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病に打ち勝ち、強運だけで3カ国を渡り歩けるようになるまでのおはなし。

友人がそっと背中を押してくれたことがきっかけで、埃を被っていたnoteを取り出し、拙いながらも気の向くままに言葉を紡いでみた。

元々文章を書くことが好きではあったので、ただただ自分の楽しさを優先して綴りはじめた結果、10,000字超の膨大な内容となってしまい、自身の持つコントロールしきれない承認欲求にいささか戦慄を覚えた。

さて、深夜2時前に勢いのまま投稿したこの記事がきっかけで、過去の記事に目を通していただいた方が何人かいらっしゃるようなので、興味を持っていただけたことに深く感謝をしつつ、私が未だに海外就労を続けることとなった諸悪の根源、もとい、出発点について書いていこうと思う。

大好きなファーグバーガー。豆腐バーガーも美味しい!

これは、「これまでにまともに自己紹介もしていない、得体の知れない在外邦人の文章が、いったい誰の心に刺さるというのだろう」と疑問に思ったことが大きい。
いかにしてポンコツがポンコツ泥臭海外人生を全力疾走することとなったか、自己紹介がわりに読んでいただけたら幸いです。

痛みを伴った分岐点

話は数年前に遡る。
当時の私は副腎疲労症候群という病気に悩まされていた。
英語でアドレナルファティーグとも称されるこの病は、腎臓の近くにある副腎という臓器が、慢性的なストレスにより疲弊し、その結果抗ストレスホルモンの分泌が悪くなるというもの。
違和感を覚えたきっかけはほんの些細な事であった。いつも問題なく対応できていた物事が一切出来なくなった。
例えば上司に『この書類のコピーを取ってくれ』と言われたとする。今まで何度も頼まれた何気ない雑務であれば難なくこなせるはずだが、副腎疲労にかかると『このボタンを押したらA4白黒コピーにならないか?何も言われなかったがきっとカラーコピーが必要だよな…そもそも原本ここに入れるんだっけ?大丈夫?合ってる?』と必要以上に悩み、『こんな事今まで何度もやっていたじゃん。早く終わらせなきゃ。』といった焦りに変わり、身動きが取れなくなるのだ。

とにかく気が休まらなければ体も満身創痍であった

他にも、朝起きることが非常に困難になり、起床時は常に頭が重くなったり、アリナミンVやユンケルで無理矢理にでもエンジンをふかさない限り、前に進むことすら難しくなるほど集中力が低下し倦怠感に襲われていた。そんな状態だから人に物事を説明することも上手くできなくなり、私は職場で怠け者のグズだと手のひら返しで冷たくされた。

自分でも(ただでさえ低めの)思考が低下している自覚があり、明らかにおかしいと感じていたため、ひとまずGoogleで『今までできていたことができなくなる』と打ち検索にかけた。すると真っ先に目に飛び込んできた結果が『うつ病』であった。

正直そんなはずがないと思った。というのも私の認識では、うつ病はとても真面目で責任感の強い、努力家の方がなるもので、私のような無責任な怠け者が一番無縁のものであったからだ。
(決してうつ病に悩まされている方々を否定しているわけではありません。これまでたくさんの努力を重ねた分、ゆっくり休んでご自身を労わってくださいね。)
私は他に思い当たる病名がヒットしないかスクロールをした。検索結果を6,7ページ以上進めた先にようやく『副腎疲労症候群』がヒットし、詳細確認をし、間違いなくこれにかかっているなと確信めいた思いが頭をもたげた。
当時この病はそこまでの認知度がなく、検査を行ってくれる病院も少なかったため、隣県まで検査に赴いた。
その病院で私はありとあらゆるもの(唾液、血液、尿)を取られ検査にかけられた。尿検査の際は前日に摂取を控えるべき食べ物リストも渡され、せっかくの大好物のぶどうを我慢せざるを得なかったこともあった。
数日後、ほぼ答えは分かっていたが診断結果の確認のために再度病院へ。『お互いの好意を確信してるが一応告白はしておくカップルはこういう気持ちなのかな』なんて今ならすぐ思いつくような冗談すら、この時は全く頭に浮かばなかった。大多数の人にとっての正常は、私にとっては明らかに異常である。

