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ニートが歩く夢のハリウッドと灼熱のサンタモニカ 【アメリカ放浪の思い出 #05】

この記事は、逃げるように会社を飛び出した24才の男が病んだあげく、エネルギーを持て余して3ヶ月間アメリカを西から東に放浪し、警察に捕まったり死にかけたりする思い出話です。
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怒涛の1日が終わり、アメリカでの2日目の朝が来た。

いや、正確には朝ではなく昼すぎだった。どうやら昨日の疲れが響いた様で、起きたのは昼の1時すぎだった。

20kgを担いでダウンタウンを全力疾走した反動で、筋肉痛がひどい。

しかしそれよりもはるかに空腹感がやばい。そういえば飛行機で機内食を食べたのを最後に、それから丸1日何一つ飲み食いしていなかった。

昨日は切羽詰っていたので「人類は食事をする」という習性自体を忘れていた。

宿泊先までの行き方すら調べずに来たのはさすがに無茶だったのかもしれない。

しかしそれでも無事に着けたのは、台湾のおばさんやバスの運転手のおじいちゃん(降ろすの忘れられてたけど)、モーテルまでのバスを教えてくれた犬連れたオネーさんなど、いろんな人に助けてもらえたからだ。

言葉はあんまり通じないけれど、優しい人たちがたくさんいてくれてよかった。助かった。

シャワーを浴びて、食料を探しにモーテルの外に出ることにした。


ここはロサンゼルスですか?いいえ、中国です。

ドアを開けると、昨晩は暗くて分からなかったモーテル周辺の景色が広がっていた。

いかにもロサンゼルス、という暑い太陽の日差し。

そして、1ミクロもロサンゼルスっぽくない景観。

モーテルの周辺の印象は、一言でいうと「えっと、中国?」だった。

お店の看板はすべて中国語で書かれていて、通行人も中国人75%・メキシコ人25%。白人や黒人は1人もいない。

いろんな所からジャッキー映画みたいな音が聞こえてくる。

渡米前に彼女が「ダウンタウン近くのモーテル取っておいたからね!」と自信満々で言っていたが、本当にダウンタウンから近いんか?ここ。

後日調べて分かったことだが、ここはダウンタウンから車で20数kmほどの場所だった。日本でいうと「新宿⇔多磨霊園」くらいの距離だ。

新宿を観光するつもりの外国人が多磨霊園に連れて行かれたらさぞ焦ると思うが、まぁここはアメリカだから。日本みたいにコンパクトな感じにはいかないのだろう。たぶん。


やっぱり治安はよろしくないようで

ともかくこの中国に支配された町で何とか食料をゲットしなくてはいけない。さもなくば餓死だ。

しかしながら、今にもサモハンキンポーが飛び出してきそうな「プロジェクトA」な店に突入するだけの胆力も英語力も持ち合わせてはいない。(もちろん中国語も)

