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一滴の真水

つい先日アメリカの公民権運動じゃないけれど、似たようなお話に触れることがあった。南北戦争が終わり黒人奴隷だった人々にも人権が与えられ、リコンストラクションの実施により法律上も平等となった。有色人種には市民権も1870年には投票権も被投票権も与えられ、それはアメリカ人女性の参政権が認められる1920年よりもよほど早いものだった。だが実際は何も変わらず、いや、現実には投票もされ雨後の筍のように黒人議員も誕生した。しかし、その事実が拡大すると既得権益者からの排斥がはじまったという。それはミシシッピプランといわれる南部を中心に作られたもので、人頭税や識字試験のようなあからさまに黒人の投票権を剥奪するものだった。前者は貧困層の投票行為を切り捨てさせ、後者は有色人種にだけ課される体裁ではないが、やはり黒人をターゲットにしたもので、恣意的で解釈の問題から正解のない試験だともいわれていた。あくまでも南部の州を中心にということにはなるが、そのように黒人の政治参加をよしとしない権力側は、一つをクリアすると次の障害というように、いくらでも障壁を作ることができる。排斥が目的なので屁理屈はいくらでもあるということ、そして権力を握っているからこそ可能だった。これを乗り越えるのは困難だ。そして一度でも投獄されれば永久に選挙権を剥奪される。黒人を逮捕するなどいくらでもできる時代、そういうことだった。蛇足だがフロリダ州では2018年までそれは続いていた。今ではそれは是正されつつあるが完全ではない州も多い。またクー・クラックス・クランの存在もある。リコンストラクション当時のというか、初期の彼らは必ずしも暴力的ではないというが、脅迫や威圧など非合法に黒人を抑圧していたというのは間違いではない。それからKKKの力は増し、外側からや現在から見ればやりたい放題のように感じられる時代もあった。それは対象が黒人だからだ許されるという時代で、回りの人たちも賛成はしないが仕方ないという時代でもあった。そしてそれは公民権運動が起こる随分前でもある。そして上記のフロリダの問題と同様に今も続いている。

投票に対する権利を求める長い道のりを考えると、そのような本来至極当たり前の権利を要求して運動し、やっと勝ち取る。それが何度も繰り返される。そのお話に触れたときになんとなく淋しさのようなものが、脱力感のようなもが私のどこかに存在することに気づいた。この国の状況を考えたからだ。この国でも投票に行かない人が多い。人々は投票行為に興味がなく、それはもちろん政治にも興味がないということだろう。それは生活にも興味がないと同義とも思えるがそうでもないようだ。だが電気代が上がろうと、社会保険料が上がろうと、どうでもよくて、不満はあるが興味はない。例えば、自分の一票は希薄すぎて意味がない、入れたい政党や候補者がいない、それ以前に何をしていいのか誰を選ぶのか分からない、行くのが面倒、とか、多くはそんな理由だ。まあ、結局不満はあってもどうでもいいのだ。たとえ自分の一票が希薄だとしても行動を起こさないと何も言えないとも思わず、投票をしなくても言いたいことを言えばいいし不満もぶちまけろ、という考えなのだろう。それで気が晴れるのならそれもいい。だが、それでは何も変わらず続いてゆくだけ。投票したい政党がなくとも、消極的な選択でも、いくらかの候補者か政党はいるはずだ。誰に投票すればいいか何を選択していいか分からない、そういう人は最低限選挙公報が家に届くはずで、それだけでも目を通せばいいのではないかと思う。政治に関心はなくても、投票のために少しは時間を使ってもいいのではないだろうか。選挙公報に目を通すというのは大して長い時間ではない。いや、人によってはその先、目を通し考える、その時間が長くなる可能性はある。しかしその時間は自分の視野を広げる、世界も広げる第一歩かもしれない。自分の望む方向との親和性がほんの一部分だとしても、それに近いことをしようとしている政党や議員を調べる時間があってもいいはずだ。無駄ではない。それをしないとこの国は止まってしまう。そしてもう止まっている。

なぜそのお話でそんなことを思ったか。それはその話の中で私が普段思うこと、気のおけない人には言っていること、それと同様のことがあったからだ。それは私にとって選挙は当たり前だった。子供のころから選挙の日は親に連れられて投票に行っていた。ただついて行っていただけ。それはただ当たり前になっていて、だからこそ私は親となり子供がいるのなら子供を選挙に連れてゆくのも当たり前だと思っているし、そうするべきだと思っている。時間の問題で期日前投票もしたいし、つまらない候補だと行きたくない気持ちも分かる、だが、子がいるのなら、けっして教育とは言わないにしても、ただ無言でもコミュニケーションの一つとして手を引き選挙に行くことがあってもいいと思う。この国では上記のアメリカの黒人のように勝ち取らなくてもいい、すでに与えられていて、選挙人登録をしなくても自動的に投票をすることができる権利があるのだから。無駄かどうかは分からない。それがたとえ広大な海の中の一滴の真水だとしても、一滴くらいは落とすことがあってもいい。



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