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🍂お別れのとき🍂

[1]昭和60年10月

「え、またなの?」
突然のことに江梨子は絶句した。もうそろそろかな、という頭はあったが、やはり驚きを隠せなかった。

「まあ、残念だけど、しかたのないことね。誰が悪いというわけではないのよ。お父さんも、江梨子のために頑張ってるんだから、わかってあげてね。」
江梨子の母親は、視線を合わせることなく江梨子をなだめた。

「でもさぁ、やっとここでも仲良くなった友達ができたのに。」

母親を責めるような口調で江梨子は泣き崩れた。
「さみしいよ。いつもお父さんの仕事のことばっかり優先するんだよね。」

「ごめんね、江梨子。とりあえず、近いうちに、担任の先生に転校すること、伝えなくちゃね。」


[2]昭和60年10月

その翌日、江梨子の母は学校へ向かった。担任の大里先生に、夫の仕事の都合で転勤することを伝えた。

「さみしくなりますね。江梨子ちゃんもつらいでしょうね。お別れのこと、クラスメートのみんなにどう伝えましょうか?」

「いえ、江梨子の性格から言って、みんなに伝えるのは嫌がるでしょうね。中学生2年生にもなると、みんな部活や勉強で忙しいでしょうから、特に何もおっしゃらなくても。」

「そうですか。お母様のお気持ち、江梨子ちゃんの気持ちを尊重しましょう。江梨子ちゃんが転校した後に、生徒たちに伝えますね。」

「お世話になりました。」


[3]昭和60年10月同日夜

「先生なにか言ってた?」

「江梨子がいなくなるから寂しいとおっしゃってたよ。」

「ほんとかな」と江梨子は思った。
というのも、いつも大里先生から小言ばかり言われていたからだ。

スカートの丈が短すぎるとか、背筋をピンと伸ばせだとか。中2にもなって、そんなことばかり言われたくない。

おまけに成績も下がっているだとか。大体、大里先生なんて、音楽の先生のくせに。おばさんだし。五教科以外の先生なんて担任になってほしくなかった。

「誰にでも言うようなこと、私にも言っただけなんじゃないの?」

「あら、そうかしら。大里先生、いい先生じゃないの。江梨子のこと、心配なさってくれている様子だったけど。」

「それは、一応そういうふうに言うものなんじゃないの。」

江梨子は大里先生の肩をもつ母親に嫌悪感をもった。


[4]昭和60年10月末

次の日、江梨子はいつもと変わらず、8時ちょっと前に学校に着いた。
「おはよう」
江梨子の親友の瞳だ。

「あ、ひーちゃん、おはよう」

「あのさぁ、昨日、江梨ちゃんのお母さんが、職員室で、大里先生と話しているの、聞いちゃったんだよね。引っ越しちゃうってホントなの?」

「そうか、聞いちゃったんだ。みんなには黙っててくれるかな?みんなから変に気を遣われるのも嫌だし、寂しくなっちゃうからさ。ひーちゃんはいいけど、二人だけの秘密にしてね。」