仕方がないので近くのスーパーマーケットに入った。

スーパーマーケットのドアを開けると、いきなり鬼でかい警備員に通せんぼされ、「リュックをテーブルにおいていかないと入店しちゃダメ!絶対ダメー!」と言われた。

なるほど、やっぱりこのあたりって治安悪いんだな。

東京でも治安悪い地域ではコンビニのトイレ使えないじゃないですか。このあたりではバックに商品を詰め込んで万引きする人が多いんだろう。

リュックには旅に欠かせない大事な物がたくさん入っているので、テーブルに置きざりにすることは出来ず、諦めてそのまま店を出た。

空腹で吐きそう。


この町には何もない。ドンタコスしかない。

店を出ると目の前によくわからんタコス屋があったので、ここで食事をすることにした。

店内はマクドナルドのようなチェーン店風で、メニューを指差して「これほしい」と言ったら問題なく買えた。

タコスの味は完全に「ドンタコス」のまんまだった。

ドンタコス以外の感想が一切出てこないようなタコスだったが、36時間ぶりの食料だったので死ぬほど美味しく感じた。

ちなみに、このアメリカで最初に食べた「よくわからんタコス屋のドンタコス味のタコス」は、これから始まる90日間のアメリカ生活の中でトップクラスに高級な食事だ。

後述することになるだろうが、これ以降は基本的に「チーズバーガー1個とスニッカーズ1個」が私の1日の食事となる。

栄養失調で倒れなかったのが奇跡。真似をしてはいけない。


ドンタコスなタコスを食べた後この地域を散策してみたが、マジで過疎地らしくおもしろそうなものは何1つなかった。

ので、すぐにモーテルに帰る。

めちゃくちゃ暇だったのでこの日も次の日もモーテルの中でブログを書いたり写真を撮ったりしてダラダラ過ごした。

この場所はあんまりおもしろくないので、次の目的地であるハリウッドへ行くことにしよう。

(暇すぎて撮った自撮り)


4日目の朝。特にすることもないこの土地から離れたくてウズウズしていた私は、日の出と共に起きてすぐに着替えて部屋を出た。

朝日がまぶしい。

チェックアウトを済ますと、受付のインド人おねえさんが電話をしながら「バイバイ」と手を振ってくれた。

この人とは滞在中に5回ほど受付で会ったが、そのうち4回は友達と電話しながら対応していた。

女子高生か。


世界ファンキー選手権1位なアメリカの運転手

さて、これでまた根無し草となった私は、とりあえずハリウッドを目指す。

本来はハリウッドのような「ザ☆観光地」には興味がないのだが、ここからかなり近いようなのでせっかくだから寄ってみようかなって思ったのです。

ハリウッド行きのバス停までモーテルから3kmほど歩いて、今度は問題なくバスに乗れた。

どうやら少しずつこの国のシステムにも慣れてきたと思っていたら、さらなるカルチャーショックをバスの中で味わうことになった。

バスに乗り込み、お金を払って運転席の横に立った。

バスの運転手さんは黒人の中年女性だったが、

iPodを大音量で聴きラップを大熱唱しながら運転していた。

そして「テメェェェーコラァァーー!!!どけやこの肥溜めがぁぁーーー!」みたいな、ジョジョでしか聞かないようなセリフを叫び続けていた。

外の、他の車に対して。

バスの前に他の車が車線変更してきた時など、窓を開けて「ぶち殺すぞこのクソアマァァァー!!」と言いながら身を乗り出して中指を立てていた。

「すげぇやつがいるもんだなアメリカは」と素直に感心した。

日本だったら5分で炎上案件だろうが、乗客は動揺のカケラも見せずに座っている。

運転席の横に立つ私にも話しかけてきて、「おめぇ※△●♪(解読できず)で、頭ハジかれてシ死ぬぞw! HAHAHAHAHA!!!」と笑っていた。

毎日この調子で働いていたとしたら大したものだが、結局ハリウッドに着くまでの30分間はずっとこんな感じだった。


運転手さんがあれだけ騒いでいても完全ノーリアクションだった乗客達だったが、

私がバスを降りるときに自動ドアと勘違いして開くのを待っていたら、全員が

プーーーーーーーーッシュ!!!!!!

