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日常で[死の芸術]を発見する(絵画から糞尿人形まで)
こんにちは。
「墓の魚」の作曲家です。
今日は、私達の音楽や劇のテーマである
メメントモリ芸術を
南欧(あるいはラテン圏)の芸術の中で
見つけてみようというお話です。
![画像1](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/18488084/picture_pc_92c62c40a2dcb0878f20449048462703.jpg?width=1200)
メメントモリ芸術というのは
[人間はいつ死ぬかわからないから、
死を考え、今を楽しめ]
というローマの戦士達の哲学に始まり、
[どんなに繁栄した所で
何百年後には全てが廃墟だ。
だからこの世は虚しいのだ]
という美術テーマや、
[死ねば、地位も、蓄えた富も
意味を成さず、
誰もが腐敗した醜い屍になる。
だから生きてる時に敬虔に祈り、欲を抑え、
信仰に身を委ねよ]
というトランジに見られる宗教観まで
様々な場所で形を変え、
南ヨーロッパの中に浸透しています。
その表現も、あからさまに
骨や腐乱死体
を描くものから、
ただ
果物に虫を一匹つけただけのもの
まであって、
それが南欧人、西欧人の精神の中に
溶け込んでいて、
至る所で姿を現すのです
(メメントモリという断り書きもなく、
それらが現れている例も多い)。
![](https://assets.st-note.com/img/1674018739041-0ugWPmxH9a.jpg?width=1200)
勿論、南ヨーロッパに限定された話でもなく、
シェイクスピアの劇の中にも、
ボルダロ・ピニェイロの陶器の中にも、
ケッセルの絵の中にも、
メキシコの[死者の日]の中にも、
ダンテ[神曲]の沼地を転がる肉塊にも、
ブランダンの政治風刺小説の中にも、
ピアソラのタンゴの中にも、
ボードレールの詩の中にも、
メメントモリ思想の欠片を
見つける事が出来る訳です。
例えば、このポルトガルの
ボルダロ・ピニェイロ(のブランド)
の作品を見て下さい。
![画像3](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/18488142/picture_pc_be40d43d7e02689e49a588e4781c2afa.jpg)
果物の上に甲虫が這っています。
こういった作品が直接
「メメントモリである」
と指摘される事は無いのですが、
これはメメントモリの中の
ヴァニタス(虚栄)
という美術表現に似ています。
ヴァニタス絵画の世界で、
果物というのは、
我々人間にとっての
自然の恵み
であり、
豊かさ、繁栄
の象徴です。
![](https://assets.st-note.com/img/1674019028651-1QaG7hREUK.jpg)
そして、その[豊かさ]の傍に描かれる
髑髏や砂時計は、
[死の象徴]であり、
豊かさ、富が永遠ではない
事を暗示する
メッセージがそこにはあります。
この作品には、
髑髏も砂時計も見当たりませんが、
代わりに甲虫が果物の上を這っていますね。
昆虫は絵画の中で、時として
影の象徴
であり、
例えば、絵画に描かれる蠅は
腐敗と死の象徴でした
(他にもトンボは[冥界]の象徴であったり、
蝶は[死者の魂]の象徴であったりします)。
その流れを考えると、
この甲虫が
そういった恵みに付く
[陰り]を表現していると
考える事が出来ます。
人類は歴史の中で、
虫と命がけで闘ってきた過去
があり、
ヨーロッパ圏では
特に虫のイメージは
良い物ではありません。
ロシアでは、
ある種のコガネムシ(甲虫)が
農作物を食い荒らす悪の化身
であり、
「甲虫(クズマ)の母親を見せる」
という言葉があります。
この言葉、どうも
「誰かを罰する」「報復で脅かす」
といった意味を持っているらしく、
その由来は諸説ありますが、
クズカというコガネムシが
凶悪な害虫なので、
その母親は
最も邪悪な存在であろう、
という意味合いがある様です。
![](https://assets.st-note.com/img/1674019103511-NCIzFV8x0Z.jpg?width=1200)
ちなみに、
こうした迷信の中で
クズカと呼ばれるコガネムシは
現実の生物学の学名でいうと
Anisoplia austriacaの事で、
この虫は昆虫法医学を
勉強していても出て来る
有名な害虫です。
フランスでも
コフキコガネの仲間Melolonthaが
中世で裁判にかけられたり、
教会によって
悪魔祓いされたりした話があり、
14世紀にアヴィニョンの法廷で
このコガネムシは裁かれ、
期間内に特定の地域に移動する様に
命じられましたが、
虫達は従わなかった為、
集められ焼き殺された、という
珍妙な話が伝えられています。
さて、話を
ボルダロ・ピニェイロに戻すと、
この甲虫はそういう背景で考えると、
果物に傷を付け、
腐敗へ導く[陰り]
を表現している
芸術的象徴である可能性がある・・
という事が考えられます。
ヴァニタス絵画の表現には、
他にも
絵の中に死骸を描く方法もあって、
それは陰りの中でも、
この世の虚しさ
を表現する性質が強いのですが、
例えば、下の
ハーメン・ステーンウィックや、
ケッセルの絵など、
フランドル絵画によく描かれる
魚の死骸の絵などは、
そういった
[この世の虚しさ]
を描いた例だと思われます。
![画像4](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/18488151/picture_pc_eb062a78ab4ff1d09065a931a046e468.jpg)
死骸は
[日常の中にある死]
を意識させ、
この世の虚栄(VANITAS)を連想させます。
![画像5](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/18488166/picture_pc_ac8f772d5acaa8c60d9a97175e9872fe.jpg?width=1200)
さてさて、そういう視点で見ると、
このフランスの
ベルナール・パリッシーの皿や、
![画像2](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/18488121/picture_pc_c83ce833dd5ee23b6038ec2006001ac3.jpg)
イタリア陶器の
フルーツの山の中に
カタツムリが這っていたりする
作品も
メメントモリ(特にヴァニタス)精神と
無縁ではない
と思えて来ませんか?
