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女性スペースの問題~「性自認」とトランスジェンダー

昨今話題になっている
「女性スペース」の件について
先日、身近な方たちに向けて
プレゼンをさせていただいた。

どのような議論が今起きているのか
なにが問題となっているのか
是非知っていただければと思い
その内容について、noteにも載せておく。

※無断転載禁止

● 様々なトイレマークとトイレの変化

様々なトイレマーク

近年、公共のトイレにおいて
様々なマークや表示を見かける。
車椅子マークのついたトイレは今やどこでも見かけるが
トイレにつけられる名称が多様化している。
 ・多目的トイレ  ・多機能トイレ
 ・バリアフリートイレ
 ・だれでもトイレ ・ファミリートイレ

性別・ジェンダーに関する表現も増えている。
 ・男女共用トイレ
 ・ユニセックストイレ
 ・オールジェンダートイレ
それはいわゆる「性の多様性」に配慮するという形で
進められていることのようである。
昨今議論が進むLGBT法案もこれに関わっている。

● 「女性スペースを守る会」の陳情

「女性スペースを守る会」について①

そんななか
女性スペースを守る会」は
2022年に全国の地方議会へ陳情を提出した。
その内容は
「オールジェンダートイレを設置する場合も、
 女性用トイレを減らしたり無くしたりしないでほしい」
という要望だ。

「女性スペースを守る会」について②

「女性スペースを守る会
 -LGBT法案における『性自認』に対し慎重な議論を求める会-」は
女性を中心とした活動団体であるが
滝本太郎弁護士が「防波堤役」を務める。
性別不合当事者の会」もその活動に協力しており
ともにLGBT法案における「性自認」に対し慎重な議論を求めている。

● 遠藤まめた氏の主張

WEBサイト「trans.101.jp」と遠藤まめた氏について

「女性用トイレを減らしたり無くしたりしないでほしい」という
「女性スペースを守る会」の陳情について
トランスジェンダー当事者であり活動家である 遠藤まめた氏 は
自身が編集責任者を務める「trans101.jp」というサイトにおいて
「性的マイノリティの女性を排除する団体。差別的陳情」と批判した。

「女性スペース」をめぐる主張と団体の対立

「女性スペースを守る会」と同様に
女性用トイレの大切さについて訴える団体は多い。
No!セルフID-女性の人権と安全を求める会」は
「性自認」による性別変更にはっきりと反対の意見を表明。
杉並区や埼玉県においても、女性の人権と安全を求める
女性を中心とした団体が生まれ、声をあげ始めている。

一方、遠藤まめた氏を始め
トランスジェンダーの権利を主張する団体は
「トランス女性は女性です」と訴え
男性身体でありながら「性自認」が女性である人が
「性自認」に基づいて性別を簡単に変更したり
女性用トイレを自由に使うことができることを主張し
前述の女性たちと主張が対立している。

それはトランスジェンダー差別/排除なのか?

女性が女性スペースについて懸念をもち
その重要性や安全を訴え、それを守ろうとすることは
トランスジェンダーへの差別また排除なのだろうか。

「女性スペース」について、女性たちの懸念

● 「女性用トイレ」設置の歴史

「女性用トイレ」設置の歴史①

そもそも「女性用トイレ」は
 ①女性が(男性による)性加害から守られるため
 ②女性の権利・社会進出のため
に設置されたという歴史がある。

「女性用トイレ」設置の歴史②

「女性用トイレ」の設置によって
公共空間で女性は安心してトイレを利用することができるようになった。
また、そのことによって女性の社会進出が進み
社会における女性の権利の向上につながった。

このことについて詳しくは
「女性スペースを守る会」の以下の記事を参照。
(スライド内の画像もそちらからお借りしている)

日本の「女性用トイレ」設置の状況

日本においては現在
法律の「労働安全衛生規則」において
「女性用トイレ」の設置やその設置の仕方、
設置数の基準などが定められている。
この基準に基づいて男女別トイレを設置するならば
職場における男女平等(労働者人数が男女同数)を目指すならば
「女性用トイレ」のほうが広いスペースになることになるだろう。
女性の権利にきちんと重きを置いた法律となっていることがわかる。

