【おはなし】 不思議なおめん屋さん
3時のおやつの時間になり、わたしは職場の1階に入っている小さなコンビニへ向かった。
いつものチョコパンを探す。クロワッサンの中に板チョコがはさみ込まれているお気に入りのパン。
いつもは上から2段目の棚でわたしを待ってくれているのに、今日は見当たらない。近くの棚もくまなく探したけれど、出てきてくれない。
「う~ん、迷子なのかしら?」
わたしは、いちおう、ちゃんと調べてから、レジの中で退屈そうにしている店員のおばさんに話しかけた。
「あの、すみません」
「ん?」
「わたしのお気に入りのチョコパンが見当たらないんですけど。もしかして、もう製造が終了したのですか?」
「いやいや、お客さん。いま何時だと思ってるわけ? この時間に来ても残ってるわけないでしょ」
「えっと、いつもはわたしを待ってくれているのですけど・・・」
「はあ? パンがあなたを待っている?」
「はい、わたしたちはこの時間に落ち合うようになっているのです」
「へー、そいつは初耳だわ」
「でも、今日はいないんです。どうしてですか?」
「売れたからでしょ。諦めな」
おばさんはとても冷たい。ヒマそうにしてるんだから、わたしの相手をしてくれてもいいはずなのに、なんだか不機嫌みたい。
「そう・・・ですか」
「ないものは、ない」
「じゃあ、もう、いいです」
わたしは諦めきれないけど、これ以上おばさんと会話をしたくないからお店を出ていった。
せっかくおやつにチョコパンを食べようと楽しみにしていたのにな。しょんぼりしながら職場に戻る階段を登っていく。
2階を通り過ぎてもうすぐ3階に到着するタイミングになると、上の階から誰かが降りてくる足音が聞こえた。
足元を見ながら歩いていたわたしはその場に立ち止まり、降りてくるひとのジャマにならないように道を譲った。
「よよっ、ごめんなすって」
威勢のいい掛け声に気を取られたわたしは、降りてきた人物の顔を見ようと目線を上げた。目の前には、お祭りの屋台で売ってるような「おめん」を付けた人物が立っていた。
「おや、お嬢さん。もしかして、あっしの出番かもしれませんねえ」
「えっと、あなたは、だれ?」
「よよっ、あっしは、見ての通りのおめん屋さんです。おひとついかがですか?」
「いや、急にそんなこと言われても・・・」
「よよっ、そいつはそうでござんすな。あっしみたいな怪しい人物は珍しいでしょ」
わたしがビックリしていると、おめん屋を名乗る人物は、背中に背負っている荷物を下ろした。
「まあ、見るだけでいいんで、ちょいとお待ちを」
おめん屋さんは四角いリュックサックのジッパーを開けると、中に手を入れて、アコーディオンカーテンみたいに広げ始めた。そこにはいろんなキャラクターのおめんがぶら下がっている。
「これなんて、どうだい?」
おめん屋さんは、犬のキャラクターおめんを指差した。
「ん~、わたしはネコ派だから」
「ややっ、ネコのおめんは、さっき売り切れちまったな」
「えー、そう言われると、欲しくなっちゃう」
「よよっ、他にもおめんはあるけど、お嬢さんの気分は、ネコになっちまったかい?」
「うん、他のおめんもかわいいけど、ネコがいい」
「よよっ、じゃあ、明日また、これくらいの時間に待ち合わせましょうか」
「はい、楽しみにしてますね」
おめん屋さんはアコーディオンカーテンを閉じると、リュックサックのジッパーを閉めて、荷物を背負って階段を降りていった。
その後ろ姿は、黒い短髪に白色のワイシャツと紺色のスラックスを履いている、どこにでもいてそうなサラリーマン風のお兄さんだった。
「あのおめんを被ると、どうなるんだろう?」
わたしの興味は、チョコパンからおめんに移り変わっていた。
職場に戻ったわたしがおやつを持っていないのを先輩が気にかけてくれた。
「ねえ、あなた。もしかしてダイエット中なの?」