また、こう考える事も出来ます。
こうした
魚、蛙、虫、トカゲ
(不快、有害な生物として、
まとめてスペイン圏で
sabandija
などと呼ばれる事もある)
などの生き物は、
決して華やか
とされる生命ではありません。
![](https://assets.st-note.com/img/1674019626514-u2Z5DsTzoo.jpg?width=1200)
どちらかというと、
忌むべき、隠されるべき
とされる嫌われ者達ですね。
人間社会の公の場で
隠されるべき存在
を、
こうした芸術で
あえて全面に描くという行為
には、
人間社会の規定とは別の、
この世の真実の姿
(ありのままの姿)を見つめなさい
という意味も含まれている
可能性があります。
人間社会がタブーとして隠した面を、
あえて直視させる事で、
社会の価値感から解放され、
哲学的にこの世を見つめさせ様とする
メッセージがそこにはあるのです。
そこでスペインの
カガネル人形
を見てみましょう。
![画像7](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/46821638/picture_pc_ed4360392d4c20dc86157aa2273a032d.jpg)
カガネルとは
糞の事で、
カガネル人形は
人間が糞便をする姿をした人形
です。
![画像8](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/46821658/picture_pc_1955f01592dd9614fdbec34d0ed430d4.jpg)
カガネル人形が生まれた意味は、
不明とされていて、
「沢山の食物と豊穣を祝う
意味があるのではないか?」
とも言われていますが、
そもそも
糞便の表現
には、
華やかな人間社会が
日常の中で隠している
人間の本当の姿を描く
という意味があります。
それはブラックユーモア流儀な
権威(威厳)の否定
とも考える事が
出来るのではないでしょうか?
フランスでも、
糞尿(Merde)
は、
芸術の中で
特殊な意味を持っていますが、
[人間は気取った所で
所詮、嫌悪している
糞尿から逃れる事は出来ない]
[誰でも糞をする生物ではないか]
というメルドの哲学は、
メメントモリの
[死ねば、聖者も泥棒も同じ骨である]
と共通した皮肉を持つ
テーマであると言えます。
さてさて、
メメントモリ芸術
の色々な面を
書いてみましたが、
こうした
メメントモリ哲学を
オペラにしているのが
「墓の魚」で演奏される
私の作品です。
作曲家界隈だろうと、
オーケストラ界隈だろうと、
ファド界隈だろうと、
そんな不吉なものを作ってる奴なので、
人に説明すると
多々誤解をされたりして
「ゴシック・ロックとか、
悪魔好きな奴なのではないか?」
と思われたりするのですが(笑)
ヨーロッパにおける
死の美術
というのは、
相当に哲学的で、
かつユーモアを含んだ
文学的で、日常的なものであるのです。
![画像6](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/18488188/picture_pc_f1213028e204fbaac5aa68cac779e31d.jpg)
そういう
メメントモリ視点で考えてみると、
フランス詩も、
フランドル絵画も、
フラメンコのカンテ(歌)も、
深い共通点のある
西洋ラテン思想で作られてるという事が
見えてくるのではないでしょうか??
華やかな世界から隠され、封印された
土壌の虫の歌う哲学。
ラテン世界や、南欧世界に広がる
この死の思想を追求して、
ぜひ「墓の魚」の作品や、
それだけでなく、古典芸術を
深く楽しんでいただければと願います。
それでは、今回はこの辺で~。
【1000視聴突破ありがとうございます♪】
「墓の魚」のラテン詩と、
メメントモリ曲の融合した
配信動画
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