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何かを始めたいとき習慣化テクニックなんかほおっておいて、もう一度脳にお伺いをたてろ

三日坊主とはよく言ったもの。
思いつきから始めたものが変化していくのはその辺りなんだろう。

三日坊主になる理由は、エネルギーの枯渇や、より良いことをしようと思って四苦八苦するからかもしれない。

たぶんnoteを調べても、毎日日記つけようとして結局三日坊主の持ち主が、ごまんとあるのではなかろうか。

おっとあぶねぇ、その一員になるとこだったぜ、というのはさておき。

三日坊主とは脳の仕組みなのだ。

実は慣れていることをするときと、新しいことをするときでは、脳の使う部分がまったく違っている。

なんと脳には新しいことが定着しにくくなっているのだという。

■脳はとにかく究極に変化を嫌う

いつも言うけどそりゃそうだ。

人はかつて新たな食べ物を求めて洞窟から出ようとキョトキョトと眺め回し、今いる場所を離れ、新たに一歩踏み出し行動しようとしたとき…

横からジャガーにカッさらわれて喰われてきたのである。

脳の仕組み的に説明すると、トイレや歯磨き、歩くといった、考えなくても体が動くような行動をするときは脳の中心部分が使われる。

このとき「考えている」という感覚はなくなり、自動的に身体が動く脳の使い方に切り替わる。

これに引き換え、いつもと違うこと…何かを新たに始めようと意識的に行動するときは、脳の額部分の中、考えるときに使われる前頭前野が使われる。

実はここを使うのはかなりのエネルギーを消費する。そもそも消費エネルギーの殆どが脳である現代人なのだから、余計に脳は疲れたくないと信号を発する。

ところが脳本体はダイレクトに変化を嫌うのだ。ジレンマ。

だからこそでもあるわけだが、モノノホンを見れば必ず書いてあることのひとつが、新しいことをするにはまずは習慣になるまでやれという。

そこで「習慣化テクニック」があるから、それを実行してみろ…となる。だからまぁ、この本を買えと。

日記なら一行でいいから書いてみるとか、習慣化や小さな達成を積み重ねる方法が、ネット上にも書籍にも、これまたごまんとある。調べてみるといい。おーい、グーグル先生。

ところで。

ではキミは…
トイレに行ったり歯磨きをしたり、もしかしたら仕事に行くのに、そうした「習慣化テクニック」を利用しただろうか。

私の場合は「否。」である。

■習慣を意識せずに獲得する

早起きを習慣化したい人は多いのではないだろうか。昔流行った朝活やら、朝からゆったり過ごすのを理想としている人は多いだろう。

多くの人と同じく、私は朝起きるのがとにかく苦手だった。子供の頃から私立校だったので、とにかく毎日朝早く起きなければならない。

だが起きられないのだ。
実は大人になってからもこれは続いた。

というよりもある理由で毎朝目が覚めることが苦痛になってしまったのだ。理由は簡単。なぜ目が覚める…という感覚。
むしろ覚めなくていい…死にたかったのだ。

とはいえ寝ていても死ねないわけだが、死と眠りは近い。そこで午前中は全て寝ていたり、むしろ午後まで寝ていることすらあった。

ところがどっこい今の私は、夜が遅くても6:00までには起きている。

4:30の目覚ましから簡単にストレッチを始め、閉めていた遮光カーテンを開ける。秋冬はまだ月が輝いていたりするのを眺める。美しい…

横に共に暮らしている犬が、寒い寒いといって布団に乗りあがっているのをモニモニと触る。ホカホカと暖かい命の感覚。

こちらが起きていることに気づくと、その小さな犬が「おはようございます!」の挨拶代わりに、身体に乗ってグイングイン伸びをする。小さい割に結構な力強さだ。これぞ彼の習慣。

