見出し画像

汚くて、みじめで、見ていられなくて、クソみたい、それが生きるってことなんじゃないでしょうか。(後編)(「おまじない」(西加奈子著)を読んで)

本文は下記コラムの後編です。
西加奈子さんの「おまじない」の中の短編ストーリーについて勝手にまとめて勝手に語っています。

【ドブロニク】
映画が大好きな主人公は、人付き合いが苦手で、学生時代まで、頭の中にいる空想の友達を心の拠り所にしていましたが、大学になってやっと友達が出来た時、彼らはいつの間にか姿を消してしまいます。
そして、大学卒業から44歳になるまで、ずっと同じ劇団の広報として脇目もふらず情熱を注いで働きます。
梨木さんという劇団長を崇拝していて、彼に特別な感情を抱きながら、たった一度の恋愛を経験することもなく、何十年も尽くし続けていますが、どんなに頑張って舞台が成功したとしても、称賛は全てリーダーである梨木さんに向いています。
そして、劇団の仲間たちや梨木さんから、次第に老害のように思われていると感じ、それでも気遣われる状態に居心地の悪さを覚えてゆきます。
そんな中、梨木さんから半ば強制的に(主人公にとってはほぼ解雇宣告のようなもののようですが)長期休暇の取得を促され、北欧フィンランドに一人旅にでかけます。
そこでも考えるのは梨木さんや劇団のことばかりですが、懸命に一人旅を楽しもうと努める中、偶然入ったバーで初老の男性に、自身が初めて撮影したという映画の上映会に誘われます。
その男性に、素直に「おめでとう」と祝福の言葉を贈る事が出来た瞬間、心から祝福するという行為の美しさに気づくのです。
そして、今まで誰かの影で活躍し、誰にも祝福してもらえなかった自分を、自ら、心から祝福する事が出来たのです。

前編同様、めっちゃおおまかです。
(気になった方は是非読んでいただきたく…!)
前編で書いた「あねご」もそうだったのですが、自分の価値を他人に委ねてしまうと、自分が自分で分からなくなってしまう、人から見た自分が自分の全てという状態になってしまうのが人間の性なんですかね。
(知らんがな)
私も、人にどう思われたって関係なくね?と強がりながら、人から頂いた言葉や愛に支えられて生きて行けていることを認めざるを得ません。
だけど、それだけが自分ではない、とも、同時に思うのです。
人から評価される自分も自分ですが、自分で認めてあげる自分も自分なのです。
だから、人からの評価が欲しくて、価値をつけてほしくて、すがるようにしていたら、きっと自分が、人に評価されるために振る舞う自分になってしまうような気がして、それも自分だけど、それだけになるのは違う気がする。
バランスを取るのがとても難しいことですが、人からの評価も受け入れつつ、自分でも自分を目一杯評価して、ほめてあげる事が必要なのではないでしょうか。
自分の中にいる、自分というかけがえのない永遠の友達の存在を忘れずにいたい。
私は人にも生かされているし、同時に自分にも生かしてもらっているのだということを忘れてはいけない、そんな風に思います。
だから、自分が生きている事に、頑張ってこれた事に、「おめでとう」と祝福を送ってあげたい、それが出来るのは私自身だけだから。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?