「いえ、今日はあの子がいなかったんですよ」
「ふうん、めずらしいわね。誰かに先を越されたってことかもね」
先輩はメロンパンのまわりのカリカリを前歯で味わいながらわたしの相手をしてくれている。くるくる回転させながらパンの一部だけを食べている姿は、小型のリスみたい。
「もし、よかったらだけど・・・」
先輩がわたしに提案する。
「真ん中の部分、あげようか?」
「わーい。ください」
わたしは先輩が食べ残したふわふわ部分のメロンパンを受け取ると、給湯室に置いてあるコーヒーメーカーを操作して暖かい飲み物をマグカップに注いだ。
右手にメロンパン、左手にコーヒーを持ってわたしは窓辺のおやつシートに向かう。
このフロアには出窓になっている場所があり、そこはわたしたち女性社員がおやつを食べる場所になっている。ずっと座りっぱなしの仕事だから、休憩中はなるべく立ちながら過ごすのが日課になっている。
「座りながら足をぷらぷらさせるのは、なんとかの予防にはいいみたいだけど、おじさんが貧乏ゆすりをしているみたいで上品じゃないからやめましょう」と先輩が女性社員みんなに提案したとか、してないとか。
わたしはおやつシート(出窓の空きスペース)にマグカップを置いてメロンパンをかじりはじめた。
どちらかというと、わたしも外側のカリカリが好きだけど、たまには真ん中の部分だけ食べるのも不思議な感じがする。本来ならカリカリを攻略しないとたどり着けない場所、いきなりラスボスに戦いを挑む勇者の気分になってきた。
「どうしてコンビニのおばちゃんは、わたしの大好きなパンを取り置いてくれないのかしら?」
もしもわたしが店主だったら、常連のお客さんの好きな商品をレジの中にこっそりと隠しておいて、直接お客さんに手渡すくらいのことは思いつくけどな。それくらいするのが商売人ってものでしょ。あのくそばばあ、今度あったら勇者の剣で串刺しにしてやろうか。
ポン ポン
誰かがわたしの左肩をたたいている。
「あん?」
わたしはヤンキー目線で相手をにらむ。
「こらっ。勇者ごっこはそれくらいにしておきなさい」
先輩が歯磨きをしながらわたしをこっちの世界に引き戻しにきた。
「あっ、せんふぁい、すみましぇん」
メロンパンがわたしの言葉をとろけさせる。
「なにがあったのか知らないけど、おやつタイムはリフレッシュするためにあるんだから。ちゃ〜んと味わいなさいよね」
「ふぁい。あじわいましゅ」
先輩は左手を腰に当て、右手に持った歯ブラシで歯を磨いていく。まるでお風呂上がりに牛乳を立ち飲みしているみたい。
わたしは黙って食べる。
先輩は黙って磨く。
おやつを食べ終えたわたしは、デスクに戻り、営業さんが獲得してきた伝票の処理をはじめた。
次の日。
3時のおやつの時間。
わたしはいつものコンビニへ行き、いつものチョコパンを探しているけど、今日もあの子はわたしを避けている。上の段も下の段も探したけれど、ついでにおにぎりコーナーも探したけれど見つからない。
わたしはレジに行き、あのおばさんに話しかけた。
「あの、すみません・・・」
「売り切れ」
おばさんはレジの中にある椅子に座り、スポーツ新聞を見つめたまま答えた。
(やっぱりこのひとは一流の商売人じゃないんだ。ざんねん)
わたしは心の中でさようならを言って、何も買わずにコンビニを出て行いった。
しょんぼりした気分のまま階段を登っていく。2階を通り過ぎたところで誰かが降りてくる足音が聞こえた。わたしは立ち止まって道を譲った。
「よよっ、お嬢さん。またお会いしましたね」
昨日出会ったおめん屋さんが現れた。
「あ、こんにちは」
わたしはぺこりと頭を下げてあいさつする。
「こんちは。今日はネコのおめんを持ってきやしたぜ」
