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小説を書くのは辞めようかな③



小説を書くのは辞めようかな①



小説を書くのは辞めようかな②





小説を書くのは辞めようかな③


 一般的にモラトリアムとして許されるのは30歳までだろう。しかし、神宮寺凌には「私は三葉亭八起という作家以外の者にはならない」と、30を過ぎてもよく語ったものだ。志を同じくする者として、神宮寺凌のことは盟友だと思っていた。
 
 しかし、「小説家たる者は何者にもなってはならない」という私たちの綱領とも言える言葉を、「そんなものは理想論だ」と神宮寺凌に言われて以来、私たちは疎遠になった。あいつは今頃、どうしているだろう。

 凌はホストのバイトを続けていた。ホストを本業とする奴らにも負けないくらいの売り上げを作っていた。
 確かに小説家をするよりも、稼ぐことはできるだろうが、小説とは金儲けのためにあるのではない。
 もちろん、食べて生きていくためという現世的な御利益もなければ、小説家という職業は成り立たないのは認める。だが、売れることと小説の価値を天秤にかけるならば、売れることより小説の価値のほうが大切なことは言をまたない。

 お互いに30というタイムリミットを越えても、志を同じくする者として神宮寺凌を見てきたが、お前もパンを前にして屈服してしまったのか?

 私は精神的にかなり落ち込んだが、今さら信念を曲げてしまったら、今までの労苦が水泡に帰する。

 神宮寺凌は売れるためなら純文学などかなぐり捨てることを辞さないらしいが、三葉亭八起である私は、ずっと作家・三葉亭八起でありつづけることを願う。


 なぁ、神宮寺凌よ、君のあの時の言葉は、ホントの本当に君の考えなのか?

 私は私で我が道を往けばいいのに、小説を書いていてしんどくなると、凌への恨み節が脳裏をよぎった。

 以前、彼の作品が谷崎潤一郎の「痴人の愛」と対比されることがあった。君には不本意な評価だっただろうね。私たちの間では、谷崎と言えば思想的には「陰翳礼讃」、文学的には「異端者の悲しみ」という作品こそが私たちが目指すべきものだったから。それが、谷崎の中では君が駄作だと言っていた「痴人の愛」と評されたのだから。

 やけっぱちだったのかもしれないが、大衆文学へ舵を切ってしまえば、私たちの崇高な目標をかなぐり捨てることになりやしないか?

 「でもな」とも私も思う。いくら理想を掲げても、作家として食べていけなければ、端から見れば原稿用紙に落書きしているのと何ら変わることがないだから。

 私の心は、神宮寺を罵ったのとは裏腹に大きく揺れ動いていた。金を稼ぐならば神宮寺はホストのほうが向いている。それに比べて私がしていることは、牛丼という、いわば形而下の食い物を売ること。それしか出来ていないのだから、小説を生活の糧として考えたい気持ちもないわけではない。しかし、純文学という旗はおろしたくはない。

 彼はホストとして、女たちに「ココロ」を売っている。それに比べて、私は牛丼チェーン店の店員として、牛丼という「モノ」を売っているのに過ぎない。

 小説家としての資質は、三葉亭八起より神宮寺凌のほうが遥かに上なのに。彼は純文学の代わりにラノベを書くと言っていたが、また純文学に戻って来てくれないだろうか?

 私は、原稿用紙に向かうたびに、神宮寺凌のことを考える日々が続いていた。最近私は、牛丼で稼いだカネで、牛丼ばかり食べている。

 私は牛丼を食い、純文学を書こうとしている。神宮寺凌は、シャンパンタワーを作りながらラノベを書こうとしている。再び私たちが交わることはあるのだろうか?

 淡い希望をもちつつ、私は私の目指す純文学を、今日もまた、牛丼を食いながら書き続けていた。

 


…④につづく



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