【おはなし】 夏のドライブ
みなさま、あれからお元気に過ごされているでしょうか。
改めまして、わたしの名前は、なっちゃんと申します。とあるホームセンターの園芸用品売り場にてマスコットをしている珍種の生命体でございます。
今回の「お手紙」は前回のつづきとなります。5,000文字くらいあります。少し長くなりますので休憩をはさみながらお楽しみください。
前回の「お手紙」をまだご覧でないみなさまは、こちらからどうぞ。
ぶっきらぼうな店員のおじさんの日々のお世話の甲斐もありまして、わたしの身体は少し成長してきました。今ではタクシー運転手のお兄さんの車の中でお手伝いができるくらいに身体機能が発達しています。
わたしの担当は、金銭授受のお手伝いです。
今ではクレジットカードや電子決済が主流でございますが、こちらのタクシーでは支払い方法が現金決済のみとなっております。運転手さんにその訳をたずねたところ、中間マージンを持っていかれるのがもったいない、とのことでございます。なんでも手数料という名の中抜きビジネスが横行していることに対して、運転手のお兄さんは気分がゲンナリとしているご様子。
「手も使わないのに手数料ってなんなんだよ、まったくもう・・・」とのことです。
やっぱり身体を動かしてこそのお仕事という信念を持たれています。
その運転手さんに見守られながら日々を過ごしているわたしは、なんと、両手が自由に使えるようになったのです。
わたしの成長に伴いまして、住まいも大きくしていただきました。
この間までわたしの住まいは、プリンの容器ほどの大きさの植木鉢の中で暮らしておりました。今ではマグカップほどの大きさの植木鉢の中で暮らしています。横のサイズはそれほど変化はないのですが、深みが出てまいりました。
このおうちは、ぶっきらぼうな店員のおじさんが用意してくださいました。引っ越しするタイミングでは「なっちゃん、忘れものないか?」とごていねいに確認してくださいました。いつもはお客さんに対して横柄な物言いのおじさんなのですが、このときはとてもていねいだったことをわたしは忘れることはないでしょう。
運転手のお兄さんと店員のおじさんとの会話です。
「おじさん、なっちゃんは大きくなってきたから、ちょっと散歩に連れて行ってあげようと思うのだけど、どうでしょうかねえ?」
「ああ、そうだな。ずっと園芸用品売り場で過ごしていると気が滅入るだろうから、いいアイデアだと思うぜ」
「そうですか。じゃあ、持ち運びしやすいように、取手のついたマグカップに引っ越すというのはどうでしょう?」
「ああ、悪くないアイデアなんだがな・・・」
「なにか心配事があると?」
「水を抜くための穴が必要になる」
「なるほど。植木鉢の底面には穴が開いてますもんね」
「マグカップに穴の空いてる物があれば楽なんだけどな」
「じゃあ、穴を開けましょうよ」
「だー、これだから素人はいけねえ。あのな、既存の商品に底だけ穴を開けると、他の場所に負荷がかかって急に壊れることにもなりかねんのだよ」
「そうですか・・・」
ふたりは考え込んでいたのですが、しばらくすると、お兄さんにアイデアが閃いたみたいです。
「じゃあ、既存のマグカップを雨ガッパみたいに使いましょうよ」
「どういうことだ?」
「なっちゃんを水捌けのいい植木鉢を軽量化した家に引っ越します。そして、既存のマグカップの中に出し入れしながら持ち運べば水抜きもできますよね?」
「なるほどな。うちで販売している他の商品みたいに柔らかい素材の仮住まい用の鉢に引っ越して、その状態をマグカップの中に出し入れするということか。アイデアとしてはいい線をいってるから、あとは・・・」
店員のおじさんはわたしを軽量化されている簡易的な鉢植えに引っ越しをしてくださいました。お店で売られてる状態の黒いペラペラよりもしっかりとした軽量タイプのおうちです。
こうしてわたしは、マグカップを着てお出かけするようになったのです。まるで着せ替え人形みたいでしょ?
