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戦争を読む②/「帝国」ロシアの地政学○小泉悠

 鳥の鳴声のようにぎぃぎぃと低い音をたてる階段を三階まであがり、広くて昏い廊下にでて、左に曲がり、奥から二番目の部屋が卒論の担当教官の研究室だ。扉をノックもせずに開けると、教授はまだ部屋に来て居なかった。まったく…と、小さく呟いた。なんかしけてんな…。ずっと思っていた大学生活を。脇にある高校と共有のグランドは猫の額で、出身の高校のウォーミングアップ用のサブグランドよりも狭かった。入部したテニス倶楽部でもクラスの体育の授業でも、へらへら走って誰よりも速かった。高校ではクラス60人近くで9クラスもあり、自分より速く走る学友は100人以上いた。ボクは別に足は遅くない。硬式野球部にいたし卓球もやっていた。だけどクラスに1500メートルを自分より速く走る学友が10人もいた。クラス対抗の駅伝にでるのもやっとという感じ。それが運動の部活動をしていない所謂受験勉強を主にしている奴が…自分より圧倒的に速い。そんなところにいたので都立大学(当時、オリンピックの終わった跡の駒沢公園の端っこにあった)のじめじめした感じに不完全燃焼の日々を送り、解決しないまま社会に放り出され…いや、自らを放り出し…わけもわからず社会というところにでてしまった。
 ちょっと、もどって…都立大学人文学部社会学科に属していたボクは、大学にも教授にも疎まれていて「単位はあげるからゼミにはでないでくれ、じゃまになるから」とあからさまにいわれた講義は一つや二つではない。それを良いことに学校には行かず、映画を見たり写真を撮ったり、冬から春にはスキー場に居座ってバイトをしながらスキーをしていた。人文学部は全部で学生80人、3年以降に選択できる科が12くらいもあっただろうか、その中には、川村二郎、池内紀、菅谷規矩雄、飯吉光夫などの精鋭を擁するドイツ文学もあり、しばらく前には種村季弘も教鞭をとっていた。フランス文学にもちょと惹かれながら、実際には文化人類学を専攻した。レヴィストロースの『構造人類学』の訳がでた頃で、ユングの心理学も注目され、青土社の雑誌には関連の特集がされていた。同じクラスの女子に教わったヌーベルバーグだの、京大革マル派からオルグに来ていた菅原さんにもらった『シュルレアリスム宣言』だのを頼りに、ブルトン(あんまり好きじゃない)とかアルトーとかを呼んだりしていた。なりよりは、澁澤龍彦で、緑のベルベット表紙の『黒魔術の手帖』をもちあるいたりしていた。(装釘記憶違いかもしれない…)
 中にオカルティストとして、ハウスホッファーという地政学者が紹介されていた。だからボクの卒論は、『ハウスフォッファーとヒットラー』になった。バイエルン地方をベースに三州を統合してのし上がったヒットラー。背景にはハウスフォッファーの地政学があるというもの。資料もなく、言語も読めず(ドイツだから)、澁澤の紹介の延長で長々と卒論は書いたが、今思うとあんなものよく、教授の前にだせたものだと恥ずかしくなるが、当時は堂々としていた。卒論担当教授に、澁澤龍彦の亜流文学みたいなものは、社会学とは言えないよと[良]をつけられた。(都立大甘いので5段階の3なんてつけられる人は稀。だせばだいたい5で、よっぽど手抜くと4になる、成績はもちろんあとで知ったんだけれども…)その頃の自分は、朝日新聞の記者になると決めていて、悪くてもマスコミにはもぐりこめるだろうと思っていた。(超甘の世間知らずだった)。まぁその先は、挫折の山で、いろいろあるのだけれど、それはまたということで…ここで、大学の卒論を持ち出したのは、実は、半世紀弱ぶりに、ハウスフォッファーの名を目にしたからからだ。
 「帝国」ロシアの地政学/小泉悠。ウクライナ戦争を見ていてとにかく[分からない]のでもやもやする…ので、TVに出演し続けている小泉悠や高橋杉雄をおっかけしている。なので手にした本なのだが、地政学かぁとちょっと驚いた。大学を出てから、地政学は何回かの流行があったように思うが、改めて〈地政学〉の本を読むことはなかった。そもそも改めてなどと言うほどに、卒論の時に、地政学を読み学んだわけでもない。なんか隔世の感がありすぎる。『「帝国」ロシアの地政学』を包括して何かを語るのは、手の中から本の記述がぼろぼろと分からずたくさん余って落ちる。なので少しでもこれから分かる可能性のある箇所を探して、そこから読書なりをしていこうと考えている。

  境界とは「フラスコ」のようなものとしてイメージする事ができる。イメージされる境界とは、浸透膜のようなもの。
内部の液体(主権)は、一定の凝集性をもつが、目に見えない微細な穴から外へ向って染み出してもいく。14P