と怒鳴ってきた。

全員が。マジで。おばあさんとかも含めてみんな。

分からない。この国の価値観が分からない。


ユースホステルは渋谷センター街の入り口にあった

そんな感じで全米No.1のファンキーなバスに揺られ、世界有数の観光地ハリウッドに到着した。

ハリウッドはテレビで見たことあるような、「ザ☆観光地!」という感じでキラキラしていた。

まずは今日の宿を確保しなくてはいけない。今日泊まるのは知らない人と同じ部屋で一緒に寝る、いわゆる「ユースホステル」だ。

ハリウッドのユースホステルに行ったことがある人は知っているだろうが、ここはマジですごい。

何がすごいって立地がすごい。ハリウッドのど真ん中にある。

分かりやすく例えると、渋谷あるじゃないですか。センター街の入り口にスタバあるじゃないですか。あそこにユースホステルがあるみたいな感じ。

おそろしい立地だが、これで1泊16ドルという格安料金。よくやっていけるもんだ。


そんなわけでユースホステルはすぐに見つかり、チェックインすると6人部屋へ通された。

初めてのユースホステルで慣れなかったが、先客の黒人さんが建物内を案内してくれた。

彼はイギリス生まれで、映像関係の仕事を探しているらしい。きっとハリウッドには映画や芸能関係の夢を持った若者が世界中から集まっては消えていくんだろう。

夢にあふれ、夢にやぶれる、ハリウッドはそんな場所。たぶん。

思いつきでなんとなく来た私とは大違いだ。

(映像の仕事を探している彼。)


本当は写真なんか撮りたくないんだろ?エスパーに見透かされる。

部屋で一息ついて暇になってきたので、外に出てハリウッドの世界をのぞいて見ることにした。

今日は朝早くから動いていたので、時刻はまだ正午前だ。

ユースホステルのドアを開けるともう目の前がハリウッド。観光客やストリートパフォーマーだらけで、目が回りそうだ。

俳優や女優の手形が地面に埋め込まれている有名な観光名所など、一通り歩き回ってみたが、

やっぱりこういう所って1人で来ても全然おもしろくない。

一応何枚か写真を撮ったが、この時点で既に「めんどくさい。写真なんて撮りたくない」と思っていた。

特に楽しいことも見つからずトボトボとユースホステルまでの帰路を歩いていると、道路沿いで唄を歌っていたパフォーマーの黒人さんが私の一眼レフを指差して「You don't need take a picture~♪」と即興で歌いだした。

おまえ、本当に写真を撮りたいと思っているのか?

もう無理すんなよ。自分の心に正直になれよ。やめちまえよ。


自分を偽り「写真が好き」と思い込もうとして撮り続けている自分の内心を見透かされたようで

「グサッ!」という音が聞こえたような気がした。一気にヘコんだ。

結局私は何をしに来たんだろう。あと3ヶ月何もせずにダラダラ観光地を巡って過ごすんだろうか。

渡米開始そうそう、無計画のツケがまわってきていた。


ユースホステルに帰ると日本人やドイツ人、韓国人などが増え、なかなかグローバルな部屋が出来上がった。

それぞれの英語力に差があったが、身振り手振りも交えてなんとなくコミュニケーションを取ることができた。

その日はみんなでジャッキーチェンの「ラッシュアワー」を見て、寝た。

知らない人(しかも外人)と同じ部屋で寝るのは初めての経験だったが、特に神経質になることもなく、すぐに熟睡する。

が、夜中に爆音で起こされた。


クラブのトイレで寝れる?俺は寝れない。

「ボンッ ボンッ ボンッ」

真夜中、すさまじい音で目が覚めた。

「外で騒いでる音が聞こえる」なんて生易しいものではなく、自分が騒音の中心にいるようなすさまじい音量だ。

寝起きで状況がつかめず、何が起こっているのか1分くらい分からなかったが、目がさえるにつれて状況が理解できた。

どうやらハリウッドでは真夜中でもショーやライブなどが野外で行われるようで、その音が聞こえてきているようだ。

なんだ大げさなと思うかもしれないが、繰り返すが「外から聞こえる」なんてレベルではない。

まるでクラブのトイレで寝ているかのようなすさまじい音だ。

にも関わらず、私以外のルームメイト達はこの騒音でも気にせず寝ていた。強い。

仕方がないので私も枕を頭に被って寝ることにする。


ボンッ ボンッ フゥーーーーー!(歓声)

