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高野洸 "AT CITY" の夜

ついに高野洸 2nd Live Tour “AT CITY” のDVDを買った。

配信でわりと事足りてしまうこの時代にあって、DVDを買ったのは実に5年ぶりだ。

ぽか宅では2023年の12月、激動の年の暮れに
"AT CITY" DVD公演が開演することと相なった。

んま〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
その楽しいことといったら。

過去は過去、映像は映像、と斜にかまえていた自分が恥ずかしい。


今回はその感想をゆるっと書き連ねていきたい。



高野洸 "AT CITY" の世界

終わりから始まる、秘密の時間

開幕を彩るのは "New Direction" だ。

わたしはまだ高野洸 1st Live Tour “ENTER” を詳しく知らないので不確実なのだが、同曲は "ENTER" 本編(アンコール前)のラストの曲だったようだ。

同曲を歌い終え、ひとつのライブが幕を下ろすと散り散りになっていくメンバーたち。

高野洸自身も足早にその場をあとにする。

しきりに気にするのは、手元の腕時計だ。


そして誘われる "BAR AT" 。

音楽をカクテルとして提供する、隠れ家的バーだ。

バーも音楽も大好きなわたしにとって至福の世界観であった。


バーの経営者にしてバーテンダーとなった高野洸が1曲目に歌うのは、"Precious" だ。

さて、これをバーでの1杯目に例えるなら。

この "Precious" は、席につくやいなや「とりあえず」で流れるようにオーダーするビールのイメージだ(さっそくカクテルではないが)。

バーのカウンター席で飲むビールは、目の前で黄金の液体がサーバーからグラスに流れ込む様を眺めるだけで、一日で使い果たし空っぽになったHP, MPのゲージが新たに満たされていくようで、わたしは大好きだ。

この "Precious" にはそんな、これから新しい夜が始まるというようなワクワク感が感じられた。

"Precious" の冒頭、

長い一日の終わり
ソファーに身を委ねて
明かり落とす部屋で

という歌詞から、自室でよく飲むビールをあえてバーで飲む時の、特別感の中にも感じる安心感を想起する。

たが、同じものを飲んだとしてもバーで飲むのとやっぱりひと味もふた味も違う。

かけ違いの運命 You&me
想いはそっと飲み込んだ

バーで飲む時に「飲み込む」のはお酒だけではないことがある。

時によって、疲れや悩みや、思い出や意気込みや、言葉にならない何か、誰にも言えないけれど誰かに聴いてほしい何かを、お酒と一緒に流し込むことが少なくない。

特に意図してはいないだろうが、"Precious" の「想いはそっと飲み込んだ」は、この世界観の中ではひときわ意味をもつフレーズに感じられた。


つづく2杯目は、
"You've Broken My Heart"
"It's my bad"
"Memory of Sunset"
の3曲から成るカクテルだ。

芳醇な香しさ・炭酸の舌ざわり・夏の彩りが感じられるカクテルなのだそうだが、その味にはどこか「苦味」があった。

なんとなく頭に浮かんだのは、トニックウォーターの炭酸で香りがふわっと広がる中に、カンパリの苦みがアクセントになり、夕焼けのような鮮やかさがうつくしい「スプモーニ」だ。

