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皆仲良し皆笑顔なんて無理難題より、傷つき傷つけをしながらより良い人間関係を築きたい。

他人の言葉ってすごい。
普段、自分は大丈夫って思ってても、突然何てことない言葉を投げかけられて、めちゃくちゃ揺らいだりすることって、あります。
(いい意味でも悪い意味でも)

どんな人でも、他人の影響を受けるそうです。
他人の影響を受けないのは、生まれた時から他人を知らない人だけだそうです。
(ってアドラーの本に書いてありました)
友達が一人もいなくて、普段誰に会うことが無くても、テレビの中や街ですれ違う他人に影響を受けるのだそうです。
他人に影響を受けずに生きることが不可能なのであれば、どんな人と付き合うかってすごく大事、ということをひしひしと思う次第です。
当たり前だろという声がめっちゃ聞こえるような気がするのですが、結構「自分の生きる場所はここなんだ」って思い込もうとして、辛いのにその場に居続けようとして、「人間関係はこんなもん」って受け入れてしまうこともよくあるような気がします。
私もその状態になっていたこと、たくさんあります。
その場に止まっておく方が楽だから、普通によくある話なんじゃないかと思います。
さらに、人は変化する生き物なので、人間関係も絶えず変化します。
いい時もあれば、くそのような時もあるわけです。
だから、「あれ?何か様子がおかしいぞ」と違和感を感じたら、その関係を見直したり、距離を置いたりしてみる、という自分からのアクションが、自分自身を救ったり、世界を広げる方法の一つなのではないかなと思う次第です。

辛いいじりをされたり、何か言われて胸がちくっとしたりしているのに、みてみぬふりをして、「これが人間関係というものだから」と受け入れなくてもいい。
強くあろうとしなくていい。
皆と一緒になって笑わなくていい。
逃げたり、殻に閉じこもったりして、自分を守るという道だってあります。(私はずっと自分の殻に閉じこもっていたのでこの通りコミュ障に出来上がりました)
そして逃げてリフレッシュしたら、
「他人はこんなもんだ」と決めつけるのも一つの選択肢かもしれませんが、他人は星の数ほどいるわけで、また別の他人に関わってみるのも新しい学びに繋がると私は思います。
誰とでも仲良くしなさいとか、調和が大事、皆笑顔が大事、みたいに誰かに言われたとて、
そんなのは無理なので、自分を意図的だろうが無意識にだろうが傷つけてくる、危害を加えてくる人とは距離を置いていい(それが友達だろうが親だろうが恋人だろうが)、というか積極的に置きたい。
でも、自分に素敵な学びをさせてくれる人だっている。
だから人を諦めず、見極めて、距離を測りながら付き合いたい。と思う次第です。

当然ながら、自分と同じ人間はこの世に一人もいないわけで、全員他人です。
皆色んな歪みを持って、苦しんだり、楽しんだりしながら人生で学びを得ている先生です。
そんな人たちから発せられる言葉は、たまに自分にとんでもない気づきをくれます。
他人は先生と書きましたが、全知全能の神ではなく、過ちを何度も繰り返す、自分と同じおっちょこちょいでお茶目な人間なので、他人に答えを求めめるのではなく、一緒にサバイブする同士として話した時に興味深い気づきがあるかも、ということです。
人は人を支えようとして支えられないし、永遠の誓いも破るし、分かろうとして分かり合える生き物ではありません。
でも、ふとした何気ない一言や、何気ない行動に、勝手にお互いが助けられたり、癒されたり、学ばされたりするわけです。
意図してできるものではない気がします。

勝手に傷つき、勝手に傷つけられ、勝手に癒され、勝手に学ばされるのだと思います。
人の心や人間関係をコントロールしようとしても無理だもの。
そして、素敵な関係も、クソになるし、クソだった関係が、素敵になる可能性だってある。
それが人間関係なのではないかなと思います。
だから、
人と上手に距離を取ること
付き合う人を選ぶこと
人を諦めないこと
が今の私には必要なんじゃないかとぐるぐる思ったことを書きました。
寒くて風邪引きました。

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