ひとりじゃない、って
ドラゴンボールGTが大好きでね。
今まさに頭の中でDEENの
『ひとりじゃない』が流れているわけだけれど、
今回書きたいのはドラゴンボールの話じゃない。
最近やたらと「ひとりじゃない」と思う。
わたしは、SNSでは瞬間風速的に「いい!」と思ったコンテンツを貼りつけたり、noteではじわじわと胸に残った感動や風景を書きつづったりしていて、よく最終的にこういうことを書く。
「ひとりじゃない」
「孤独を忘れられた」
「大丈夫だと思えた」
的なことを。
でもさ、本当にひとりじゃない人って、「ひとりじゃない」なんて考える必要もないんじゃないかな。
本当に孤独じゃない時はそもそも「孤独かどうか」なんてところに軸はないし、わざわざそんな言葉を書いたり口に出したりしない。
つまるところ最近「ひとりじゃない」って思いながら、「どうしようもなくひとりだ」と認めざるをえないのだ。
だからわたしの書く、
「ひとりじゃない」
「孤独を忘れられた」
「大丈夫だと思えた」
ってのは、感動とか安心感とかではない。
きっと、怯えだし、見栄だし、自己暗示だ。
そう言い聞かせないと立っていられないのだ。
そしてその「ひとりじゃない」の多くが、音楽や演劇やドラマや映画や本といった何かしらのコンテンツにふれることで湧きあがってきたりする。
だが、それらすら遠い、まったく届いてこない、なにも見えない聴こえない響かない、そんな孤独の深い夜がある。
それが今夜だ。
音楽がうるさい、ラジオも耳ざわり、テレビはつけもしないし、小説は同じ行を10分くらい眺めてしまうし、マンガの書き込みがバーコードに見える、SNSなぞ言語道断、冬の静寂すらやかましい。
寂しくて何かを渇望しながらも、まったく何も受けつけないぶ厚い殻に立てこもる。
なんて夜なのだ。
不思議なもんで、だいたいオフの日にこうなりやすい。
そういえば、休んで力が抜けると、ドッと疲れが出たり「本当の体調」が出てくる、みたいな話をきいたことがある。
たしかに、仕事や用事がある日はアドレナリンで乗りきっている部分があるから心身はなかば興奮・緊張状態で、ここまでゆるゆるにはなりにくい。
とすると、休日にどうしようもなくひとりぼっちだと思い知る夜の、この感じって、普段は奥にしまわれてるコンディションが手前に出てきている状態でもあるのかなと、苦笑いしてしまう。
実際どうなのかはわからないけれど。
とにもかくにも、今こんな感じなんである。
いったん記録として書いてみた。
そんな幕あけの今週末は、東京に遊びに行く。
大すきな友人たちに会いに行く。
ちょうどいいタイミングなのかもしれないな。
ままならない寂しさに震えながらも、彼女・彼らに会うのをたのしみにしておこう。
ひとまず、今夜はあたたかくして、よく寝ます。
ご自愛、ご自愛。
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