おめん屋さんは四角いリュックサックを降ろして、ジッパーを開けて、中に手を突っ込んで、アコーディオンカーテンを開いた。そこにはいろんな種類のネコのおめんがぶら下がっている。
「わあ、ネコちゃんがいっぱいいるー」
「お喜びいただき、光栄でござんす。ささっ、ごゆるりとご覧あれ」
微笑んでいるネコ、怒っているネコ、泣いているネコ、すねているネコ、ほっぺたにおやつをつけているネコ、あくびをしているネコ、威嚇しているネコ・・・。
横列に5つ、縦列に4つの合計20個のおめんがある。
「どれにしようかな、迷っちゃいますね」
「そうでしょう。あっしのおすすめは、おめんのふたつ被りです」
「えっと、どういうこと?」
「顔の前に1枚、顔の後ろに1枚でさあ」
「なるほど、気分によって向きを変えるんですね」
「正解でござんす」
「じゃあ、わたしも2枚選びますね」
どうせ選ぶなら極端に違うのを選びたい。笑っているのと怒っているの。わたしは笑顔のおめんと威嚇しているおめんを選んだ。
「よよっ、お嬢さんは普段から笑顔が多めですから、笑顔のおめんは必要ないかと。ですので、威嚇しているおめんと、もう1枚は無表情なおめんにするのはいかがでしょう?」
「そうかなあ。どうして無表情がいいのですか?」
「それはですねえ、こっちが素の状態で相手に対峙すると、相手もこちらに釣られて素の状態に引きずられるんですよ。そうするとですね、お互い仮面を外した裸の状態で相手と向き合うことができるんですよ」
「へえ、おめんを付けてない状態が素の状態じゃないんですね。変なの」
「おっしゃる通り。あっしらはこうやって、その場面ごとに仮面を被って暮らしているわけです」
おめん屋さんは、自分が被っている笑顔の犬のおめんを指先でコツンとたたいた。
「じゃあ、わたしは、ネコが威嚇しているのと、無表情のおめんをふたついただきます」
「よよっ、お買い上げありがとうございまーす」
おめん屋さんはわたしが選んだおめんを取り外すと、やさしく手渡してくれた。
「請求書は会社に送りますんで、こっそりと処理しておいてください」
「えっ、あ、はい・・・」
おめん屋さんはいつのまにか、悪巧みをしている犬のおめんを被っている。彼は荷物を整理すると、リズム良く階段を降りていった。
わたしはふたつのおめんを持ちながら、どうしようかなって考えているところ。
「威嚇しているおめんを被ると、相手とバトルがはじまりそう。だから今は、こっちじゃない」
わたしは無表情のネコのおめんを被って、再びコンビニへと向かった。
念のためにパンコーナーを再び捜索する。やっぱりわたしのお気に入りのパンはどこにもいない。
「さてと・・・」
わたしは勇気を振り絞って肩にチカラを込めて、やっぱりチカラを抜くことにして、ナチュラルな心持ちでレジのおばさんに声をかけた。
「あの、すみません・・・」
「売り切れ」
おばさんはスポーツ新聞から目を上げない。
わたしは無言でその場から動かない。
おばさんはわたしを無視する。
わたしはおばさんから目を逸らさない。
タバコを求めるおじさんがやってきて、お買い物をして帰っていった。
アイスクリームを求める学生さんがやってきて、お買い物をして帰っていった。
わたしはその間もずっとおばさんから目を逸らさなかった。
「ちっ、仕方ないねえ」
おばさんはわたしから死角になっている場所からチョコパンを取り出すと、ぶっきらぼうな表情で「150円」と言った。
「ありがとうございます」
わたしがお礼を伝えると
「たまたまね、たまたまなのさ・・・」
おばさんは、ちょっぴり恥ずかしそうにしている。
わたしはお金を払ってからおめんを被っていることを思い出した。これってやっぱり失礼だから、わたしはおめんを外してから、もう一度お礼を言った。
「どうもありがとうございました」
おばさんはドスンと椅子に座ると、スポーツ新聞を読みはじめた。
「売り切れ」
おしまい