3曲とも、誰かとの別れ・喪失の落とす影が色濃く、胸がギュッとなる組み合わせだ。

1曲ずつを単体で聴くのもよいが、こうして3曲をワンセットで聴くと、それぞれの主人公の心情がかけ算的に熱を帯びるから不思議だ。


余談だが、このライブDVDを購入して視聴するまで、同公演のセットリストを聴いて少し予習をした。

正直、セットリストを聴くだけでは、そこまで流れやストーリー性を感じ取れなかった。

だが公演を見ながら、点が線となって面となって、ひとつの形となってつながってゆく感動を、ひとつの作品としての息吹や体温を、感じた。


そういえばサブスクで大量の音楽にアクセスできる昨今、わたしは楽曲を単体で聴くことが圧倒的に増えた。

ひとつのアルバムを何度もリピートするよりも、さまざまなアーティストの好きな楽曲だけをプレイリストに入れて、いいとこ取りをする、というような聴き方だ。

だが、ありきたりなことを書くが、音楽の味わい方にもいろいろあるのだと本公演を眺めていて改めて思った。

楽曲それ単体では見えない景色がたしかにあるのだと。


さて、話をライブ本編に戻そう。

続いて、来店した訳ありそうなお客さんに提供される3杯目は、"Embrace" だ。

年の暮れに雪国で本公演を見た筆者にとって、この曲がもう〜沁みる、沁みる……。

これを聴いて真っ先に浮かんだカクテルがある。

「ホット・バタード・ラム」だ。

ラム酒・砂糖・バター・熱湯でつくられる冬定番のホット・カクテル。

甘い香りに包まれて
頬張る Cinnamon Stick

とにかくこの歌詞がぴったりだ……単純に今飲みたいだけかもしれないが。

ちなみに、「ホット・バタード・ラム」のカクテル言葉は、「良き思い出」だ。

この曲の導入のようにバーテンダーのオススメで提供されるカクテルは、バーテンダーがカウンセリングのように自分の好みや気分を引き出してくれて、自分のことを思って、自分のためだけに目の前で丁寧に作ってくれ、それを飲む間も近くに居てくれて、時にはあれこれ会話したりして、たまに隣のお客さんとも盛り上がったりして……その空間・時間・所作・音・香り・味・会話や無言のやりとりまでもその全てが、特別だ。

その1杯だけで救われた夜があったことを思い出し、この曲のパフォーマンスに胸がいっぱいだった。


そんな中、このバーでの最後の1杯は、"Untouchable Love" だ。

不思議なことに、筆者はこの公演を見た日の朝、目覚めのまどろみの中、この曲が脳内で流れるなどした。

いい曲だよね〜、って急に雑な感想だが。

この曲をカクテルに例えるなら「ギムレット」だろうか。

カクテル言葉が「遠い人を想う」「長いお別れ」である「ギムレット」の、すっきりしたまとまりの中に複雑な甘味とキレのある味わいがぴったりだ(もう飲みたいだけ)。


ところでこのセットリスト、「制御」というワードが3曲で出てくる。

そのうち2曲が、この前半に配置されている。

その魔法に かかってしまえば もう
制御できない

高野洸 - Precious

一瞬で魅せられて
制御不能な状態

高野洸 - Untouchable Love 

上記の色恋の文脈からずれるが、バーで「制御不能」になってゆく人たちを何度か見たことがある。

バーという空間の特別感、その居心地のよさ、バーテンダーのもてなしの力、お酒の魔力、それらが夜が深まるにつれてお客さんたちの制御を取っ払ってしまう、その人の人間性が暴かれてしまうことがたまにある。