地政学的に言うと、たとえばロシアとウクライナの間に国境がある、その先に勢力圏というロシアが自分の支配権が及ぶ地域があるという捉え方で、その意味でロシアはウクライナのことを限りなく我々に近い存在、我々といって良い存在としている。もちろんウクライナの側からは別の捉え方になる。分かれた当初はどうかしらないが、現在では、そして戦争で侵略されている今では、そんなことはないだろう。この国境と勢力圏という地政学的概念は、こと現在のロシア/プーチンの発言を、プーチン自身が正統的なものと思っていたり、そう主張したりすることを把握するのに、まず必要な見方になる。(合っているとかそれが良いとかの話ではなく、分からないことが起きている時の問題を起している人の、背景を読み解くことは重要だとボクは思っているからだ。)

 冷戦後のロシアが抱え込んだ大問題は、この多様な民族・文化・宗教がなぜロシアという一つの国家の下にあるのかを説明する原理がなかなか見いだせなかったことにある。P35
 なぜ自分たちがロシア国民なのかを理解できなかったのである。
現在のロシアにとって第二次世界大戦の記憶は貴重なアイデンティテイのよすがになっている。それは単にソ連という国家の勝利だったのではなく、ナチズムという悪に対する勝利だったのであり… P39

ここまで読んでちょっと唸ってしまった。(まだ39Pだぞ…)
https://note.com/pkonno/n/n9a1593242b07
で、ボクがメモ書き的に戦争において——ロシア的なものがプーチンを支持し続けているという勘による仮定をたてて、本を読んでいたのだが、それはちょっと違うということに気がついた。簡単に言えば、ソ連が崩壊したときに、ロシアのロシア的アイデンティティのようなもの…(ボクは無意識的に潜在しているものを予想したのだが)を再構築、再ゲットしなければならなくなったということだ。それが何かといえば、小泉悠は、「冷戦後、そしてソビエト崩壊後に、ロシアはもう一度、ロシア的なものというもの、一種、国家として纏めあげていく何かを持たなくてはならなくなったとしたら、それはナチズムに対する勝利とそれに対する憎悪である。」と。だからナチズムに対する戦勝と現代に於けるナチズムの排除を言い続けるのだ。それさえあればロシアは、侵攻を支持するということだ。

 これは納得のいく云いようであり、ボクはこれから今、戦争で使われている地政学の本を読むことになるだろう。それが戦争の何故、これからを考える最低の知識ということになるから。

 では、ロシア文学にロシア的なものを読み出す行為をやめるかというと、小泉の分析を納得しながらも、なお、そこに底知れぬ通底物があるような気もするし、ゆるゆるとチェーホフからゴーリキー、そしてロシアの巨匠達へと遡っていきたい。そして、これは本当に穿った見方かもしれないが、小泉悠は戦時下ゆえに言及しないのかもしれないが、文学に、その底を流れるものに一家言ある人なのかもしれないと思う。何故ならこの本の第一章の扉には、
 それにしても、ロシアとはいったい何であるのか。今日のロシアとは、そして明日のロシアは(こちらのほうがもっと大事だが)今は、誰が自分は将来ロシアの一員になるだろうと考えているのだろうか。さらに、ロシア人自身はロシアの国境をとの辺りにみているのだろうか。/アレクサンドル・ソルジェニーツィン『甦れ、ロシアよ 私なりの改革への提言』

の引用があり、第三章の扉には
  アレクサンドル・ネツスキー聖堂といいます。なんだからこの建物、悪目立ちしていますよね、この町では。
梨木香歩『エストニア紀行』

とある。ボクが大好きな梨木香歩が唐突に引用されている。ボクは今、もっとも書いたもの、意見を聞きたいのが梨木香歩である。ウクライナのことが落ち着いた時、梨木香歩がこのことにどう向うのか…。どう書くのか。それは未来と現在を暗澹たる思いで過ごしている、自分の灯火、指針になると信じているからだ。そんな気持ちで、彼女の書くのを待っている。書けないかも知れない、書かないかもしれない。それも含めて待っている。小泉はどんな気持ちで、この梨木香歩を引用したのだろうか。そこも気になる。小泉悠はクールにロジカルに戦場を見つめているが、チェルノブイリやエストニアへ彼女らしい視点を向けた梨木香歩に何らかの共闘、共感を持っているのではないかと思う。

 そして此処までメモを書いて思うのが、自分はもしかして、文学人類学とか文学地政学をやりたかったのではないだろうかと思う。相変わらずそれが何かということも検討せずに能天気に思っている。文学が戦争をとめるためにと言う作家もいる。アートで戦争を止めるという作家もいる。だけれどもそんなレベルでことは動いていない。小泉悠はそれを知っている。だけれども小泉悠は、何かを人より多く知っている自分が発言を続けること、時おり、問題なのはプーチンであってロシアであって、それを忘れてはいけないと、きっぱり語っている。高橋杉雄もここで謀略論を云っている場合じゃないでしょうと怒りをTVで顕にする。彼らはどこかで言論の可能性をもっている。これが好転することに繋がればと。少なくてもウクライナに不利になるようなことは一切しないと心に誓っている節もある。言葉は確かに無力に近いかもしれないが、可能性はある。あきらめたら終りだ。だから言葉を受け止めること、言葉を読み続けてその向こうにあるものを透かし感じることはやめてはいけないのではないかと思う。

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