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[活動報告] 三度目のルワンダ渡航

こんにちは、アフリカと子どもが大好きな19歳のハセガワトアです。

お久しぶりです、しばらく投稿できていませんでした。

ルワンダから帰ってきてから三週間が経とうとしています。

一日中ゆっくりして、たまに絵をかいたり本を読んだり、自由に過ごしていました。

ようやく日本に帰ってきたという事実を受け止められるようになってきて、幾分か心も前を向き始めています。

でも、たくさんのことを学び、愛にあふれていたルワンダでの日常をこのまま忘れるのは嫌なので、活動報告を兼ねてここに残しておこうと思います。

一月 ルワンダの人々との再会


年末年始に日本に帰っていたので、一月は子どもたちやママたちとの再会から始まりました。

初日の朝、やっとあの子たちに会える、そう胸を躍らせながらナーサリーの扉を開けました。

途端に走ってハグをしに来てくれる子どもたち笑顔で手を振ってくれるママたちの姿が目に飛び込み、幸せな気持ちでいっぱいになりました。

日本から持ってきた風船やおもちゃ、子供服を渡し、子どもたちもママたちも喜んでくれ、その笑顔を見てまた幸せな気持ちになりました。

帰ってきてこんなに歓迎してくれる人がいて、私は本当に幸せ者なんだな、そう実感した初日でした。

次の日からも毎日ナーサリーに通い、ひたすらに子どもたちと遊んでいました。

前回来た時よりも子どもたちが言葉が出るようになっていて、以前より容易に意思疎通ができることに感動するとともに、子どもの成長過程を間近で見ることができたことに喜びを感じました。

同時に、徐々に重たくなって抱っこをする回数が減っていくことに、少し寂しさも感じました。

ちなみにノエラと初めてYouTubeの撮影をしたのも一月でした。

新しい一歩をルワンダでできた友達と踏み出せてすごくうれしかったです。

これからどうなっていくか分かりませんが、ノエラの夢のために応援していただければ幸いです。

そんなこんなで一月はあっという間に過ぎていきました。

二月 いろいろなことに挑戦、そして入院


二月は、キセキのスタッフの結婚式から始まりました。

以前も書いたように、この時ブライズメイドに挑戦させてもらい、すっごく緊張しましたが、花嫁に喜んでもらえて嬉しかったです。

結婚式に関しては、別の記事に細かく書いているのでそちらを見ていただければ幸いです。

また、二月には古着の配布会の企画運営に挑戦しました。

今まで長期滞在の先輩がしているのを陰で見ていましたが、まさか自分の番がくるなんて思ってもいませんでした。

今までの自分なら断っていたと思いますが、失敗したとしても一度はやってみようと思えるようになったことで、その役も引き受けることができました。

結果は大成功でした!

思ったより混乱もなく、落ち着いてママたちも服を選べましたし、平等に配ることができました。

キセキに長期間いた割に、自分でイベントの企画からするのは初めてだったので良い経験になりました。

そしてそして、いろいろなことに挑戦して満足のいく月になったなと思っていた矢先、月末に入院となったのです。

ルワンダに来てからどんどん発作も減ってきて、寛解の兆しすら見えてきていた時に、発熱で受診した病院で発作が出てしまったのです。

発作が出ること自体に落ち込むことはなくなってきていましたが、この時ばかりは相当落ち込みました。

やっぱり治ってなかったんだルワンダでも自分はダメなんだ、そう自分を責めながらも、落ち込んでいることを悟られないようにいつも以上に元気なふりを退院後はしていました。

ただやっぱり六日間ほとんど動いていなかったので、ナーサリーに行くのは体力的に厳しく、最後の日まで今までのようには行けませんでした。

そんな私を見て、キセキのレジデンススタッフは手をつないで一緒にナーサリーに行こうと誘ってくれたのです。

彼女たちは昼食を取りに、毎日ナーサリーにお昼の時間になったら行くのです。

その時についていって、少しだけ子どもたちやママたちに顔を出せば?と提案してくれました。

一人で歩いていて倒れたら迷惑になる、そんな気持ちからナーサリーどころか外出もできていなかったので、誰かと一緒なら、そう思い一緒に行くことにしました。

退院するときには、きっともうすぐ帰ることになるとは察していたので、退院後に初めてナーサリーに行ったときは泣きそうになりました。

あと何回この子たちの顔を見れるんだろう、あと何回この子たちを抱っこできるんだろう、そう思い涙をこらえながら彼らとハグしました。

そして予感は的中し、二週間後の帰国が決まったのがその日の夕方でした。

数日間はこうしてお昼の時間だけナーサリーに行きました。

三月 帰国まで


帰国のとき、なんと両親がアフリカに迎えに来てくれました。

高校生の時は何度も保健室に迎えに来てもらい、大学生になってからは片道二時間かけて大学まで迎えに来てもらい、そして今回はアフリカにまで迎えに来てもらい、もう本当に頭が上がりません。ごめんなさい、そしてありがとう。

ルワンダでの最後の一週間は両親と過ごしていたので、キセキで過ごしたのは三月の一週目だけでした。

あと二か月もあると思っていたのに、まさか自分がほかの滞在者より先に帰ることになるなんて。

一秒一秒を噛みしめるように、子どもたちとの時間を過ごし、退院してから一度もしていなかったダンスをみんなで踊り、他の滞在者とたくさん話し、本当に充実した一週間を過ごしました。

そしてキセキを出てからは、両親と一緒に、私の好きだったルワンダを回りました。

そんな感じで私の三回目のルワンダ渡航は幕を閉じました。

ルワンダで得たこと


終わり方こそこんな感じになってしまいましたが、ルワンダでたくさんのものを得たことには違いありません。

自分を愛してくれる人たちに出会い、自分が愛を注ぎたいと思う人たちに出会い、この先もまた語り合いたいと思う同志たちに出会い、いつか恩返ししたいと思う人たちに出会い、本当に愛にあふれた幸せな日々を過ごせました。

間違いなくルワンダでの経験は私の心を癒し、生きる希望を見つけさせてくれました。

きっと土地が変わっても、言語が変わっても、ルワンダでの経験は私を助けてくれると信じています。

だから、大好きなルワンダでも、アフリカでもダメだったという最悪の状況ですが、そこまで落ちずに済んでいます。

私の最終目標は変わらず、自分と同じような境遇だったり、生きにくさを抱えたりする子どもたちの居場所を作ることです。

ルワンダで得た経験も、ルワンダでもダメだったという経験も、どちらもこの最終目標のためには必要だったのだと思います。

そう信じて、またこれからゆっくり頑張っていきます。

最後になってしまいましたが、今回の渡航にあたりご支援、応援してくださった方々、本当にありがとうございました。

皆様との約束は果たせなかったかもしれませんが、皆様のおかげで成長できましたし、応援してくださる方々がいるという事実が大きな支えになりました。

こんな未熟な私ですが、どうかこれからも温かく見守っていただけたら嬉しいです。

ご支援、たくさんの応援メッセージ、本当にありがとうございました。


長くなってしまいましたが、最後まで読んでいただきありがとうございました。
次回の投稿も読んでいただけたら嬉しいです。


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