エッセイ | 3という発想
(1) 「3」という発想
数学者・芳沢光雄さんの著書に「『3』という発想」(新潮選書)がある。以前、図書館で借りて一読しただけなので、詳細な内容は記憶していないが、面白い着眼点だ。
現在、日本の数学の授業では、中学生で一次関数および二次関数、高校生で三次関数を学ぶ。
四次関数、五次関数・・・もあるが、とりあえず三次関数まで学べば、それ以上の高次関数をいちいち学ばなくても、知識を転用することができる。
考えてみると、「3」という数字は、バランスがよい。
点1つ、あるいは点2つを通る平面は無数に考え得るが、点を3つ定めれば(3点が一直線上になければ)、平面は1つに定まる。
最も角の少ない多角形は、三角形だし、私たちは三次元に住んでいる。
牽強付会かもしれないが、「3」という発想は、私たちの発想のベースに常に存在する。
(2) 何でも「3」でまとめる傾向がある
「3」というものは、人間の記憶力に大きな負担をかけることが少ない。
もちろん「四天王」とか「京都五山」とか「七不思議」というまとめ方もあるが、覚えることが3つ以上になると、記憶を呼び起こすのにひどく苦労する。
日本史や公民で学んだ用語も「三大○○」というものが多い。
江戸時代の三大改革→享保の改革、寛政の改革、天保の改革
明治維新の三大改革→学制、地租改正、徴兵令
日本国憲法の三大原則→国民主権、基本的人権の尊重、平和主義
三審制→地方裁判所、高等裁判所、最高裁判所
三権分立→立法権、行政権、司法権
その他、スポーツ・文化面でも
三冠王→ホームラン王、打点王、打率王
三役力士→大関、関脇、小結
三賞(大相撲)→技能賞、敢闘賞、殊勲賞
金メダル🥇銀メダル🥈銅メダル🥉
三途(の川)→地獄道、餓鬼道、畜生道
日本三大祭→祇園祭(京都)、天神祭(大阪)、神田祭または山王祭(東京)
東北三大祭→青森ねぶた、秋田竿灯まつり、仙台七夕祭
(3) 河合隼雄(著)「中空構造日本の深層」(中公文庫)
河合隼雄(著)「中空構造日本の深層」(中公文庫)は、日本人の心の深層を解明するモデルとして『古事記』という神話における中空・均衡構造を提示している。
非常に難しいことを言っているが、単純化してみる。
西洋的な考え方によると、AとBというものが対立した場合、その結果としてCというものが形成される。
しかし、日本神話の場合、AとBというものが対立する場合、両者の間には常に「空(くう)あるいは無(む)」という領域がある。対立しても新たなCというものが形成されるわけではなく、AやBの代わりになるような存在が入れかわるだけで、ただ同じところを巡回する。そうやってバランスをとる場合が多い。
(4) ドラゴンボールにおける中空構造
河合隼雄のこの著書を読んだとき、「中空構造」という概念で、「ドラゴンボール」を分析できると思った。
例えば、(初代)ピッコロ大魔王と孫悟空が戦っている間、無為な「中空」的な存在として「地球の神」(もとはピッコロ大魔王と1つの存在だった)がいた。
ベジータと孫悟空が戦っているとき、「中空」的な存在は、「界王」だった。
魔神ブウと悟空たちが戦っているとき、「界王神」は中空にいた。
「力の大会」において、各宇宙の代表選手たちが戦っているとき、「全王様」が中空にいた。
まとめ
こうやって考えてみると、日本人にとって、「3」という数字は大きな意味をもっているように思える。
基本的な西洋流の考え方が「二項対立」ならば、日本人の深層心理に常にあるのは「三者のバランス」である。
○か✕かではなくて、どっちでもないような△という存在があることで、バランスがとれているように思われる。
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記事を読んで頂き、ありがとうございます。お気持ちにお応えられるように、つとめて参ります。今後ともよろしくお願いいたします