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メディアの歴史

 高校時代の日本史の時間に学んだはずだが、メディアの歴史について、簡単に振り返ってみたい。主に、新聞、ラジオ、テレビの歴史を扱う。
 では、歴史の教科書のおさらいをしよう。

[ 1 ] 新聞の歴史

 我が国最初の日刊新聞は、1870年に創刊された「横浜毎日新聞」。代表的なものを年表にすると、次の通りである。

1870 横浜毎日新聞
1872 東京日日新聞
1872 郵便報知新聞
(立憲改進党の機関紙)
1874 朝野(ちょうや)新聞
1874 読売新聞
1879 朝日新聞(のちに大阪朝日新聞)
1882 時事新報(福沢諭吉創刊)
1882 自由新聞
1888 東京朝日新聞
1888 大阪毎日新聞
1889 日本
1890 国民新聞
1892 万朝報
1903 平民新聞

1880年代から90年代にかけては、自由民権論・アジア問題・条約改正問題などが高まった時期である。
また、政治的主張をもつだけでなく、近代文学の育成・普及にも貢献した。
同時期には、
1887 国民之友
1888 日本人
1895 太陽
1899 中央公論 
などの総合雑誌も創刊された。

中学生の歴史でも学ぶが、
1894~95 日清戦争
1895 下関条約調印、三国干渉
1904~05 日露戦争
1905 ポーツマス条約調印
あたりはおさえておきたい。

[ 2 ] ラジオ放送、テレビ放送

新聞・雑誌などの活字メディアだけでなく、1925年(大正14)には、東京・大阪でラジオ放送が始まった。開局の年に36万人であった契約者は、満州事変以後には100万人をこえた。
また、映画は、明治時代から輸入されていたが、大正末期から観客数が飛躍的に増加して、外国を認識する上で映像の与えた影響は大きかった。

 映像というとテレビを想起するのだが、映画のほうが先だったのですね😄。

 戦後再発足したNHKが、放送網を全国にか拡充して、民間ラジオ放送が開始されたのは、1951年(昭和26)である。

 1953年(昭和28年)には、テレビ放送が始まり、1960年代を通じて普及して、さらに1970年代にはカラーテレビにかわった。

話が前後するが、人類が電波を利用した最初は、1895年のイタリア人のマルコーニ。

日本で地デジ放送が始まったのは、2003年のこと。


[ 3 ] 電話

[ 4 ] メディアの収入源

 新聞社の収入源は、基本的には購読料がメインである。
 ラジオの収入源は、広告宣伝である。リスナーから料金を徴収することが主な収入源だったとしたら、ラジオは普及しなかっただろう。
 その点で、後発のテレビには、ラジオというビジネスモデルがあった。

 ラジオもテレビも、放送局が多くの人々に情報をおくるという意味で、「一対多」の関係にある。あるいは、「1つの企業→個々人」という関係。

 では、ネットはどうかと言うと、
「個々人↔️個々人」という場合が多いだろう。あるいは「多対多」の関係。
 使い方にもよるが、明らかにラジオやテレビのビジネスモデルとは異なる。

 何が言いたいのかというと、ネットよりも歴史の古いラジオ・テレビでは、それなりに利用のルールが確立されているが、ネットの場合は、歴史が浅く、また、ビジネスモデルもルール作りも、確立されているとは言えないということである。

 そもそもの問題として、運営者側がルールを設定すべきか、はたまた、利用者が作り上げていくべきか。あるいは双方で決めていくべきか。

 意外と根本的なことで、まだまだ考えるべきことがあるような気がしている。
 

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