● 「女性スペース」の「解禁」で起こること

海外での事例

「女性スペース」の安全が揺るがされることによって
海外では様々な暴力事件が起こっている。
そのいくつかを紹介する。

海外の事例①

①中国河南省のクラブ「男女兼用トイレ」での暴力
https://youtu.be/V_icVUs60y4
(※衝撃的な映像なので閲覧注意)
→Twitter上で拡散され、多くの人に衝撃を与えた映像。
個室が並ぶ「男女兼用トイレ」において、
倒れた女性の髪を引っ張って個室に連れ込む男性。
周りにも男性がいたが、誰も助けることができずみいる。

海外の事例②

②メキシコ「女性用トイレ」のトランス女性使用解禁

「女性用トイレ」がようやく自分たちに解禁された
「トランス女性」当事者たちが、その喜び(?)を表現した動画。
こちらもTwitterで拡散され、多くの人に衝撃を与えた。
女性の格好をした人物は、カメラに向かって挑発的に踊り
動画の後半では生理用ナプキンの入ったかごを
楽しそうに(?)揺さぶっている。
トイレの壁一面には、暴力的な落書きが描かれている。

海外の事例③

③アメリカ・マサチューセッツ州・レンサムでの事件

「女性用トイレ」において「女装した男性」によって
盗撮が行われた事件。
男女共用トイレが増えたり
トイレが「性自認」によって使用されることにより
このような事件が増えている。

海外の事例④

④アメリカ・カリフォルニア州における女性用刑務所での性的暴行

アメリカでは女性用刑務所(刑務所もまた性別により分けられたスペース)
においても問題が起きている。
女性への性加害を行った男性を、「性自認」が女性であるという理由で
こともあろうに、女性スペースである女性用刑務所に収監してしまった。
そのことによって、刑務所内で性暴力事件が起きてしまった。

日本での事例

日本においてはまだ「LGBT法案」が制定されていないが
現時点でも問題は起こっている。
いくつかの例を紹介する。

日本でもすでに起こっていること①

①「元男」YouTuberスザンヌみさきによる「女湯潜入レポート」

トランスジェンダー当事者である スザンヌみさき氏 は
「女湯潜入レポート」と題してYouTubeに動画を投稿。
その内容は女湯について、まるで
忍び込んだ男性の目線で紹介するような内容。
動画は現在、多くの抗議を受け「非公開」となっている。

②女湯に入りたくて戸籍変更を目論むアイナ氏

Twitterにおいて女子高校生や
女児と一緒にいる母親との裸を見たいがために
性別変更を目論んでいることを話すアイナという人物。
このような欲求をもって性別変更を目論む男性が存在する。

日本でもすでに起こっていること②

③「心は女性」と偽って(?)性加害に及ぶ男性

大阪府高石市において
「心は女性」「性同一性障害」「女性の体に興味ない」と言って
同僚女性や障がいを抱えた方たちを油断させ
性加害に及んだ男性が逮捕された。
「性自認」について疑うこと事態が差別とされてしまう。
そのようななかで、女性が声をあげられない、拒否できない
そんな現実があったのではないかと言われている。

● 背景にある「性自認」問題

「女性スペース」をめぐる問題、その背景には
トランスジェンダーのトイレ利用の権利を主張する際にいわれる
「性自認」についての問題がある。

「性自認」という言葉は
ジェンダー・アイデンティティの訳語であり
「性同一性」とも訳される言葉であるが
その言葉の定義は書籍や辞書、
それを主張する活動家や団体によっても様々に異なり、
はっきりとした定義は未だ定まっていない様子である。
また客観的には「自称」と区別がつかず、
「偽称」されても指摘ができないという問題もある。

まずは以下、「性自認」についての主な定義について紹介する。

定義の曖昧さと主観性

曖昧な「性自認」概念①

LGBTの法的権利について活動している「LGBT法連合会」の定義は
非常にシンプルなものであるが、シンプルであるがゆえ
主観的な「認識」というニュアンスが強い。
この定義で「性自認」を扱っていくならば
「私は○○である」と「自称」すれば、
それだけでその性別になれてしまう。