前置きが長くなり申し訳ございません。
わたしは今、タクシーのドリンクホルダーの中に入っています。
運転手のお兄さんがハンドルを握り、炎天下の道路を速度を落として走行しながらお客さんを探しています。カーラジオからはAM放送が流れています。おじさんとおねえさんが会話をしながらお便りを読んだり、演歌と呼ばれているジャンルの音楽が流れたりしているチャンネルです。どうやら運転手のお兄さんは、こういうのがお好きなようです。
時刻は午後3時を過ぎたところ。
もう少しすると西日と呼ばれている1日の中で最も太陽光の強い時刻に差し掛かります。運転手のお兄さんはサングラスをかけるのでちょっとワイルドな雰囲気に切り替わります。わたしの大好きな時間です。
「なっちゃん、海、見たくないですか?」
急に運転手さんがわたしにたずねました。
わたしは声に出して返事をしたいのですが、まだ声帯がこのエリアの仕様に馴染んでおりませんので声を出すことができません。そのかわり、わたしには両手が自由になりましたので頭の上でまるく円を描きました。
「そうか、やっぱり海は見なくっちゃだよなー」
運転手のお兄さんはとても嬉しそうに微笑みました。
パタン
タクシーの行き先表示が「空車」から「予約車」に変更されました。
先程までお客さんを探しながらため息をついていたお兄さんとは思えないほどイキイキとした波動が出ております。もしかしたら、わたしよりも海を楽しみにされているのかもしれません。
わたしたちは街なかを流していたのですが、坂道を登り、棒高跳びのバーにも似た遮断器を無事に通過し(わたしはぶつかりそうになったのでとてもビックリしたのです)、今では高速道路を走行しています。
「右手に見えますのは・・・」
運転手さんの道案内がはじまりました。なにかのモノマネでしょうか。いつもと口調が違います。
お兄さんはわたしのためにあれこれと建物を紹介してくださるのですが、あいにく、わたしは聞いておりません。窓の間を通り抜ける強い風が気持ち良くって目をつむっているのです。わたしよりも身体の大きなお兄さんはへっちゃらなのでしょうが、わたしはこれほどの強風を浴びるのがはじめてのことですので、おどろき半分、よろこび半分の不思議な心理状態を楽しんでいるのです。
目を閉じていると、いつのまにか空気に変化がおとずれました。湿っぽいといいますか、雨とは違うみずっけを感じるのです。わたしは片方の目だけを開けて外の景色を見ました。
車が行き交う道路から離れた場所に大きな水溜まりが見えます。とても大きな水溜まりです。しかもその水は、ゆらゆらと揺れながら移動しています。わたしはもっとその水たまりを見たくって、両手でメガネのポーズをとりました。すると運転手さんが気づいてくださいました。
「おー、なっちゃん。やっぱり海はサイコーだよな」
わたしはポーズをとり続けます。
「うん、そのポーズはもっと見たい、だよね。ボクが教えたことをしてくれてありがとう。でもね、今は高速道路を走っているから、もう少し待ってね。ハンドルから手を離すと危ないから」
わたしは了解のポーズを取りました。両手を頭の上で円を描きました。
なるほど、あの巨大な水溜まりを海と呼ぶのですね。
いったいどんな味がするのでしょう。ミカンでしょうか、それともリンゴでしょうか。わたしの大好きな果実の味がするといいのですが、そうじゃなかったらどうしましょう。
今日は園芸品に詳しい店員のおじさんがいないので少し不安を感じてきました。でも、わたしには両手でコミュケーションがとれるはずです。気を大きく持ちましょう。
あっという間に浜辺に到着しました。
運転手さんは、タクシーを邪魔にならない場所に停車して、わたしをマグカップごと持ち上げて運んでくれています。
今、わたしたちは砂浜の上を移動しています。運転手のお兄さんは靴を脱いで裸足になっています。
空はずいぶんと暗くなりました。
海と呼ばれている巨大な水溜まりの向こう側に、太陽が今から帰ろうとしているところです。最後の明かりをわたしたちに届けてくださっています。
お兄さんの足に海の水がかかりました。
「おー、冷たくもなく熱くもない適温だ」といいながら足をパシャパシャしています。
「あのね、なっちゃん」
