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ギリギリサバイバーみじゅきの考える、チームコミュニケーションの第一歩

 誰かを安心させたいな、と思うのは、自分が根から安心していないことの裏返しであるともいえる。

チームビルディングでの上下「見え方」

 4回生の冬でなお、エネルギッシュに学生団体で活動していると、アクティブな同期よりも超アクティブな後輩と関わることが多い。頼れる同期が少ないということでもある。そして、そんな後輩と一緒にチームをつくっていかなければ、上手く物事を達成できない

 3回生のときに見える後輩の2回生はディティールが比較的鮮明に見えてるんだけど、4回生から見える2回生というのはそれが全然見えない。1回生は言わずもがな。

 高校であれば、3年生から見た1年生は雛鳥のようなもので、懇切丁寧手取り足取りの姿勢が適切だろうけれど、大学2年生って自分のときを思い返しても一番アクティブに、色々なことが開花していった段階だったので、ただ自分より下のレベルの人間を引き上げる、という思考では上手く噛み合わないと思う。

 後輩というものは先輩に対して(良くも悪くも)うまく距離を取るレベルも上がるので、適切な距離感を見つけながら、ときにこちらから近づいていく努力をする必要がある。上から目線で指導するのも、怒るのも中々効果のある話じゃないし、かといって対等にできるものでもない。

 そんな信用のない話があるかと思うけど、これ見誤るのが怖い。コミュ力があって、おもしろい人なら突破できるかもしれないけど、そもそも誰であってもコミュニケーションが怖い(大げさだが)という私には中々難しい。

ちょっと前に後輩と喋ったとき、「私が先輩後輩のロールを演じる関係を望んでいるからこそ、私自身が後輩と距離を取ってるんじゃないか?」ということに至ったのだけど、まあそれの是非は置いておくこととする。

 そこで、少しでもマシになる方法がないか考えた。

こんな方法はどうだろう

 一番自分に合うやり方だなと思うことが一つある。自分が失敗する姿をどんどん見せること。私の周りにはすごく能力の高い人もいるし、自分の範囲を見定めて楽しく生きている人もいる。ただ、自分の身の丈を超えた大きなものに(わざわざ)挑んで、何度も何度も倒れる人というのはあんまりいないかなと。

 それも、「誰にもできないこと」で失敗してるわけじゃなく、これなら「ちゃんとやれば」「私にだって…」できるやろ、ということを失敗している人。傍から言うのは簡単だけど、その失敗は自分の限界を超えて挑んだ人にしかできないことを私は知っている。簡単なことが難しいことを知っている。意外と乗り越え方は単純なことを知っている。

 失敗して助けてもらって、失敗してまた助けてもらって、その繰り返しでなんとか一つ事業を完遂する(自分の力だけではできない)というのをしている経験は、唯一無二だと思う。そしてそんな経験は、学生でないとできないと言いたくはないけど、お金を稼ぐ中では難しいんだろう…と思う。

 最後に事業を完遂できさえすれば、サバイバーとして色々な価値を持って帰れるんじゃないかと思う。自分も淡路島の観光マップにしろ、観光列車のおもてなし映像にしろ、色々なところで失敗ばかりしながらも、成果物を世に出せたことで一応は(ギリギリ)サバイバーとなってここまで来れたのだから。

目指す像

 他の人に計り知れない迷惑をかけ続けてここまで来た以上は、せめて後輩の役にくらいは立ちたい。でも自分の現状を鑑みたら、カッコいい先輩になるのは難しいから、持久力も跳躍力もないけどなかなか死なない部分に興味を持ってもらえるように。(この部分を持ってない人はたくさんいるので。)そして失敗が怖いとか、今現在失敗してもう一度立ち直ろうとしている人の安心材料になりたい。

 どんどんナメてかかってきていい、少し敷居の低い人として、色々教えてくれたら嬉しいな、という希望を持っている。そして、そうなるために私自身から一歩目のアプローチをかけていく必要があるんだとも考える。それは難しいんだけどな…頑張ります。

 自己弁護に聞こえて上等、自分を認めて安心して生きる第一歩。

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