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Twitter - 最近何をしたか 6/25-7/5

Twitter

最近Twitterというものが大きく変わっているらしい、暫定的な措置かは分からないがアクセス制限などがあるようで、これからも大きく変わるかもしれない。以前から代替手段は模索されていて、その都度いろいろなサービスを目にしてきたが今回はどうなるのだろう。よくも悪くもイーロンマスク氏が買収して以来、話題にもなり波風も立っている。蛇足だがイーロンマスク氏といえば様々な企業の起業家とて有名だ。スペースXのことはスターリンクくらいしか知らないが、私はテスラに魅力を感じてはいない。それは彼にも通ずるもので、だが彼が理想とするものは悪くはないのだろう、私には理解できないが彼の事業、特にテスラは成功しているし評価されている。アメリカ人の世間一般がいう彼の評価は素晴らしいようだ。それはそれとしてTwitterの話に戻れば、テレビも見ず、新聞も読まない世間から隔離された私にはとても便利で有用なものだ。私自身が情報にはTwitter等のwebメディアで触れているという現実、そう考えるとイーロンマスク氏の動向も含めて注視もするし考えもする。

積極的に自分から何かを得ようとはしていないが、Twitterを見ていると情報があふれてくる。自分がフォローした人やフォロワーからの情報、それにまつわるもの、Twitter側が私の閲覧から推薦してくるツイート、それらは有益なものも少なくはない。しかし私にはすべてを処理しきれない、情報が多すぎるのだ。もちろん私の能力の問題もあるし、性格とかの性質もあるだろう、しかしTwitterだけで閉じているツイートもあれば、リンクという形で他のメディアへのパスもある、それを考えるとやはり多い。賢い人は取捨選択をうまくやっているのだろうし、そのようなテクニックや機能やツールもあるだろう。それをまったくしないわけではないが、それでも取捨選択が上手とはいえず、それは昨今言われているような、対話型AIを使いこなす人とそうでない人の差がこれからは出てくるというような話にも通ずる。ただ私はそんな脅しに加担する気もないし、そもそもすでに落伍している。だが必要な情報の取捨選択くらいはできるようにならないと、とは思っている。

そんなに依存しているわけでもないが、この何日かTwitterを見たり、さまざまな情報に触れているとTwitterは終わりに向かっているのかもしれないとも思う。例えば肥大化すれば私には使えなくなる。かといって現在Twitterの別のパスがあるとも思えない。以前からmastodonも少し触れているけどシステムではなくユーザーがまだ足りない。Blueskyは招待コードが届いていない。Threadsも出てきたけど、まだよくわからない、Instagramのアカウントが必要だしね。触れられなくなってしまうと残念なのはTwitterにはすでに記憶が残されているということ。利用が難しくなると私はそれらから切り離されなければならなくなる。肥大化しても耐えうるシステムを使えと言われればそうかもしれないが、私にも私のいるべき場所がある。だからもしそうなるのならば残念だ。


約束のカメレオン

目の前の景色、視点がまったく違う世界、環境、人物、物に次々と変わってゆく、そこには何があり何を考えているのか。その瞬間しか分からず結局は最後に統一されたものへと移ってしまう。約束されたカメレオンのように。だがそれはカメレオンのように外部ではなく、内部が変わってしまうのだ。そしてそれは爬虫類でも昆虫でも変わらない。


甘んじる平凡

困難があったとしても乗り越え求める。動物は本能でそれらを乗り越えるが、人間は考えるのでそれが一見無謀なことだとしても実行し成し遂げてしまう。その強さ。しかしどうだろう、最初から困難がなく何事も当たり前のように用意されているとしたら、何もしないのだろうか。その後の困難を想像できる思考があるにも関わらず、その時の平凡に甘んじてしまう。そうすると世界はゆっくり硬直化してしまう。


一歩一歩でも歩き出したい。そんなことを思っても忘れてしまう。それが今の、過去の、わたし。これからも変わるとは思えない、だが少しでも意識しよう、そんなことを考えていると見えてきた。そいいう風。そんな光。ただの日常。繰り返しているはずの新。




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