思えば、高野洸がしきりに気にする「時計」も「制御」の象徴でもあったように思う。

よくよく考えてみると、本ライブツアーが開催された2022年も、ちょうどコロナによる「制御」が解かれ始めたタイミングだった。

コロナ禍での、バーをはじめとするサービス業の夜の静寂は、いまだかつて経験したことのないものだった。

そこにやっと灯りがともり、人々が再び集い、にぎわいを少しずつ取り戻してゆく様は、まさに「制御」からの解放のタイミングであったように思う。

そんな時期にこの公演が幕を開けていたのだと思うと、なんだか味わい深いものがある。

さて、そんな "BAR AT" でのくつろぎの時間も終わりを迎える。

"Untouchable Love" の

止めるなDesire

といわんばかりの余韻を抱えたまま、バーを出てわたしたちは、夜の街 "AT CITY" へと繰り出してゆく。


そのインターバルに流れるのは "SECRET" のRemixアレンジだ。

ダンサー陣のパフォーマンスも加わった時の、このかっこよさといったら。

クラブと錯覚するような胸の高鳴りがあった。

現地にいたら間違いなく踊りだしていただろう。


ところでこの公演、映像ならではの編集が素晴らしい。

おそらく、ステージ上のスクリーンに映されていた映像を、画の上に重ねているのだと思う。

それが、本当に、良い。
しびれる。

特に "WARNING" の編集は、それだけでMVにもなりそうな完成度である。

ライブはやっぱり現地がいいと思ってはいるが、この映像の、向こう側のステージとこちら側の画面が溶け合うような数次元の奥ゆきには心から拍手を送りたい。

身体はお茶の間にありながらも、ちゃんと "AT CITY" に「行けた」ような気がした。

ライブ映像にこんな楽しみ方もあるのだと感動した。


話を戻そう。

ここからは、「制御」から解放された欲深い夜の風景だ。

もうタガが外れたといわんばかりに恐ろしいくらいの高カロリーな楽曲が続く。

まずは "SECRET" でクラブのようなハジけるダンスチューンからスタートだ。

ここからの "Pull the Trigger" は、あまりにも艷やかで最高のコンビネーションであった。


ところで先に述べた、「制御」の3曲目はこの "Pull the Trigger" だ。

疼きを制御できない

そんな同曲の冒頭では、

0時を指す時計外して

と歌われている。

冒頭から "BAR AT" でもしきりに気にしていた「制御」の象徴である「時計」がいよいよ外される。

からの「制御できない」ときたもんだ。

その色っぽさといったら。
両手で顔を覆いたくなるほどだ(指のスキマからしっかり見てはいるのだが)。


そういえばこの公演、女性のダンサーさんがいるのがとても良かった。

こういうことをあまり性別では語りたくないが、男女の身体性のちがいが高野洸の男性としての魅力をどうしようもなく際立たせていて、それが楽曲の魅力・世界観をより引き出していたように思う。

(昨今の一部のエンタメ、きっと難しいとは分かっていながら、もっと男女の分断がなくなればいいなあと個人的には思っている。)

そして振り付けがどれも最高に好きだ。

ちなみにお気に入りは、"Pull the Trigger" のコリオである。


この "AT CITY" のパート、わたしとしては夜の街を「眺める」というような印象であった。

すべての曲が一直線の物語としてつながっているというよりも、横並びに点在している「それぞれの夜」を覗き見るような、夜の街全体を眺めるような、そんな感じだ。

数多あるうちのひとつの景色が、"tiny lady" のくすぐったさであったり、"Can't Keep it Cool" の健気さであったり、"WARNING" の孤独な焦燥感や奮闘であったり、"Another Brain" のスマホ越しの世界旅行であったり。

いつの、どの夜にも、それぞれの物語がある。

……ここは決して各楽曲の詳細を書くのをあきらめて一括したわけではない(大声)。


ところで、先日の "Another Brain" の記事にも書いたが、このタイミングであの高カロリーなコリオを踊りながら本当に歌……っていましたね……?
さすがに変な声が出た。

というか、終盤も終盤、"ASAP" が控えているってぇのにあーた……あの雀の涙ほどの休憩時間で "Another Brain" のイントロが流れ始めてしまったので、画面の前でつい正座をしてしまった。

もはや手に汗にぎる応援上映と化していた。

からの "ASAP" である。
もう何も言うまい。

あんな全身全霊のパフォーマンスを……
ありがとう高野洸……。

画面越しにも意気込みがひしひしと伝わる、素晴らしい本編だった。


晴れやかなアンコール

本編で物語としての魅せ方を徹底していた分、役をほどいたアンコールでのリラックス感が一層まぶしかった。

本編後半のあのハードモードを乗り切った解放感もあったかもしれない。

"Way-Oh!!" で仲間とキラキラ盛り上がり、"slow game life" で部屋で友だちとまったりし、『鶴』では一人静けさの中で大事な人に思いを馳せ、そして『ツイてる。』で現実の日々に戻っていくような、そんな少しずつ「帰って来る」ような感覚。