うるさい。


灼熱のサンタモニカと即席の遊園地

次の日。5日目の朝。

昨日の夜はひどい目にあったので、ここでもう一泊することを避けて今日はアメリカ西海岸の「サンタモニカ」という観光地を目指すことにした。海の方だ。

結局なんだかんだ観光地に行ってしまっている。まぁこのあたりみんな近場にあるんですよ。

ルームメイトの映画好きの日本人に「一緒にユニバーサルスタジオ行かん?」と言われたが、俄然そんな気分じゃないので断り、

お世話になった黒人さんやルームメイトのみんなに別れを告げて、荷物を担いでユースホステルを後にした。

ハリウッドからサンタモニカへはバスで行ける。

乗るバスを間違えて10kmほど歩くはめになってしまったが、なんとか到着。10km。日本だったらけっこうな距離だが、アメリカだと「まぁいけるか」と思ってしまう不思議


サンタモニカは一言でいうと遊園地だった。海の、砂浜にある遊園地。

(サンタモニカ)

「25年目のキス」や「ビッグ」などの映画を観たことがある人なら分かると思うが、アメリカにはこういった移動式の簡易的な遊園地がある。

大型トラックとかで観覧車とかを運んで、次の観光地で組み立てて営業するってことですね。日本でいう縁日の屋台みたいな存在に近いんだろうか?

しかし個人的に思うんだが、ただでさえアバウトなアメリカの人が、そのへんの砂浜とかにテキトーに組み立てた観覧車とかジェットコースターって、怖すぎじゃないですか?

3人 / 日 くらいのペースで死人が出ていてもおかしくない気がするのだが。不思議すぎる。


サンタモニカに来たはいいが、やはり特に目的もないのでその辺で釣りをしていた少年とか歩いてるおじいさんの写真を撮ったりしていた。

うーん。暇だ。暇すぎる。

サンタモニカから海岸沿いを南に6kmほど歩くと、本日の泊まる予定のユースホステルがあるベニスビーチに着くらしい。

暇で仕方がないから、もうユースホステルまで歩いて行っちゃおう。歩いてるうちになんかおもしろいことでも見つかるだろう。と、浜辺に沿って南に歩き出した。

6km。そろそろ感覚が麻痺してきたのですぐそこのような気がするが、実際歩いてみるとかなり遠い。

地図だと近いが歩くと鬼遠い。それがアメリカ。

みんなサイクリング用の自転車やローラースケート、スケボーなどで海岸沿いを優雅にレクリエーションする中、私だけ20kgの荷物を担いで汗だくでハァハァ言ってる。

場違いこの上ない。

(20kg近くある荷物)

重たいリュックを担いでることもあるが、何より暑い。今は4月なのだが、気温は35度くらいあるんじゃないだろうか。

日本の真夏レベル。日焼け止めを塗っていないのであとでヒリヒリするかもしれない。

日本と違って湿気が少なく、カラッとしてるのだけが救いだ。喉渇くけど。


変なタトゥーは入れてる人じゃなくて店が悪い

ベニスビーチまでの道のりを灼熱の太陽に熱されながらゼェゼェ歩く。

浜辺沿いにはまるで海の家のようにタトゥー屋が並んでいた。けっこう繁盛している。

ご存知のとおりタトゥーは一度入れたら手術しないと消せないはずだが、よくこんな「ちょっと小腹が空いたのでラーメンでも食べよっか」みたいなノリで刺青を入れる気になるものだ。

おもしろそうなので屋台に飾られている見本を見てみると、どうやら漢字のタトゥーも彫れるようだ。漢字と英語での意味がたくさん並んでいる。

「SEXY → 性感」

いや、おしい。

なんでそうなっちゃったかなんとなく理解できるけれど、おしい。

これはあれですね、よくおもしろい日本語タトゥーを入れている外人の画像がネットに上がっていて「なにこれウケるw」なんて笑われていますが、

本人達は調べないですもんね。店の人がそう言ってるわけですから。信じますよね。

例えば我々日本人が梵字のタトゥーを入れようとして「これなんて意味」って聞いて「眩い光を放つ者って意味だよ」って言われたら「あ~そうなんだ」って思っちゃいますもんね。

