ちっぱなしとか、そんなのでしょ」
「ジジイはねえ、職場のように《序列》がはっきりしている《群れ》の中だと落ち着くけど、《序列》不明の《群れ》にいるのが苦手なのよ」
「女は、《序列》のない《群れ》の中で、あんまり《意味》のない会話を楽しんでるけど、ジジイは楽しめないのよ」
なるほど、なるほど。

《群れ》の中の女性たちの会話を盗み聞きすると、
「今日冷えるわねえ、もう12月だもんねえ」
「その帽子、いいじゃない? あったかそうね?」
「あたし、ごはん大好きだから、おかず無しでもたべられちゃうの」
「デザートのケーキ、どうだった? 甘すぎない?」
「ここのお風呂、もう入った? 混んでなかった?」
というような。

こういう言い方をすると身も蓋もなくて叱られそうだが、多くは、
➀ 《あいさつ》代わり(?)らしきほとんど意味のないやりとり
➁ ➀とあまり変わらないが、強いて言えば《共感》を求め、それに応じる会話
➂ それほど重要そうでもない《情報交換》

というような《分析》をするのでジジイは嫌われるのでしょうが、竹内久美子さんが、著書の中で、

ヒトの《♀》が言語能力を発達させたのは、生殖相手である《♂》に関する情報を《♀》の間で交換することが極めて重要であり、《情報交換》能力の高い《♀》が子孫、即ち遺伝子を残しやすかったため。

と書いていました。

ジジイはこの種の会話➀➁➂に加わるのがあまり得意ではなく、山に登るのも、自転車をこぐのも、ひとりふたりぐらいで黙々とやるのでしょうね。
パチンコとか、ゴルフの打ちっぱなしとかも、黙々とやる。

父が70歳ぐらいの時に、死ぬまでに行きたい所がある、と言い出したので、会社から休暇を取り、二人でツアーに参加したことがありました。
「母娘の参加はよくありますが、父親と息子、というのはきわめて珍しい」
と他の参加者から大いに感心されました。
母と娘は、娘が成人後も《毛づくろい》を楽しむけれど、父と息子はそうはいかない。息子が成人後にはジジイが2頭になってしまうからでしょう。
実際、私と父の関係も、親しく会話を楽しむようなものではありませんでした。

唐突ですが、noteの「コメント」も女性の会話型が多いように思います。

ジジイはひとりふたりで黙々と何か、──穴を掘るとか、刀を鍛えるとか、面を打つとか、──を行う。
あるいは、ジジイであることを隠して、女性の《群れ》に入っていく。

どちらかを選ばなければならないのかもしれません。

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