「わかった。でも、私は江梨ちゃんがこの町を離れる前に、会いに行きたいんだ。最後だから。」

「最後って。死ぬ訳じゃないんだから。」

「ははは。それは、そうだけど。で、いつ引っ越すの?」

「来週の日曜日。時間ははっきり決まってる訳じゃないけど、午前中には出発すると思う。」


[5]昭和60年11月

ああ、いよいよ今日でこの中学校ともお別れか。でも、今日は土曜日だから、午前中に授業が終わる。このまま、ふっと消えるようにサヨナラできたらいいんだけど。

とりあえず、ひーちゃんにだけ明日の出発の時間を伝えなくっちゃ。

「ねぇ、お母さん、明日、だいたい何時くらいに出発するかわかる?」

「お父さん次第だけど。車の運転が長くなるから、そうね、朝の10時くらいには出発しなくちゃね。」

「そう。じゃあ、ひーちゃんには、九時半くらいって言っておくね。じゃあ、行ってきます。」

この通学路を通るのもこれが最後かぁ。最初にこの町に来たのは、小5のときだったから、ちょうど3年。中学は1年と半年か。3年なんてあっという間だったなぁ。

でも、小学校卒業はこの町。中学校入学もこの町。ひーちゃんに会えたのもこの町。それなりに想い出になったかな。

「江梨子ちゃん、おはよう」
江梨子は驚いた。大里先生だ。

「え、先生、どうして?こんなところに?」

「江梨子ちゃんにとって、今日が最後の登校日。一緒に歩いて学校に行きたいなって思っちゃって。やっぱり嫌かな?」

「だって、先生と私が一緒に歩いているところを見られたら、みんなから変な目で見られるじゃないですか?」

江梨子は自分でもびっくりするくらい大きな声になっていた。

「ごめんね。江梨子ちゃん。じゃあ、やっぱり先生、お先に学校へ向かうね。また、教室で会いましょう。」


「おはよう、ひーちゃん」と江梨子は瞳に声をかけた。

「あ、江梨ちゃん」と瞳はちょっと驚いた様子で呟いた。
「おはよう、江梨ちゃん」

なんかいつものひーちゃんと違うな、と江梨子は思った。なんか、ちょっと変。でも、最後の日だからこんな雰囲気になるのかな。

「ひーちゃん、明日ね。9時半に私の家まで来てくれたら会えそうなんだけど」

瞳は江梨子の目を見ずに言った。
「江梨ちゃん、ごめん。明日行けなくなっちゃったの。ごめんね。」

「えっ、ひーちゃん、何で。」

「ごめんね、理由は言えないんだ。」
瞳の言葉を聞いて江梨子は失望した。どうせ、もうこれから縁がなくなる私。仕方ないか。他の用事を優先するんだ、私なんかよりも。

最後の授業が終わり、江梨子は、帰り際、職員室の大里先生のところへ挨拶に行った。母親からお礼の品を手渡すように言われていたからだ。

「あの、朝渡せば良かったんですけど。これ、お母さんから。」

「あら、どうもありがとう。お母さん、お父さんによろしく伝えてね。向こうの学校に行っても頑張ってね。じゃあ、先生用事があるから、これで。お元気で。江梨子ちゃん。」

そう言うと、大里先生はどこかへ行ってしまった。

江梨子は、なんか切ない気持ちになった。まぁ、正直に言えば、そんなに大里先生のことは好きではないけど、なんか冷たいなぁ。ひーちゃんも私のことを避けるような感じだったし。

[6]昭和60年11月、転校の日

とうとう旅立ちの日か。今日は誰も来ない。さよならは昨日、一応すべて済ませてきた。

はずだった。

「江梨子、そろそろ行くぞ」

「うん、お父さん、いま行く。」

最後だから、何となく、エレベーターじゃなくて、階段で下におりて行った。

「えっ、ひーちゃん、何で。」

目の前に現れたのは、瞳だけではなかった。男子も女子も、クラスメート全員が江梨子の前に現れた。

「じゃあ、みんな行くよ、練習の成果を十分発揮しよう」

大里先生は指揮棒をポケットから取り出して、みんなの前に立った。

「せーの」

「暮れなずむ町の♪
光と影の中♪
去り行くあなたへ♪
贈ることば♪」 

突然のことに江梨子はびっくりした。でも、大里先生はやはり音楽のこととなるとさすがだ。きっと、昨日は、江梨子が帰った後、みんなで歌の練習をしたのだろう。

「♪悲しみこらえて
微笑むよりも♪
涙枯れるまで
泣くほうがいい♪」

涙が止まらなくなった。

ずるいよ、みんな。こんなことされたら、悲しくなっちゃうよ。

どうやら、江梨子の両親も、大里先生が来ることも、クラスのみんながここへ来ることも知らなかったようだ。

指揮棒をおろし、大里先生が振り返って言った。
「これで、最後じゃないよ。学校ではもう会えないけど、江梨子ちゃんはいつまでも、卒業しても、ここにいるみんなのクラスメートだし、私の大切な教え子です。どうしてもつらいことがあったら、連絡してね。私のほうから会いに行くからね。」

「どうもありがとう、みなさん。先生、本当に最後の最後までお世話になりました。」父と母が深く頭を下げた。


[7]昭和62年1月

今年は江梨子のもとへ、大里先生からの年賀状は届かなかった。先生にしては珍しいな、忙しいのかな、と江梨子は思っていた。

1月の下旬、一通の手紙が届いた。
「大里久夫」と封筒に記されていた。

「江梨子さん、妻は昨年、亡くなりました。江梨子さんのことは、こちらの中学校にいたときからよく聞かされていました。」
「実は、江梨子さんが転校される直前、ガンが見つかって。そのとき、余命が数年だと告げられていました。その頃からもう助からない、と悟っていたのでしょう。」
「なにか、残したいと思ったんでしょうね。江梨子さんのこと、本当にいい子だ、かわいい子だと言っていました。江梨子さんには、ちょっと口うるさくなってしまっていたかもしれません。許してあげてくださいね。」

「だから、大里先生なんか嫌いなんだよ。死んじゃうなんて。絶対許さないからね。」

江梨子は涙を止めることができなかった。

[終]






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