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100日後に死ぬGAFAMのぼくが官僚制から逃れた理由

91日目。

ビジネスっぽい記事を頑張って書いてみる。

ぼくが日本の会社をやめたのは、官僚制度に嫌気がさしたのも理由の一つだった。

官僚制度はしばしばネガティブなイメージが付き纏うけど、制度自体は決して悪いものではない思っている。決められたプロセスにしたがって日々の業務をこなせば安定したパフォーマンスを出すことができる。

ただ、問題は環境に変化が起こり、既存のプロセスではパフォーマンスが出せなくなった場合だ。

このような場合、官僚的な会社では部下が上司にエスカレし、上司が適切な判断を下し、イレギュラーに対応して、そのイレギュラー対応が次の標準プロセスになる…というのがあるべき姿だ。

しかし、この制度は、上司は部下よりも有能であり、上に行けば行くほど有能である、という前提のもとで設計されている。

つまりグローバルだとかITだとか、変化が激しい環境において、官僚制を敷いている会社は、トップに近づくほど有能であれば変化に対応できてパフォーマンスを出すことができるが、上に膿みのように無能が蔓延っていると変化に対応できず、機会を逃しパフォーマンスを上げることができない。

そしてアラサーのぼくの年代の上司は50代の所謂バブル世代の無能が多く、適切な判断を下せないし、そもそも決断をすること自体に慣れていない人が多く、機会損失やロスコストを発生させるのを見てきた。

決断できない、かといってハンズオンで仕事をするわけでもないなら、そのポストは不要だと常々思っていた。

とはいえ、部下を持つものは常に迅速に適切な判断をして正解を導く必要がある、とも思わない。変化の激しい環境にあっては特定の人に判断をしろと言っても無理な話だと思う。

だから、ある程度のコンセンサスを作ったら、とにかく走ってみて、ダメだったら高速で軌道修正のPDCAを回すのが良いと思う。最高ではないけど最善のやり方だと思う。

そこで、官僚制と年功序列に守られた、判断もハンズオンの仕事もしない管理職ではなく、プレイイングマネージャーを置くべきだと思う。

プレイイングマネージャーもネガティブな言い方をされることがあるけど、ぼくは今の時代にあっては最善のマネージャー像だと思う。

そして、GAFAMではそういう組織体制になっているはず、と仮説を立てて実際に入ってみたところ、その仮説はほぼ当たっており、役員レベルでもなければ大体がプレイイングマネージャーであり、日々の業務も稟議や承認にそこまで時間をかけることはなく、ある程度の方向性が決まったらとにかく走る、という感じだ。

テクノロジーは当然のことながら、この組織体制とスピード感が会社を世界の時価総額トップ層に押し上げた源なんだろうなーと思い、そこそこ満足した会社生活を送っている。

という最初で最後のビジネスっぽい記事

ぶりおとぼくのエブリデイ
大あくび

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