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借り物の「誠実」な自分を演じるより、自分自身に誠実でいることで本当の自分で生きていたい。

私にとって「誠実」というのは自分の気持ちに正直であろうと努力する様、です。
(突然どうした)
なんかふと思ったのですが、「変わらないこと」「何かを一貫してやり通すこと」を誠実だと、今まで社会から教わってきたような感覚が一方的にあるのですが、
今の私にとっては変わっていくことこそ誠実の結果の姿だなあと思う次第です。
(個人談)

そもそも自分の気持ちに正直であれば、いつも同じ気持ち、というのは難しいんじゃないだろうかでしょうか?
(ど…どうしたんや)
そもそもこの肉体は無数の細胞で出来ていて、その細胞は細胞分裂を繰り返してこの肉体を形作っているわけです。(と昔習いました)
体は老いるし、ていうか今私がいるマクドナルドが入ってるビルも朽ちるし、地球も崩壊する(予定)だし、皆同じ状態なんて無理です。
だとしたら、そもそも変わらない、というのは不可能だし、
不可能なことに憧れるのって、途方も無いというか、一生報われないし誰も救われねえ…と思う次第です。
(最終回の無いコンテンツでありながら困難だけは尽きないので沼る人は沼るのでしょうか?)

いや結婚式の愛の誓いも、ロマンチックで素晴らしいし、あんなこと言われたらそりゃ感動して涙も出るでしょうが(私はハワイで挙げたのですがハワイで言わされる(言わされるってなんや)言葉はとても素敵でした)
ちょっと誓い、無理難題を言わせ過ぎではないか…と今は振り返ると思うものです。

人は変わるし、人も変わるってことは自分も変わるし、
変わることは生きていたら普通なことなので、それを自分に許せなかったら辛いよな…とふと思いました。
変わらないことが誠実で、何かを最後までやり通すことが誠実なんだとしたら、
皆きっと不誠実になんてなりたくないから、自分と自分が選んだ道と自分と一緒にその道を歩んでいる人を不誠実にしないために、
誠実でいられるための嘘を自分について、人生において一番大切なものは形を守ること、になっていく予感がいたします。
(おーいそれ私の一瞬で終わった結婚生活のことかよもはやもういい思い出だぜ)

上記に対し、私にとっての誠実、というのは、変わっていくことです。
自分が変わっていくことを不誠実だとするなれば、不誠実である自分を認めることが誠実だと思う次第です。
(ややこしいなあ)
子供の頃、親にしょっちゅう叱られてて、それが私的に本当にキツくて、まじで死にたいなとぼんやり慢性的に思っていた期間がありました。
(特にそんな暗い状況ではありません。子供なので逃げ場が「死ぬ」くらいしか無いという単純な思考回路でした。わりと気軽に思っていましたが、今振り返ると心は傷ついていたし、でも子供なので逃げ場が無いし、まじで生きるってなんなんだろうと思っていました)
その頃に私がよく思っていたのは、意味分からないことで怒られて、ものすごく悲しいし悔しいし、特定の価値観で自分が裁かれることに怒りを覚えているのに、
日が立つにつれて、自分がそれらの感情を自分で癒やし、忘れていってしまう自分は「不誠実」なんじゃないか?ということです。
(悲しい私を置いて行かないでくれ、一人にしないでくれ、ってことだったんでしょうか)
いや今思えば普通に切り替えや立ち直りが早いのは素晴らしい才能だし、強いし賢明だぜと思うのですが、
当時の私はどうしても自分の強さが許せなくて、
ネガティブな気持ちを忘れないために、2日後くらい先の自分に対して、
今こういう気持ちで、まじで心が張り裂けそうだから、お願いだからどうか死んでくれ、生きていたらまたこういうことが数日後にどうせ起きるんだから、だったらもう二度とこんな気持にさせないでくれ、もう終わりにしてくれ
っていうお願いの手紙みたいなものを書いていたんです。
今思えばどんな小学生だよ大人しくファイナルファンタジーでもしてろやと思うのですが、2日後以降にその手紙を見つけても、
「すまん…もうそれはどうでもよくなっちまったんだ」
ってなる…その繰り返しをしていました。
私は気持ちが変わっていく自分を不誠実だと思うようになりました。
っていう思い出を思い出して、唐突に書きました、すみません笑。
この例はちょっと話が逸れている感じがしますが、
もし小学生の私が、沢山のやるせなさを乗り越えて強くたくましくなっていく自分を認めてあげることが出来たなら、
というかそもそも、人生には大変なことは沢山あるものの、そっちばかりではなく、
自分はどんどんパワーアップしていくことの出来る力を持った人間なのだ、人生を生き抜くパワーがあるのだ、という面を認めてあげることが出来たなら、
何か変わっていたような気がします。
私の悲しさとかやるせなさも、もっと価値のあるものになれたと思います。
(ちなみに小学生の頃の私はハリーポッターに出てくるいとこのダドリーみたいな見た目でした)

他にも例えば、結婚しても色んな事情で離婚したり、
天職だと思っていた仕事から離れたり、
自分で「これだ!」と思っていたことが人生が進むにつれて「なんか違う」に変わっていくことなんて沢山あると思います。
というかほとんどそうだと思います。
自分の体も、心も、人生も、生き物だと思うのです。
ずっと同じなんてあり得ない。
だから、自分が変わっていくこと、
そして自分と同じように他人も変わっていくことを許すと、
自分の気持ちに嘘をつかなくて済むようになるのではないかなとか思ったのでした。

ところで私は正確性が無いので今在宅勤務なのに椅子を失いました。
いや椅子を買い替えたいなと思っていてずっと椅子を売りに出していたのですが、先日買い手がつきまして、
やったー!椅子買い替えられる
と思って引き渡したはいいものの、
新しい椅子買ってねえ!ということに気づき、しかも欲しい椅子は入荷までに時間がかかるという…
仕方ないのでヨガマットの上で仕事してます。
ケツの骨疲労骨折しそうです。

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