曖昧な「性自認」概念②

書籍『トランスジェンダー問題』を翻訳した 高井ゆと里氏 も
「LGBT法連合会」とほぼ同じ定義を採用しているが
あわせて性別集団への「帰属感覚」という言葉でそれを表している。
ただ、これもまた主観的なものであり、
客観的な差異や、周囲がその人をどのように認識するかへの考慮はない。

曖昧な「性自認」概念③

産婦人科医であり
小・中学校において「包括的性教育」の講義を行っている 高橋幸子氏 は
「性自認」を「心の性」と表現する。
そして、昨今においては「ジェンダー規範」として批判されるような
いわゆる伝統的な男女観に基づいて
自身が「男の子らしい」か「女の子らしいか」という基準で
自分の性別を判断するという。

曖昧な「性自認」概念④

そのほか、発達心理学や社会学においても
様々な形で「性自認」という言葉・概念について説明されている。
なかには「まわりから見られている社会的な自分の性別」
という要素について語られている定義もあるが、一般的ではない。

「自認」と「自称」:「見分けられない」問題

そしてなにより、この「性自認」という概念がやっかいなのは
前述の通り「自認」と「自称」を「見分けられない」という問題だ。
以下、簡単に説明する。

「見分けられない」問題

その人が「自分の性別についてどのように認識しているか」という
主観的な「性自認」について、客観的・一方的に判断することは
「ミスジェンダリング」(性別の判断をミスしている)と言われ
差別的行為であるとされている。
そのため、「あなたの性別は○○ですね」と判断することができない。

また、性別や「性自認」については
非常にプライベートな「個人情報」とされ、
それを無理に聞き出したり、本人に黙って他人に話してしまうことは
「アウティング」(本人の意思に反した無理な公開)と言われ
これも差別的行為とされている。

上記の二つについては理解できなくもないが、疑問に思うこともある。

事件を起こした途端「当事者」ではなくなる問題

「通報できない」問題

「大阪府高石市の事件」について前述したが
あの犯人は「心は女性」と「自認」していたのである。
その「性自認」は、犯罪を犯したからといって無効になるわけがない。
しかし、活動家や当事者を擁護する人たちは皆
「犯人は『性自認』を偽っていたのだ」と言う。
いや、「性自認」はそもそも主観的なものであり
それを確認することも、疑うことも、もちろん否定されることなど
決して許されない差別的行為ではなかったのか。

このように、主観的なものとして定義される「性自認」を
尊重することが求められる社会においては
相手を一方的に判断して警戒したり、通報したりすることが
差別的行為であるとされてしまう。
そのため、実際に犯罪が起きるまでは
被害者側はなにもできないという状況ができてしまっている。
「見分けられない」問題は、「見分けてはいけない」問題なのだ。

「見分けるのは簡単。犯罪を行うのが犯罪者」などという活動家もいるが
犯罪が起きてからでは遅い。
主観的な「性自認」という概念と、その尊重は
このような問題を抱えていることがらなのである。

● それは「革命」か「侵略」か

#トランス女性は女性です ?

「#トランス女性は女性です」に感じる疑問

Twitterにおいて #トランス女性は女性です という主張が繰り返される。
そのように訴え、「性自認」の尊重や
それに基づく「女性スペース」の利用を主張する
「トランス女性」当事者や当事者たちを擁護する活動家たちは
女性たちが「女性スペース」に関して感じている懸念に
まったくといってよいほど共感を示すことがない。

もし、そのように主張する「トランス女性」たちが女性であるならば
女性たちの懸念に一緒に共感するはずではないだろうか。
「女性スペースを守る会」が陳情として表した
「女性用トイレを減らしたり無くしたりしないでほしい」という主張にも
賛同するはずではないのだろうか。

女性たちを攻撃する「トランス女性」「ゲイ」当事者

女性たちを攻撃する「トランス女性」「ゲイ」当事者

また、なかにはより積極的に女性たちを攻撃する
「トランス女性」当事者や「ゲイ」当事者もいる。

「トランス女性」の 畑野とまと氏 は
別記事で紹介した「トランスジェンダージャパン」の共同代表だが
トランスジェンダーの権利を訴えるデモ「トランスマーチ2022」において
女性たちを批判する言葉として“Fuck”(くたばれ/犯してやる)という言葉を
用いたことによって、女性たち、特に性被害を受けた女性たちから
批判を受けたが、それでもなお自身の主張を曲げなかった。

