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ポルトガルの魚と漁師と人生の喪失の歌
こんにちは。
「墓の魚」の作曲家です。
私達
葬送のオーケストラ「墓の魚」は
PEZ DE TUMBA
ともいい、
ラテン語、スペイン語、ポルトガル語
文化圏の視点から、
キリストと、
細菌医学と、
死をテーマにした
オペラやファドを作曲し、
歌うオーケストラです。
![](https://assets.st-note.com/img/1685682663143-HU7dtPo9VG.jpg?width=800)
世界で初めての
[死]をテーマにしたオーケストラ
という特徴がありますが、
もっと詳細に語るなら、
ポルトガルの詩でも何度も語られる
[喪失 PÉRDIDA]
こそが、私達「墓の魚」の
重要なテーマなのです。
「墓の魚」の作品は、
海の漁師(MARISCADORES)
を題材にした作品が
とても多いです。
![](https://assets.st-note.com/img/1685682979103-XxwwdjK1Sv.jpg?width=800)
ちなみに、
実際のポルトガルや、スペイン作品にも、
漁師を題材にした作品は多いです。
これには理由があって、
一つは、
キリストが昔、
漁師であるペテロを弟子に誘った時に、
「お前を
人間を漁る漁師にしてあげよう」
と言ったという伝説があり、
この伝説によって、
キリスト教のシンボルが
魚(イクトゥス ICHTUS)
であったり、
![画像8](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/84728743/picture_pc_723e8338b462e0f757498427d3e45711.png?width=800)
キリスト教圏の人達にとって、
漁師という職業や、
魚そのものが、
それだけで、ある種の
宗教的、哲学的な
意味を持っているのです。
![](https://assets.st-note.com/img/1685682755039-gxE4Bg4PTh.jpg?width=800)
二つ目は、
南欧やラテン詩の中で
常に語られる
死という言葉の、
その本質がやはり
[喪失 PÉRDIDA]
である事。
すなわち日常の中で
意識されずに消費される命
(植物やセミの死骸)
の事や、
我々が意識せずに葬っている骸
(肉や魚)
の事を考える事こそが
世界の本質を突き付ける
ヴァニタス(VANITAS)詩の
特徴の一つだからです。
![](https://assets.st-note.com/img/1685681551968-pVVZpxQpvY.jpg?width=800)
ヴァニタス(VANITAS)とは、
虚栄と訳され、
繁栄を象徴する
果物や財宝の中に、
死を象徴する
髑髏や砂時計を置く事で、
この世のどんな栄華も、
いずれは朽ち果てる
虚しいものである
というメッセージを表現した
絵画や、芸術のテーマです。
要するに、生きている中で、
死を意識し、
生きる意味、
老いる意味、
喪失する意味
を考えろ
という芸術ですね。
![画像7](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/84728362/picture_pc_d178b9a9c28e0dc279a8d5fd69db5e49.jpg?width=800)
これらの死の芸術
(メメントモリ(MEMENTO MORI)、
ヴァニタス(VANITAS))
の表現は、
16世紀のフランドル絵画の中でも
何度も語られてきました。
![](https://assets.st-note.com/img/1685682803025-3AihlC0PZG.jpg?width=800)
陳列される魚屋の魚・・
肉屋で叩いて
平らにされる鶏肉・・
それは、
我々が意識せずに周囲に置いている
死であり、死体(MUERT)です。
![画像1](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/84711356/picture_pc_e9e29732b48547063797b70407cea49f.jpg?width=800)
![画像2](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/84711362/picture_pc_976fe7eba6ba323853a5248438c7eef2.jpg?width=800)
![画像3](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/84711413/picture_pc_732fed5019dadc83b344387223ea5b53.jpg?width=800)
そういう意味で、
海の漁師程、
死に囲まれている者達
はいない訳です。
干された海藻は、
[干からびた死]
であり、
捨てられた食べられない貝は、
[放置され、腐っていく骸]
です。
![](https://assets.st-note.com/img/1685682826610-JcwZmEhfMq.jpg?width=800)
海岸には
意識されない死
が溢れているのです。
![20200824_192950布](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/84711508/picture_pc_71202be4c427aa76af98cc1a5ed2b2d4.jpg?width=800)
南欧人は、そういった
日常の中の死の事を考える事で、
自分達の存在や、
神の作った
虚しいこの世界
の事を思ったのです。
![画像6](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/84712439/picture_pc_2eb3da573bbedf56a64c48e1d45db256.jpg?width=800)
ポルトガルの音楽であるファドでも
サウダーデ
という感情が歌われますが、
こちらも
喪失
と深い関係があります。
![画像5](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/84711744/picture_pc_331878d37bc774a35f6dc2bd350faf40.jpg?width=800)
ファドは
人生の失った時間、恋人、
心の傷を歌います。
それはまさに
喪失の歌
であり、
死の歌
なのです。
フランスのシャンソン
「かもめ」
の歌詞である
リシュアン・ポワイエの詩にしても、
メキシコの
ルイス・イグナシオ・エルゲラの詩
「Pollería」
にしても、
常にそこには
[喪失 PÉRDIDA]
が語られています。
こうした感覚を理解すると、
「墓の魚」だけでなく、
フランス、スペイン、ポルトガルの
詩の意味が
より理解できる様になると思います。
![](https://assets.st-note.com/img/1685682862166-wwyA7j3Vyp.jpg?width=800)
この世には
虚しさ(VANITAS)や、
腐敗(CARROÑA)や、
惨めさなどの
[悪霊の微笑む陰り(喪失の先に待ち構える絶望)]
があれど、
キリストは
自ら十字架に架けられる(喪失する)事で、
それらに
救済と浄化と希望
の可能性を与えた・・
宗教的に信じる、信じないは別としても、
そういった哲学の意味を常に考え、
聖書的な言葉で、
世界のバランスを表現する事が
キリスト教圏の詩人や
映画人の特徴なのです。
さてさて、
本日はそんな
ポルトガル哲学
について語ってみました。
日本では唯一、
そういった
キリスト教作品を創造し、制作する
スペイン風楽団「墓の魚 PEZ DE TUMBA」の事を
これからも
ぜひ、よろしくお願いいたします~♪
「墓の魚」のラテン詩と、
メメントモリ曲の融合した
配信動画
「死んだ珪藻とマキシロポーダのミサ」
こちらで公開中です↓↓↓
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