本当の意味が「ハゲ」でも気付かないですもんね。

変なタトゥーを入れている外人。それは店側が悪い。完。


タトゥー屋を過ぎてさらに浜辺を歩いてると、マイクパフォーマンスをしている黒人さんがいた。

重い足取りで歩いてる私をいきなり指差してきて、

「おまえ日本人か?カメラ持ってるだろ?絶対持ってるだろ?カメラ見せてみろ!」言ってきた。

マイクで叫んでいるので周りの人がみんなこっちを振り返った。

よく分からなかったけれど一眼レフを見せると、

「ほらな!日本人は絶対でっかいカメラ持ってんだよ!ウケるだろ HAHAHA!」と言われ、

まわりのアメリカ人も全員大爆笑。

旅の後半で海外の風土に慣れてきたころだったら「HAHAHA 勘弁してよ~マジうける~w」なんて笑い流せたのかもしれないが、

この時は猛烈な暑さと疲れでイライラしていたので、無視してその場から歩き去ってしまった。

後方から「おーぃ!まってくれ日本人!これからショーやるからさー!!」とこちらを呼んでいた。

空気を悪くしてしまってすいません。今更ながら。


まじファックなギャルと同じ座標で寝る

そんな感じで真夏の6kmの道のりをなんとか歩き、汗だくでユースホステルに辿り着く。時刻は夕方の16時。

今更ながらこんなに重たい荷物を持ってくるんじゃなかったよ。

2019年の現在はパソコンもカメラも薄くて軽いのがいくらでもあるが、10年前はmacbook airも発表直後だったしミラーレス一眼なんてものは存在しなかった。

進化ってすごいですね。


チェックインして中に入ると、でかい部屋(?)にベッドが大量に並んでいた。

なんと30人部屋。部活の合宿じゃないんだから。

ベニスビーチのユースホステルは他のユースホステルとはかなり変わったタイプのようだ。おそらく元々は別の用途で使っていた場所なんだろう。

ベッドに荷物を置き、玄関でタバコを吸っていたフランス人とアメリカ人の2人組とちょっとだけ雑談をした。

が、こちらの言いたいことは伝わるが相手の言ってることがあまり分からないので会話が長続きしない。

私は話す方はかなり得意なんですが聞くのがめっぽう苦手なんです。一方通行ですな。

こっちが話して、あっちも話して、そこで「?」となってしまって「Never mind!」みたいに会話が終了してしまうのがもどかしかった。

留学経験のある彼女いわく、6ヶ月を過ぎたあたりである日いきなり母国語みたいにふつうに聞こえてくる瞬間が訪れる。らしい。

渡米5日目でまだまだペーペーの私には遠い先の話。

というか観光ビザは3ヶ月が限界だし。


その夜。30人部屋なので消灯時間は早い。

ユースホステルは基本的に二段ベットで寝るのだが、

10代白人ギャルのグループのうち、どうやら私と同じベッドで寝ることになった1人が不満を言っているようだ。(私がベッドの上で、ギャルが下)

「なんで私だけこんな東洋のサルと同じベッドで寝なきゃいけないのよ!」

「ウケる~w!あんたせっかくだから話しかけてみたらw 友達になれるかもよw!  HAHAHAHA ご愁傷さまw!」

大体そんな感じのことを言っているのが分かる。

最終的には渋々ベッドに入っていったが、まだ納得していないようだった。

こっちだって別におまえなんかと同じベットで寝たくないやい。

なんてふて腐れながら寝たふりをしていた。


観光地に来てもやりたいことも撮りたいものもないし、なんか暇だしむなしいし、もっと自然があるところへ行きたい。

そうだ、明日からもうカリフォルニアを去って、砂漠を抜けてデンバーあたりへ行ってしまおう、

と、暗く寝静まった30人部屋の天井を見つめながら一人考えていた。

暗闇の中、下から「まじファック」というつぶやきが聞こえた。

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