そしてそれを見てると起きたくなる。
春夏は4:30でも陽射しがガッツリ入るのでなおのこと楽。

起きろ起きろと何かが身体に伝えてくるのだ。

■テクニックでは無いなにか

この早起きに関しては前々から、社会生活上なんとかせねばならぬこととして、アレコレ「習慣化テクニック」の本を読んだりしたものだ。

だが結論からいうと起きれなかったのだ。

最初のステップを小さくせよ、成果を視覚化せよ、開始の合図を持て、期待するな…テクニック本に並ぶのは、なんだか良くわからない指示と強制の嵐。

つまりは恐らく、その習慣化テクニックそのものが面倒なのだ。

つまり習慣化テクニックが三日坊主。

ところが私達は確実に、習慣化テクニックなぞ使わずに習慣にしている事柄がある。

朝起きることに始まり、歯を磨いたりトイレに行ったり、そういった朝のルーティン。

新たに獲得した朝のオイルマッサージや軽い運動としてのヨガのアサナ、ミルクを飲むこと、花に水をやること、ご飯を食べること、ヤカンを火にかけること、静かな時間を取ること。

習慣化ルーティンやらテクニックなんぞ、必要無いのである。

トイレだって行きたいから行くわけだし、なんとなく身体を動かしている朝のアサナ練習も身体を動かすと気持ちいいからやる。

ついに朝早く起きるようになったのも、眺める残月が美しかったり、朝焼けがキレイだったり。東京都心部でなけなしの澄んだ空気を感じるのが気持ちいいからだ。

要するに簡単に言えば、キモチがイイから習慣化されるのだ。

自分の身体が、目が、心が、触覚が…五感が求めていないモノなぞ、習慣化されっこない。

■心の底から望むこと

もしも習慣化したい…そう思うものがあるなら、まずは自分にもう一度、お伺いを立ててみる方がいい。

それは本当に自分が手に入れたいものか。やったら、出来たら、キモチイイのか。

意外と、本で読んだからとか、皆が良いというからとか、なんとなくカッコいいから…とかが理由だったりするのではないだろうか。

習慣化は、動機が自分よがりであればあるほど、上手く行く。

目が覚めなかったのは、自分がやりたくなかったからだ。やるべきこととしてやろうとしていたからだ。学校があるから、会社があるから、親がそういうから…

早起き習慣だって読書習慣だって、習慣化テクニックなんて利用しなくても、好きなやつは毎朝早起きし、好きなやつは毎日本を読むのだ。

他人が言っていることなんぞ脇に置いておけ。習慣化されるのは、楽しいからだ。キモチイイからだ。望んでいるからなのだ。

自分が本当に望んでいるときのチカラは偉大だ。

変化を嫌う脳の仕組みを乗り越えるために必要なのは、アレコレ書かれた習慣化テクニックではなく…本当にそれを望んでいるのかと、脳に、自分自身に再度問いかけることだ。

そのためには本当に今自分が、何を望んでいるのか、自分自身を知るところから始めなければならない。

そのツールとして、私は今ヨガを利用している。

書き出したり、自己啓発セミナーなどに通ったり散々様々してみたが、結局ヨガを学び続けることが簡単だった。

というよりむしろ当初、腰痛対策予防に続けていただけだったのだから、副産物を手に入れたようなものだ。

どのような形や流派でも、ヨガを続けていさえすれば、より更に、自分の望みがクリアになっていく。

出来ればヘンにストイックな芸人のやるようなヨガや、痩せるためのお手軽なホットヨガじゃない方がいい。

実はヨガは大手かどうかはあまり関係がなく、伝える講師と合うか合わないかで決まる。

人間には明らかにそれぞれに目指す方向性があるから、方向性が違えばクラスに参加してみてもキモチイイとはならない。

特定の指導者の下でキモチ良くスタジオで練習ができるのなら、黙っていても続けられる。

続けられなかったのは、習慣化されなかったのは、ヨガのせいではない。

単純に、そのインストラクター/講師と、自分の望みに合うか合わないかだ。そうしたらまた違う場所に行ってみるといい。

本当に望むものをあぶり出すまでには、少し時間がかかるだろう。

それでも表面的な一切合切を切り捨てて、自分自身とだけ向き合うヨガならば、確実に自分が本当に望んでいるものが分かる。

それが分かれば、人生を大きく変える偉大なチカラを手に入れられるかもしれない。

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