ググって病院帰りに買ったグルテンフリーケーキ。食事制限は本当に気が狂うかと思った。

案の定副腎疲労症候群であることが判明。
私の腸内は思春期男子中学生のように荒れており、カビが生えている状態だった。そのカビが私のヤンキー腸内でオラつくものだから、腸に穴が空いてきているとのこと。
その時そっと「栄養ドリンクを飲みながら仕事をこなすということは、ガソリンが空っぽの車にエンジンをふかしてるようなものなんです」とそっと諭されたことをよく覚えている。
その場ですぐ診断書を発行してもらい、マグネシウム点滴を受け、大量のサプリメントと共に帰路へついた。
後日、冷たい態度を隠そうともしなくなった上司に、上手く回らない頭で頑張って病気を説明し、半年間の休職を願い出た。
余談だが当時は保険が一切おりなかったため、通院や治療は全て自費でまかなっていたが、傷病手当金があてがわれていたのが不幸中の幸いであった。

当時処方されたサプリの一部。奥にあるカルニチン(オレンジの箱)は強い酸味と舌先に残る苦味が苦手だったので、毎日息を止めて飲んだ

自責思考を抱えながらも
前進を選んだ

休職を開始してからしばらくの間、私は自分に対して失望にも近い感情を抱いていた。
仕事を休んでいるのに朝ちゃんと起きれない自分も、病院に向かう途中に猛烈な吐き気に襲われ、やむなく途中下車した結果到着に遅れた自分も、休んでる癖に夜全く眠れない自分も許すことができなかった。
この時私は完治したらすぐに社会復帰ができるよう、学生時代好きだった英語を一から勉強しようと思い、何となくとっておいた大学受験用の参考書と、社会人になってから買ったものの、多忙ゆえ一切手をつけられずにいた参考書を引っ張り出して勉強を始めていたのだが、始めた当初は1,2時間もしないうちに強い頭痛と眩暈に襲われ動けなくなることもしょっちゅうあった。

社会人になってから買ったものの、多忙ゆえ一切手をつけられずにいた参考書

こんなにも前に進もうとしているのに、思うように動けない自分が情けなくて仕方がなかったが、その時ふと『まずは頭痛が出るまで勉強し、頭痛がきたらソファーで休みがてら洋画を観て耳だけでも英語に慣れさせようじゃないか』と思いたち、すぐに実行に移した。このことがきっかけで映画が今まで以上に大好きになったのだが、それはまた別のお話。

休職こぼれ話【イタリア語の寄り道が、大きな成果に】

豆乳と米粉パンケーキミックスで作ったパンケーキ。添えてあるのはもちろん豆乳クリーム

私の父は、以前からイタリアに行きたいと言っていたのだが、私が休職を決めるやいなや、すぐにスーツケースを新調し『一緒にイタリアいこうね!イタリア語勉強しておいてね!』と言ってくれた。母も『仕事のことなんか気にしなくていいんだよ!』と言ってくれ、病院から『アレルギー症状が見受けられるため、3ヶ月のあいだ、卵・小麦・乳製品を断ちましょう』という、地獄のような制限を課された私の為にグルテンフリーの食べ物をたくさん探してくれた。

厳密には「卵白を控えるように」と言われたので、自力でマヨネーズを作るなどした

おかげで順調に回復にむかい、少しずつ勉強時間が確保できるようになったタイミングで、英語と並行し、古本屋で買ったテキストで1ヶ月間だけイタリア語を学ぶことにした。
本当に初歩的な会話をかじったのみであったが、その後家族で行ったイタリア旅行中に何度か話してコミュニケーションを取る事ができ、驚くことに現在マルタでもしばしばイタリア語を話す機会に恵まれた。たった1ヶ月の勉強が未だに私を強く支えてくれているのだ。

結局『好き』に救われた

あの頃目に映るもの全てに惹かれたイタリアの近くに、今こうして住んでいるのだから面白い

夢のようなイタリアの旅を終えた後も、私は引き続き英語を勉強し続けた。
イタリア語を学びイタリアに旅立ったおかげで、異文化コミュニケーションがもたらす楽しさ、やりがいをジェラートと一緒に味わってきたので、この時期は『社会復帰しなきゃ』よりも『やっぱり外国語は楽しいなぁー!勉強する度新たな発見があることはこの上なく幸せだなあ!』と純粋に学ぶ楽しさの気持ちの方が強かった。

