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役に立つって何だろう?

 なにか個人的かつ具体的なことを解決したいとき、小説や歴史書を紐解くことはあるだろうか?
 どこの店が安いとか、今見頃の場所はどこかとかいう「すぐに役立つこと」は検索したり、人に聞いたりすればこと足りる。わざわざ何年か前に書かれたものを読んでも、今すぐに欲しい情報は手に入らない。
 しかし、「すぐに役立つ情報」は一過性のものである場合が多く、その場限りで急に役に立たなくなることが多い。
 一過性の知識・情報は、すぐに役立つのだけれども、すぐに役立たなくなる。
 
 「役立つ」「役立たない」とは何だろう?
 例えば私は高校生の頃、生物や物理を少し学んだが、受験科目ではなかったから、こういう科目って学んでも無駄だなぁ、なんて思ったものである。中学生の頃に学んだ技術・家庭科、音楽も短期的にみれば、「役に立たない科目」である。

 およそ人が生きている限り、仕事に直接役立たないものは、すぐにカネにならないという意味において無駄である。哲学なんて役に立たないものの代表格だろう。
 けれども、この年になってくると、私が生きている意味ってなんだろう?、私自身が生まれてきた意味ってなんだろうと、痛切に感じることがある。
 無駄とか役に立たないということを価値の基準におくと、ほとんどの人は生まれてきて無駄だったことになりはしないだろうか?どうせ100年後には、この記事を読んでいる人はほぼ100%死んでいるのだから。。。

 ドストエフスキーは、カラマーゾフの兄弟の中で「人生の意味を考えるより、人生を愛せ」という趣旨のことを書いた。
 愛とは論理を越えるものなのだろう、と予感しつつも、いまだに人生の意味ばかり考えてしまう。

 まとまりのない文章になってしまった。あえて「オチ」をつけるとすれば、「役に立つ」とか「役に立たない」ということは、どのくらいのスパンで物事を考えているかによって変わりうるということかな?


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