本編での近未来的な小旅行があったからこそ、アンコールの現実味がいい味わいであった。


未来に進むための、ひとつの夜

この "AT CITY" は、夜の物語であったように思う。

このアンコールまで全てを通して見た今、「夜」というのは一日の「終わりの時間」でもあるが、新しい朝を迎えるため、つまり「また始めるための時間」でもあるのだと思い至っている。

なにせ、セットリストに繰り返し出てくる特筆すべきワードに「未来」があるのだ。

自分自身を信じてよ
未来の方へ 踏み出すんだ
思いのまま進め

高野洸 - New Direction

キミはすぐに前を向いて
迷わないで
未来の方へ進むだろう
その背中 とても綺麗さ

高野洸 - You've Broken My Heart

I'll never let you go
どんな未来でも連れてゆくよ

高野洸 - Untouchable Love

静かに終わりに近づいてる
見えづらい未来に笑っていこう

高野洸 - ASAP

そもそもだが、1曲目の "New Direction" の冒頭でこう歌われている。

俯いたまま どうするんだい?
自問自答Closing my eyes
情報過多 飲まれた連中は
明日を憂いてばかり
僕らこのままでいいのかい?
そんな事ないだろう

この問い・悩み・迷いを、公演全体で払拭していくような、「未来の方へ 踏み出すんだ」と背中を押してくれるような、そんな公演だったように思う。

幻想的な "AT CITY" から戻って来てアンコールも経てから改めて向き合ってみる現実の世界は、ほんの少し「まだがんばれそうかも」、そんなふうに思えはしないだろうか。