同じく「トランス女性」の よねざわいずみ氏 は
「トランスマーチ2022」のあとに「(女性を)“踏みしだく”」と投稿。
こちらも女性たちから大きな批判を受けたが、
その後も主張を曲げることはなかった。
畑野氏 は よねざわ氏 のこの発言について、
「むしろ踏みしだかれているのは自分たち」と発言し、擁護した。

「ゲイ」当事者に関しては
「女性スペース」に関してまったく当事者性はないにも関わらず
この問題について積極的に関わり発言をしている。
代表的な人物で、自身が「ゲイ」あることを公表している活動家としては
松岡宗嗣氏 や アリエル・クッキー・リュウこと 劉靈均氏 がいる。

劉氏は現在、「女性スペースを守る会」との間で訴訟関係にある。
女性でないにも関わらず、この問題に積極的に関わるのは
いったいなぜなのか。疑問である。

男性の「自己女化」という欲求

「性自認」についてや、男性による女性へのなりすましを見ていると
男性の中に自己を「女化」する欲求があるように思わされる。

男性の「女」化という欲求①

「女装男性」である あしやまひろこ氏 は
男性でありながら「女装」をし、
「女装と思想」という同人誌において
自らを含む男性による女装について考察を行っている。
そこには、「女装」を行うその過程において
「女の子の気持ち」がわかるような気がしてくるという
男性たちの生々しい体験が綴られていたりする。

男性の「女」化という欲求②

「性の多様性」のひとつの表現とされている ドラァグクイーン も
男性による極端な「女化」の例と見ることができるかもしれない。
(実際ドラァグクイーン自体は女性が行うこともある)
別の記事で取り上げた「異性装の日本史」展においては
『縛られた女装の男』という衝撃的な作品も展示されていた。

昨今では、女性の格好をした男性を「男の娘」と呼び
性愛や性的嗜好の対象として見たりすることもある。
また、男性が美少女のイラストやアバターを使って
ビデオ配信などを行う「バ美肉」(バーチャル美少女に受肉する)や
写真加工アプリをつかって「女化」した自己の写真を投稿する
カコジョ」などもSNS上に溢れている。
それらは自らを「女化」したいという男性の欲求の現れである。

性的倒錯としての「オートガイネフィリア」

ちなみに
「男性が自身を女性だと思うことにより性的興奮する性嗜好」について
精神医学において「オートガイネフィリア」という言葉がある。
この言葉・概念は、「性の多様性」においては差別的であるとして
否定的に扱われているが、前述のような
男性の「自己女化」の欲求を表す言葉・概念として参考になるだろう。

性の自由と女性の権利

それは「革命」か「侵略」か

「性の多様性」において、一人ひとりの自由な選択や権利が主張される。
「性自認」の尊重を求める活動においては、
「私のことは私が決める」「なりたい自分になる」
などというスローガンがよく掲げられる。
そのようにして、多様な性の表現が
まるで性の「革命」かのように肯定的に取り上げられ、
それを自由に表現する権利が主張されていく。
その権利を妨げることがらは、人権侵害である差別的であるとされる。
「トランスジェンダージャパン」などが主張する
戸籍上の性別変更における手術要件の撤廃もそのひとつだ。

しかし、そのような自由を求める主張は
そのすべてを権利「人権」として「尊重」してよいものなのだろうか。
少なくとも、今回取り上げた「女性スペース」の問題においては
これまで女性たちが歴史の中で勝ち取ってきた
彼女たちの安全と社会的権利が脅かされようとしている。
それは、誰もが喜ぶ性の自由に向かう「革命」ではなく、
女性たちの権利への「侵略」となってしまっているのではないだろうか。

とあるカフェのトイレ

タイトルで取り上げたトイレの写真は
筆者の行きつけのカフェのトイレである。
店舗のスペースが限られているなか、設置されているトイレは
女性用トイレと、多目的トイレという2種類になっている。
多様性に配慮したトイレの設置が議論されていくなかでも、
女性用トイレが設置されるようになった歴史的経緯やその重要性、
女性の安全や権利の保障ということがらが忘れられることなく、
大切にされ続けることを願うばかりである。


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