くたびれた参考書

そうしてくたびれた参考書を何度も使い、勉強していくうちに、ふと海外に行って自分の英語がどれだけ通用するか試してみたいなと思うようになった。
私は英語が好きではあったものの、留学経験は一度もなかったため、自分でもこの発想に至った事に驚嘆した。上司に言われるまま貯金をしながら働いていたおかげで、すぐに実行できるくらいの資本金が手元にあったことももちろんあるが。
当時は『このままじゃダメだ』、『けど、これでもし上手いこと転職できたとて、そこがブラック企業でない保証なんてどこもないよね…だったら一時的に日本から離れてみるのも選択肢としてはアリだな』なんて考えていたことを良く覚えている。

好きだった散歩道。人生みたい。

漠然とした不安を
誤魔化すかのように行動

既に病院から処方されるサプリメントの種類も少なくなり、もう頭痛や吐き気、不眠などには一切悩まされなくなっていたため、まずは情報収集をしようと思い立ち、カナダ留学経験のある友人に話を聞くことにした。
その際に得た情報と、勉強の合間に血眼になって読み漁ったワーホリ体験談をもとに、質問リストを作り、質問リストを片手に複数のエージェントの説明会に足を運んだり、実際に相談と質問、見積もり作成依頼をした。

その時連絡した複数のエージェントが、それぞれカナダ、ニュージーランド、アイルランドへのワーホリで話を進めてくれたのだが、個人的に一番安心して利用できそうだなと思ったエージェントがニュージーランドで話を進めてくれたところだったので、ニュージーランドへ行くことにしたのであった。
(余談だがオーストラリアは昔訪れたことがあったため、行ったことがない国に行きたいなと思い今回は見送った。メルボルンは良いところだよね。)

静岡みたいだなあと思ったオークランド

正直カナダを勧めたところと最後まで迷ったのだが、選んだ決め手としては、現地にオフィスがあること、ホームステイ先で快適な生活ができるか日本人目線でちゃんと確認してもらえていること、そして英語以外のスキル(バリスタ)を学べるコースも用意してくれていたことが大きい。国最低時給が高めで、ビザ申請代が3カ国で一番安かったことも決意を後押しした。
余談だがアイルランドで話を進めたエージェントは、話を聞いて直感的に信用できないなと思った為、早い段階で選択肢から消した。話に具体性が無く、まず私が計画しているプランを頭ごなしにダメ出しすることから始まり、私に一切の質問を許さず、一方的にネガティブな情報ばかりを話し続けた。そうしてこちらに多少なりショックを与えてから、救いの手を差し伸べるかのように提案するやり口に、そこはかとない詐欺の香りを感じ取ったので、話を聞き終わらないうちに『ここはないな』と一番最初に除外した。
当時いくらそのエージェント名でググってもレビューが一切無かったことも不信感をあおった。

あのエージェントの大義とはいかに

カナダ留学をした友人からは、ホームステイ先で酷い目にあった話を聞いたので、エージェントに初回相談時は必ず『友達が過去にホームステイした際に、悲しい思いをしたことがあったので心配で…』とやんわり聞いていたのだが、ニュージーランドを勧めたエージェントが一番安心できる返答だった。(事実ニュージーランドでお世話になったホストファミリーはとても親切でフレンドリーな方々で、料理も美味しかったのでこの選択は正解だった。)

ホストファミリーが作ってくれた料理。美味しくてあとを引く味

すっかり症状は良くなり、副腎疲労は影も形もないように感じたが、病院にはちゃんと相談しようと思い、思いきってニュージーランド計画の話をしてみると、肯定的な返答がもらえ、むしろチャンスがあるなら行くのもいいと思うよと優しい言葉をかけていただいた。
初診時と顔色が全然違うよ!よかったねとも言ってもらえたので、悔しくて仕方がなかった休職期間は決して無意味ではなかったんだなと密かに泣きそうになった。

これに乗ってきました

かくして私は、今後の人生が大きく変わることを微塵も予測できないまま、期待と不安を詰め込んだスーツケースとともに南半球へと旅立ったのであった…

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