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【おはなし】 石の美学

この世界のどこかにあるといわれている石の国では、列車の線路はひとの手によって切り替えられている。

「いちばん見晴らしのいい場所、そうさなぁ、あれは高台みたいな建物じゃった。その小屋の中で汽車が到着するホームをじいっと見つめるんじゃ。そうしているうちに汽車が近づいてくるわな。その汽車をどのホームに誘導するのかを決めるのがワシの仕事じゃった」

私の目の前で話している男は、自分が線路交換士をしていた時代のできごとを振り返っている。

「ミッツからイツツのホームがあったわな。ワシら交換士たちは、どのホームにどの列車を到着させるかの決定権を握っていた。まあ、のんびりしていた時代だったんだわな。乗客から文句のひとつも聞いたことがないわさ。みいんな疲れ切っていたのか、それとも自分が降りる場所がどこだろうがまったく気にしていないように見えたわな」

仕事であるならば、なにかしらの禁止事項はなかったのだろうか。私の問いかけに彼はこう答えてくれた。

「禁止されていたことか。さて、なにかあったかいな・・・。今のあんたらみたいにボスから細かい指令を受けたという記憶はまったくないんだわ」

ボロ雑巾を絞るような仕草にも見える腕組みをしながら、目の前の男は眉間に寄せた皺がさらに深くなるまで思い出の記憶を手繰たぐり寄せるために黙り続けた。

私はその間に3本のタバコを吸い終え、ミニスカートがまぶしいウエイトレスの女性にコーヒーのおかわりを2回した。次のおかわりをするタイミングで彼女から電話番号を聞き出そうと思案していると男は話し始めた。

「ひとつだけ思い出せたことがあるわさ。汽車と汽車をぶつけないこと」

なるほど。列車同士がぶつかりでもしたら大事故となり乗客に大怪我を負わせて大問題になるだろう。

「いやいや、そっちじゃないんだわさ。あの時代の乗り物っちゅうのはよくできていてな。ダイヤモンドの集合体かっちゅうくらいにガンジョウに作られておった。だから乗客が怪我をすることは、散歩中にマンモスに遭遇するくらいの確率で起きないんだわ」

いったいどういうことなんだろう。たずねた私の顔を見ながら、こいつはバカなんだな、とでもいいたげ目を向けながら彼はこう言った。

「かっこわるいじゃろうに」

かっこわるい? ただそれだけのために禁止事項がたったひとつだけ設けられていたというのか。

「それが石の国の美学だったのじゃよ」

私の頭はくらくらしてきた。私は常識にとらわれすぎているのだろうか。それとも、目の前の男がただのホラ吹きなのだろうか。

「じゃあ、そろそろ帰るわな。ごちそうさん。話の続きが聞きたかったらさっきの場所でまたワシを拾っておくれ。もしもいなかったら高架下の土手まで足を運んどくれ。じゃあ、さいなら」

私は去りゆく男の後ろ姿を見送ると、テープレコーダーのスイッチを入れたまま、3杯目のおかわりを注文するために大きく右手を上げた。

しばらくすると、さっきのウエイトレスではなく黒服を着た支配人がコーヒーのおかわりを注いでくれた。

なるほど、彼は去り際を心得ている。




おしまい




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