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ケアされるとはどういうことか - 発達グレーで鬱になった私がメンクリに行ったときの話

私は、鬱のような状態に陥ったことが
これまでの人生で2度あります。

1度目は最初の職場
小学校で子ども(たち)とその保護者(たち)と
うまくいかなくなったとき。

2度目はひとつ前の職場
大きな教会で、ベテランの上司の下で働いていたとき。

どちらも対人関係において
私自身のもっている「特性」が
難しさとなって現れたのだと自己分析していました。

2度目の時には、本当に
突然不安に襲われて動悸を感じたり
そのせいで夜眠れなくなったり
何もする気が起きなくなったりと
家族にも心配されました。

私自身もともと
自分が難しい「特性」をもっていると感じていて
(具体的なことは別記事で書きます)
それゆえに繰り返し難しさが生じていると
思ってはいたのですが

とうとうたまらなくなって
メンタルクリニックを受診することにしたのでした。

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はじめのメンクリでかけられた言葉

初めて行った
「大人の発達障害」専門のメンタルクリニック
(もう名前も場所も忘れましたが)
そこで言われたことは

「あなたは問題ない」
「あなたよりも大変な人はたくさんいる」
「あなたが問題だったら、もっと大変な人たちはどうなのか」
「あなたは適応できている。だから大丈夫」

そんな言葉でした。
私は呆然としてしまいました。

一呼吸置いて、それでも
「でもつらいのです。難しいのです」
と続けた私でしたが

最後には

「つらさを聞いてあげるのは私の仕事じゃない。それはカウンセラーの仕事だ」

と言われてしまいました。

私は、何が「問題ない」のか
何が「大丈夫」なのかわからないまま
悲しみを抱えながら家に帰りました。

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それでもつらいから

その後もやはりつらさは無くならず
心は重くなる一方で
気づくと涙が出てくるような
そんな状況が続いていました。

それでも自分を客観視しながら
自分を保っているなかで
やはりどうにか自分の「特性」の正体を
知りたいと思い、色々と調べました。

そのなかで私は
脳の働きの「特性」について客観的に調べる
「光トポグラフィー検査」というものに出会いました。
(「光トポ」について気になった方は、是非ご自身で調べていただくか、個人的に連絡をください。わかる範囲でお答えいたします)

検査の内容もとても納得のいくものだったのですが
それ以上に、その検査を受けたクリニックでかけられた言葉に
私は本当に救われるような気持ちになりました。

「つらいですよね」

こんな言葉をかけていただきました。

「つらいですよね。つらいと思います」
「それは難しいことですよ」
「あなたのような(発達障害グレーゾーンの)人は、特につらいと思います」
「あなたのような人に出会いたい、助けたいと思って(この検査をして)いたんです」

私が抱えている「つらい」気持ちを
そのまま聞いてくださって
感じている「難しさ」を
そのままに受け止めてくださって

「あなたに会いたかった」とまで言っていただいて

私は自分のつらさが軽くなっていくのを感じました。
自分の「難しさ」を、抱えて歩き続ける
そのための力や希望をいただいたような
そんな気持ちになりました。

その後も鬱気味な精神状態は続き
検査を受けたクリニックは検査と治療が専門だったため
別のメンタルクリニックにも受診。

そこでも

「つらいですね。つらかったら休んでもいいんですよ」

そう言っていただき
安心して休めることを心に覚えながら
少しずつ調子を取り戻していきました。

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ケアされるとはどういうことか

私の「特性」や「難しさ」について
それらは未だに、無くなったり
解決したわけではありません。

しかし私は
それらを抱えて生きることができるようになりました。

「大丈夫」「問題ない」
そのような状態になったわけではない。

治療していただいたわけではない。

しかし私は
ケアしていただいたと感じているのです。

人が誰かをケアする
誰かにケアされるとは
どういうことなのでしょうか。

いま思えば、この経験も
私自身が「対話」や「当事者研究」と出会うために
必要な経験であったようにも思っています。

この話も、またあらためて…


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