高野洸『鶴』と見た空
雪が降ってしまう前に、書き残しておきたいことがある。
高野洸の楽曲『鶴』と見た、とある日の秋晴れの空の話だ。
この夏、わたしは6年の東京生活をすべて片付け、10年ぶりに山形の実家に戻った。
理由は2つ。
東京でヘトヘトになってしまっていたため、そして、祖母の介護をするためだ。
なぜ孫が介護を?という疑問については、めんどくせ〜〜〜家庭の事情が絡むので割愛させてほしい。
いざ戻ってみると、介護の大変さに打ちひしがれることとなった。
日中はデイサービスに行くので一日中つきっきりというわけではなかったが、祖母がデイサービスに行っている間に自分の仕事をしに出かけ、家事や雑務を片付けるとなると、それだけで一日のスケジュールはぎっしり。
東京で自分一人のことだけを考えて悠々と暮らしてきたわたしには、かなりの激動であった。
初めての介護がいかに大変だったか、家族・親族と分かり合えないことがどんなに孤独だったか、自分の好きなように過ごせないことにどれほど心を削られたか、まあそれは、すべて自分で選択したことの結果なのだから文句を垂れるつもりはない。
そんな介護は、7・8・9月と続き、10月頭には終わりを迎えることとなる。
わたしが実家に戻ったのが6月30日、祖母の体調が急変して入院したのが9月30日だ。
ちょうど3ヶ月。
だが体感2年くらいあった。
ともあれ最後の3ヶ月を一緒に過ごすことができたのを幸せに思うし、大変なことはあったにせよ実家に戻った選択はやっぱり間違いではなかったと思う。
忙しい両親に代わってこれまでたくさん面倒を見てくれた祖母に、少しでも恩返しができたのではないかと、そう思う。
介護をしながら祖母と向かい合うとき、わたしの名前を忘れていてもなお向けられる「まなざし」のあたたかさは、いつも愛に満ちたものだった。
真意は確かめられなかったし、わたしがそう受け取った・そう信じたかったというだけの話だが、ここは変に自信があるのである。
葬式では泣かなかった。
最後の3ヶ月で、全てを受け取り、全てを伝え渡しきった感覚があった。
寂しさも、後悔も、未練もなく、ただわたしは祖母にもらったものを胸に、自分の人生を生きていくだけだと、そういう気持ちでいる。
この3ヶ月で見たもの感じたもの教えてもらったことは、あまりに大きく、あまりに沢山で、いまだに分からないことばかりだ。
家族とは何なのか、愛とは何なのか、親子とは、子育てとは、暮らしとは、生きるとは、死ぬとは、いったい何なのか。
そのどれもが、やっぱり分からない。
なんなら、余計分からなくなった。
それでも、長らく自分の「生」を肯定できずにいたわたしが、祖母にもらった宿題に対して自分なりの答えを探しながら、また自分の毎日をたゆまず生きていこうと思えた3ヶ月だった。
祖母が亡くなってから2週間後。
介護中に知ったアーティスト・役者の高野洸の楽曲『鶴』と出会う。
車で高野洸の音楽をかけていて、『鶴』を聴いたのはこの日が初めてだった。
2023年10月19日の話だ。
不思議だった。
聴いていると、なぜなのか、祖母が思い出されるのである。
聴こえてくる歌詞のやわらかさに、つい車のスピードを落とし聴き入っていたら、ぽろぽろと涙があふれて止まらなくなったのを覚えている。
悲しいとか寂しいとかではなく、どうしようもない祖母への愛おしさが、愛着が、親しみが、胸をいっぱいに満たして涙となって溢れたような、そんな感じであった。
指先まで熱が巡るような、心があたたかくなるような、そんな多幸感。
さすがに視界がぼやけてしまったので車を停めた。
すると、『鶴』の流れる車内からは、真っ青な、どんな高さかも分からないほどの澄んだ秋晴れの空が見えた。
雲一つなく、ただ太陽だけがそこにあって、覆いかぶさるような空の広さと、その青さ。
そういえば、空をちゃんと「見た」のはものすごく久しぶりだった。
いつもそこにあったのに。
『鶴』を聴きながら、目の前に広がる光あふれるうつくしさに、しばし見とれたのだった。
そんな不思議な体験をくれた『鶴』が気になって後から調べてみた。
そして驚いた。
なんと『鶴』は、彼の祖父を想って作詞された曲なのだそうだ。
彼が祖父を想って作詞した曲を、その背景を知らぬまま聴いたわたしが祖母に想いを馳せ、涙したのだった。
こうやって音楽に救われながら日々を生きていると実感した日だった。
今でも、『鶴』を聴くとあの時見上げた秋晴れの空を思い出す。
泣かなかったのか、
泣けなかったのか。
そんなわたしの心をほどいてくれたあの旋律と詞には何とも言えない愛着がある。
この『鶴』を初めて聴いた時に通った道は、出勤する時によく通る道だ。
その道を通るたびに、高野洸の『鶴』を、あの空を、あの3ヶ月間を、祖母のあたたかなまなざしを、思い出すのである。
冬になり雪が降れば、その道はしばらく通れなくなる。
それももう目の前だ。
その前にこうして、ただ書き残しておきたかった。
次にあの道を通るであろう春には、もう少し成長した自分でいようと、「あなたみたいに強くなれた」姿を見せられるように励もうと、そう空を見上げながら誓ったのだった。
高野洸さんについての記事は、こちらにまとめてあります。
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