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028_おばちゃんが新聞を読まないわけ

おばちゃんの大半は新聞を読みません。
おばちゃんはテレビのニュースをずーっと観ていて、自分が興味があるトピックには反応します。それでニュースの消化は足りているので、あえて新聞を読むという事はしません。

おばちゃんに限らず主婦は家事をしますが、その間中テレビをつけっぱなしにしています。そしてテレビを観る時は必ずスマホをいじっています。どちらかに意識をスイッチするという器用な行為をやって、まともにニュースを観ていません。だからじっくりと新聞を読むという行為を、しないのではなくできなくなりました。

おじさん、爺さんにはこんなマルチタスクはできません。そもそも家事をしない人は、テレビを観るのと新聞を読むのと並行してできないし、そういう思考もありません。
リタイヤ夫婦の日常は、ながらで何か家事をやっているおばちゃんと、何もしないでボーっとテレビを観ているか新聞を読んでいる爺さんの組み合わせです。お金の節約のためか新聞をとらず、図書館で新聞を読む爺さんもいます。

テレビの方が情報伝達が速いので、深夜に印刷され、朝に届く新聞の情報は昼にはもう古くなってしまいます。天気予報ですら時間ごとの精度が上がり、新聞のそれは役に立つとは言えません。でもやる事がないし、昔からの習慣なので読むという爺さんは多いと思います。

では、主婦の方がそうした情報スピードに乗じた生活でなければいけないのかというと、そんな事はありません。単純にテレビは主婦向けの媒体なので主婦が反応できる情報を垂れ流して中毒にしているだけです。

ニュースを観たり、したり顔の解説を聴いたりしているだけで情報に対するリテラシーが上がるという事はありません。リテラシーそのものは総合的な情報同士の関連を体系化する処理能力が必要で、一方的で断片的な媒体だけでは情報に踊らされるだけです。つまり情報接収から、自身の行動規範や所属する共同体の動向に結び付けなければ意味がないのですが、庶民の大半にはそういう思考はありません。もちろん私もありません。要するにボーっと生きているのです。

コロナ禍の現在だからこそ、新聞が読まれているわけではないという事実に、情報社会の本質というものが垣間見えるような気がします。

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