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【おはなし】 冬支度と木の実

「そろそろ冬眠の準備をしようと思うんだ。手伝ってもらえるかな」

僕の体よりも大きなクマが言った。

「もちろん、手伝ってくれるわよね」

クマの肩に座っているリスが言った。

僕の体を支えているハンモックが静かに揺れる。少し冷たくなてきた風にやさしく起こされるみたいに、彼らは僕をお昼寝から目覚めさせた。

「もちろんいいよ。もうそんな季節になったんだね」

急に目覚めた僕はまだ意識がさだまらない。つい最近まで池で水遊びをしていたのがウソだったかのように、季節は目まぐるしく変化してく。

「よいしょっと」

クマが僕の体を持ち上げてハンモックから地面に下ろしてくれた。僕は靴を脱いで眠っていたので足の裏に感じる草の葉っぱがこそばゆい。

僕の左肩に乗ってきたリスは、ぶどうをひと粒、僕のくちの中に放り込んだ。

「そろそろ、食べ頃でしょ?」

先にご褒美をもらった僕には、断る権利がなくなってしまった。

「じゃあ、いきましょうか」

僕がぶどうを食べ終えるのを見届けると、クマとリスが同時に言った。

ゆっくりと、のっしりと。歩き始めたクマの背中を僕は追いかける。クマの肩に戻ったリスがときどき後ろを振り返り、僕がちゃんとついて来ているのかを確認する。池を通り過ぎ、食宅にしているベンチを通り過ぎると、僕たちは倉庫の前にたどり着いた。

クマが扉を開けて僕たちは中に入る。1階部分にはクマが寝そべれるくらいに大きなソファーと、今では映らないテレビが置いてあるリビングがある。その奥にはクマがフライパンを持って立つと小さく見える台所がついている。ふたつの部屋の真ん中には、屋根裏部屋に通じる梯子が設置されている。

クマは梯子の反対側にある扉を開けると、地下へ続く階段を降りていった。僕はクマが転ばないようにちゃんと電球のスイッチを入れてから後ろをついていく。地下に到着した僕にリスがあれこれと指示を出す。

「ストーブ、マフラー、手袋、コート。ジャマになる大きな荷物から外に運び出しましょう」

リスの指示を受けて僕とクマは手分けして荷物を運び出す。ちから持ちのクマは重たいストーブを軽々と持ち上げ、僕は冬用の衣類を身につけて降りてきた階段を登り倉庫の外へと荷物を運び出す。

羽毛布団、こたつ、湯たんぽ。

僕が使うにはまだ早い道具たちがいったん太陽の灯りのもとでゆっくりと眠りから目覚めていく。何度目かの往復を繰り返して、ひとまずの作業が終了した。

「これでクマが横になれるスペースは確保できたんじゃない?」リスが得意げに言った。

「そうだね。立ったまんま眠るのはつらいからね」クマが答えた。

「それじゃあ、お茶の時間にしようか」

僕は台所でお湯を沸かして暖かい紅茶を作りはじめた。リスは床と壁の間の小さな隙間に入っていき、僕たちに隠しているお気に入りの木の実を持ち出してきた。クマは外のベンチにテーブルクロスを広げて椅子を並べた。

紅茶を作り終えた僕がテーブルに運ぶと、クマが焼きたてのアップルパイを運んでた。僕たちが小皿に自分の食べたいぶんだけのアップルパイを取り分けると、リスがお気に入りの木の実をトッピングしてくれた。

「少し早い冬支度に、かんぱい」

クマがうやうやしく紅茶の入ったカップを持ち上げて音頭をとると、僕とリスもカップを持ち上げて声を出した。

「ひと仕事終えたあとのお茶はおいしいわね」リスが言った。

「眠りにつく前に、たらふく食べておかないと、もったいないもんね」とクマが言い、「キミたちがいなくなるとさみしいよ」と僕が答えた。

「冬がやってくるにはまだ少し時間があるから、みんなで遠足にでも行こうよ」と僕が提案したけど、クマとリスは食べるのに夢中で僕の相手をしてくれない。だから僕もお茶の時間に集中することにした。



僕がこの森にやってきたのは、ずいぶんと昔のこと。あまりに昔過ぎて僕の記憶から消えてしまっている。

この森の中には背の高い木々が生い茂り、色とりどりの実を僕に与えてくれる。池には魚やカニが暮らしていて気持ちよさそうに泳いでいる。大きな鳥は見かけないけど、小鳥たちは森の中を自由に飛び回り内緒話をしているのが聞こえてくる。

僕には全ての生き物たちの声が聞こえるのではなく、親しくしなったクマとリスの声は聞こえるようになってきた。

僕がこの森にやってきた当時の記憶はクマとリスが管理していて、彼らが眠る地下室に保管されている。ときどき僕は昔の記憶を呼び戻したくなる。そんなときはクマとリスにお願いすると、地下室から持ち出してきてくれる。

「むかしのことにこだわるよりも、今の時間を楽しみましょうよ」

リスは僕が記憶の話を持ち出すと、やんわりと話題を変える。

僕よりも体の大きなクマを怒らせると僕は簡単に食べられてしまうから、クマと仲良くしているリスの機嫌を損ねるのは避けるようにしている。だから僕が覚えているのは、なにかのタイミングで僕は自分が暮らしていた元の世界から、この森がある『セカイ』へと移り住んだということだけ。細かいことは覚えていないのだ。

むかしの記憶がなくて特に困ることはなく、この森には太陽の明かりが届き、ときどき雨が降り、季節は順番っこにめぐりゆく。心なしか秋の季節が長く感じることくらいはやんわりと覚えている。僕が長く暮らしていた世界ではどんどん短くなっていった季節が、この森の中では長く過ごすことができるのはありがたいことだ。



「ぐあ~っぷ」

アップルパイをお腹いっぱい食べ終えたクマが大きなゲップをした。

「ちょっと、やめてよ!」リスが冷たく注意した。

「おっと、ごめんよ」

「ほんと、イヤになっちゃう」

体の大きさも性格も正反対のクマとリスはいつも一緒に過ごしている。性別はクマが男の子でリスが女の子。恋人同士なのか夫婦なのか僕にはわからない。

「わたしたちが冬眠したら、新しい出会いがあるかもしれないわよ」

リスがおもむろに僕に言った。

「でも僕は、新しい出会いなんて求めてないよ」

「なるようになるんじゃないかな」クマが言った。

「でも、新しい出会いも楽しそうかも」

「あなたって、ほんと、影響されやすいのね」リスは僕の肩に乗ると耳元でささやいた。「季節の変わり目は、あなたに、とっても危険だから気をつけなさい」

どこがどう危険なのか僕には分からないけど、僕はなるべく気をつけようと思った。次の日には忘れてしまったけど。



おしまい



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