きっとそれぞれに、楽しい夜も、寂しい夜も、きらびやかな夜も、静かな夜も、誰かとの夜も、一人の夜も、あるだろう。

そのどれもを包み込むような、生命力あふれる公演だった。

なんだか背中を押された気がして、今やたらと活力が湧いている(ので、この記事を書いている)。

そしていつか「バーチャルシステム」を介さない「今の」"AT CITY" を覗いてみたいとも思うのだった。

あの丁寧すぎて出遅れちゃうAIさんにも、いつか会ってみたいなあ。


"Behind the Scene" に学ぶ余白と矜持

わたしは高野洸の何にそんなに心を掴まれているのだろう、と今だによく考えるのだが、その答えの片鱗を、このバクステ映像に見た気がする。

本人が繰り返し口にする「不安」という単語。

高野洸はどうしようもなく人間だなと思うのだ。

当たり前のことすぎて、この表現がもし誰かに嫌な思いをさせてしまったら申し訳ないのだが、わたしとしては最上級のほめ言葉として書いている。


何かを作り上げるとき、そのルートには大きく2種類あるように思う。

ひとつは、芯を固めてそこに肉づけをしていって枠に収める方法。

もうひとつは、一度枠を無視して全てを広げて、そこから削って枠に収めていく方法。

わたしは圧倒的に後者を選ぶことが多い。

だから、今回のバクステ映像はやたらと胸にグッとくるものがあった。


何かを作り上げる過程で、必ず一度は飽和状態になってあふれる瞬間がある。

やりたいことや、伝えたいことがあると、なおさら芋づる式にあれこれ肉付けしたくなって、どんどんと広げる風呂敷きが大きくなってゆく。

だが、決められた予算・時間・人員や物品といったコストに収めるには、どうしても削らざるを得ない部分が出てくる。

バクステの映像には、本公演ができるまでのそのプロセスと、高野洸の葛藤が映し出されていた。


印象的だったのは、「ガス欠になっているから、削らないと(意訳)」とのアドバイスに対する高野洸の返答だ。

「人に言われて抜くのはきつい、自分で決める(意訳)」

そう。
そうなんだよな。

「人に言われて抜く」のは、「抜く」というタスクが「増える」ことになってしまう。

結局それは、飽和状態の脳にまた to do が追加されることになってしまって、さらに溢れてしまうのだ。

いつかの自分を見ているようで唸ってしまった。


じゃあ、「抜く」とはどういう作業なのだろうか。

このバクステを見て学んだ。

大事なのは「何を残すか」ということだ。

きっと、「何を削るか」を考えるのではなく、

「何を伝えたいのか」
「どう見せたいのか」

を突き詰め、「譲れないものは何か」を抽出していく作業が、ともすればそれは己の内なる声にひたすら耳を澄ます作業が、必要になっていくのだ。

見せたいものに注目して際立たせれば、自ずと構成やコントラストができて、だんだんと形になっていく。

そのためには、逆に言えば一度あふれさせるプロセスは必須なのかもしれない。

「限界値がわかった(意訳)」

と高野洸が話していたが、ここもものすごくいい瞬間を見させてもらった。

限界値がわかってからその範疇に残っていくもの、そして、どうしても収まり切らずにはみ出してでも残ってしまうもの・譲れないもの、そこに、その人の魂みたいなものが宿る気がしている。

きっとそれを知ることが、結果的に「限界値」の天井を引き上げていくことになるのだろうし、成果物の質も格段に上がっていくのだと思う。

飽和しあふれてからの「抜く」作業は、「引き算」に見えてその実、「抽出」の作業でもあるのかもしれない。

(蛇足だが、この「完成を目指して一点に集中し、感性が研ぎ澄まされていく」という様、この公演の次に発表されることとなる "zOne" への布石にもなりはしないだろうか……。まあさすがに考えすぎか。)


そして、重要なのが「寝かせる」という選択肢だ。

飽和し、あふれ、不安と焦燥にかられる時にやるべきことは、あえての「寝かせる」という休息の時間をもつことだ。

お菓子づくりなら発酵だし、お酒なら熟成だ。

煮物も、一度冷ましてからのほうが味が沁みたりするものだ。

だから「寝かせる」ということを高野洸が話したときに、ハッとした。

わたしは個人的にいつもそういう過程で苦労するのだが、人様のそのプロセスを客観的に見られたことが今回ものすごく勉強になった。


話を少し戻そう。

高野洸の口にする「不安」。

おこがましいとは分かっていながら、ここに共鳴するものがあるのだと思う。

フィールドも規模も育ってきた環境や生活圏もまったく違うが、同じ時代を生きる者として、わたしたちは多かれ少なかれ「不安」ととなり合わせの日々を生きてはいないか。

だから、きらびやかで華々しいエンタメ業界で目まぐるしく活躍する高野洸が、どうしようもなくわたしたちと同じ「普通の人間」である瞬間がたまらなく好きなのかもしれない。

そしてそんな「不安」を口にする彼が、ステージに立てばそんな不安なぞ微塵も感じさせない圧倒的パフォーマンスを披露するその生き様が、もう、もう、最高なんである(急に語彙)。

不思議なもので、彼を応援する過程で、わたしはいつの間にか自分自身をも応援できるようになっていることがある。

それはひとえに、どこか不器用ながらも真摯に作品づくりに励む人間・高野洸という存在のおかげだ。

彼はわたしにとって希望の光ですらある。

……と、そんな激重特大感情大爆発不可避な、"Behind the Scene" であった。


さいごに

なんとまあ今回も長くなってしまった。

2023年後半は、本当に高野洸に救われた日々だった。

そんな振り返り・昇華・成仏も兼ねての本記事であった。

なんにせよ、お茶の間でゆるっと見る "AT CITY" は純粋にとーっても楽しかった。

困ったことに、"AT CITY" を経たことで改めて "mile" に行きたくなってしまっている(追加公演の現地まだあきらめていない定期)。

バクステのラストに語っていた、次に活かしたい課題(意訳)がどうなるのか、刮目したくなってしまうではないか。


いずれにせよ、年明けには "mile" 追加公演、そして "ex-Doll" 発売と、次の楽しみがまた控えている。

来年もゆるっと遠くから、高野洸の音楽を楽しんでいきたいと強く思うのだった。


高野洸さんについての記事はこちらにまとめてあります。


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