わたしはお兄さんの目を見ました。
「ここが海です。このゆらゆらと動きながらこっちに向かってくる水は、波といいます。あの太陽が沈むところを水平線っていいます」
わたしは了解のポーズをとりました。
「じゃあ、少し、触ってみる?」
わたしは閉じた右手をおでこの位置に持っていきました。
「そうだよね。少し考えちゃうね」
これはちょっと考えるのポーズなのです。
「じゃあ、またあとで確認するよ」
お兄さんは波に足を浸しながらゆっくりと砂の上を歩いていきます。
わたしは海が運んでくる香りを嗅いでいます。
雨のにおいに似ているようですけど、やっぱり違います。少し刺激的な香りがします。ちょっとくらいなら触っても平気かもしれません。それにわたしの身体になにか異変が起きれば、店員のおじさんがなんとかしてくれそうな気がします。
わたしは夕焼けを見つめているお兄さんに合図を送ろうとしました。ですが、お兄さんの表情がいつもと違うので待つことにしました。少し悲しそうだけど、泣きたいわけじゃない。お兄さんからは不思議な波動を感じます。
わたしも同じように夕日を見つめていました。
「そろそろ決心がついたかな。触ってみる?」
お兄さんがたずねてくれました。
わたしはとっくのむかしに決心していたのですが、それはナイショにしました。
「よし、じゃあ、手で触ってみようか」
お兄さんはマグカップの角度を調整してわたしの手に波がかかるようにしてくれました。冷たさはそれほど感じません。ちょっと不思議な感覚がします。果実の水分でもなく、雨水でもなく、水道水でもない肌触り。うん、嫌いじゃないです。でも、ときどきでいいかな。飲みたいとは思わない。うん、果実の水がいい。
わたしは、もういいよのポーズをとりました。
「オッケー。じゃあ、楽しめたかな?」
わたしは了解のポーズをとりました。
「じゃあ、そろそろ帰ろうかな。なにか気になることはないですか?」
お兄さんが確認してくれたので、わたしはさっきからずっと気になってる物を手で示しました。
「ああ、この子の説明を忘れてたね。この子たちは貝殻といいます。円形の家を閉じり開いたりして暮らしているのだけど、ここにたどり着いたときには片方だけになっています。相方と離れちゃったのかな。セミの抜け殻みたいなものかな。よかったら、持って帰る?」
わたしは欲しいのポーズを取りました。
「よし、じゃあ、集めるよ」
お兄さんは貝殻をいくつか集めてくださいました。
「これにする、こっちかな、やっぱりこっち?」
ひとつずつわたしに確認してくださいました。わたしは気に入った貝殻をひとつ、見慣れない石ころをひとつ自分の部屋の中に保管しました。
「それでは、帰りましょうかね?」
わたしはありがとうのポーズをとりました。
このように、わたしはときどき外出をしながら暮らしています。
この日はタクシーの中でお客さんのお相手をすることはありませんでした。普段は園芸用品売り場のマスコットとして、みなさまのお越しをお待ちしております。
世間はお盆休みということでホームセンターにもたくさんのお客さんにお越しいただいております。
「キッチンを手作りリフォームするのよ」と張り切っておられるご婦人がいらっしゃいました。
「孫がね、お盆休みで帰ってくるから、なにか遊べる物が欲しいのよねえ」と商品を探すお婆さまもいらっしゃいました。
タクシー運転手のお兄さんは大忙しみたいです。
「なっちゃん、あのね、お盆には帰省ラッシュという魔物が潜んでいるんだよ。乗客たちの中には、魔物が吐き出す負のエネルギーを受けて暴走するひとも出るんだ」とのこと。
そういうときこそ、わたしの出番だと思うのですが・・・。わたしは園芸品売り場にてお留守番をしています。
海から連れて帰ってきた貝殻と石の話もしたいのですが、長くなりましたのでまたの機会に致します。
なにかと慌ただしい毎日ですが、みなさまお身体に気をつけてお過ごしください。
追伸
ちいさなお子様が夏休みの宿題にわたしの観察日記をつけてくれています。わたしの住まいである植木鉢には「非売品」の値札がついているのですが、ヤンチャなお子様が理解してくださらないので少々困っております。店員のおじさんの威嚇にも怯まないご様子。にぎやかな毎日です。