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「蛆虫の作曲家」による墓地の抒情のオペラ
こんにちは。
「墓の魚」の作曲家です。
あんまりにも
蛆虫の絵や、詩や、オペラばかり作曲していたので、
前に「蛆虫の作曲家」と、ある方に呼ばれまして、
それがあまりにも気に入ったので、
公式でも名乗る事にしています(笑)
![](https://assets.st-note.com/img/1712800943743-zjkBSYLl0v.jpg?width=800)
でもね、蛆虫って、
古典を中心に、南ヨーロッパやラテンの芸術では
文学的に(ある意味、雅に?)使用される秀逸な
芸術の表現題材なんです。
シェイクスピアも、ボードレールも、
ヴィヨンも、フラメンコの歌詞も、
皆、詩の中に蛆虫を登場させています。
![](https://assets.st-note.com/img/1712800288683-7crHzJg14W.jpg?width=800)
死んで10年たったのち、
うじ虫どもにくいつくされたら、
俺の骨にはこう書いてあろう。
「お前をほんとに好きだった」と。
Diez años depués de muerto
y de gusanos comío,
letreos tendrán mis güesos
diciendo que te he querío
[フラメンコの歌詞より]
そこにはどんな効果があるのでしょうか?
蛆虫の暗示する意味、それは死です。
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/13701854/picture_pc_dfbd20081b0dfd41ffa58096ca30f189.jpg?width=800)
さらに言うと、人間の屍が(あるいは動物の亡骸が)
蛆虫に喰われるシーン。
それは
[どんなに優雅な人生も、その者の若さも、
いずれは死を迎え、
土の中で蛆虫に喰われる・・・]
というこの世の残酷な摂理を
表現しているとも考えれられますね。
いや、それを残酷と考える人もいるかもしれませんが、
どんな人間も・・例えば聖者も、泥棒も、
死んでしまえば同じ末路で、全く違いはない。
それは人間に勲章、前科をつけ、
優劣の価値観を生み出す人間社会への
究極の皮肉ともなっているわけです。
(蛆虫によって平等に裁かれる=優劣の人間社会の否定)
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/13701864/picture_pc_7c3fa62407e22b52e709f305ee1ab4cb.jpg?width=800)
あの頭蓋骨にも舌があって、かつては歌う事もできたろうに。(中略)
ところが今じゃ、愛しの蛆虫夫人にとっつかまって、顎を失い、
墓堀り男にスコップで小突き回されている。
Ham. That Scull had a tongue in it, and could sing
once: how the knaue iowles it to th' grownd, as if it
were Caines Iaw-bone, that did the first murther: It
might be the Pate of a Polititian which this Asse o're Of-
fices: one that could circumuent God, might it not?
Hor. It might, my Lord.
Ham. Or of a Courtier, which could say, Good Mor-
row sweet Lord: how dost thou, good Lord? this
might be my Lord such a one, that prais'd my Lord such
a ones Horse, when he meant to begge it; might it not?
Hor. I, my Lord.
Ham. Why ee'n so: and now my Lady Wormes,
Chaplesse, and knockt about the Mazard with a Sextons
Spade; heere's fine Reuolution, if wee had the tricke to
see't. Did these bones cost no more the breeding, but
to play at Loggets with 'em? mine ake to thinke
on't.
[シェイクスピア ハムレット より]
![](https://assets.st-note.com/img/1712801019653-3DMQeVtMth.jpg?width=800)
もう一つ言うと、キリスト教の価値観では、
[どんなに偉業を成し遂げようと、
善行を積もうと、
人間は皆、罪人なのだ]
という考え方があり、
「だから偉大な聖者として
多くの人々から称えられたとしても、
だからといって泥棒や詐欺師を
見下して驕っている者は愚かだ。
人は皆、罪を持っているのだから。」
という思想があります。
人が最後、蛆達に喰われる姿は、勲章の無意味さ、
所詮、我々はこの程度のものなのだ、
という教訓の象徴の様な姿でもあるわけです。
![](https://assets.st-note.com/img/1712800012949-ouYMCEpPMb.jpg?width=800)
また、その現象があるいは、
その者の
[生前の罪の清算]
と見る考え方もあります。
トランジと呼ばれる
人間の腐乱死体を描いた彫刻が、
十四世紀にフランスで流行しましたが、
そこで描かれる蛆虫は、
その人間の
[犯した罪への後悔]
の寓意であると言われています。
腐敗は罪の証であり、
蛆虫はその後悔の証なのですね。
怪奇作品で
ゾンビなどに集る蛆虫は不気味なものですが、
人はその不気味さの奥に
哀れみ、惨めさを感じます。
なぜなら、
自分もいつかはあの姿になる
と、人は人間の死の姿から連想するからです。
我々が普段、見て見ないふりをしているこの世の真実。
死そのものがゾンビなわけです。
![](https://assets.st-note.com/img/1712800053501-JBFWrjp2x3.jpg?width=800)
ゾンビというものは、その見たくもない
死そのものが襲ってくる・・・
という寓意的であり、皮肉な存在です。
だからライオンが襲ってくる映画よりも、
人は恐怖と嫌悪感を示すのでしょうね(笑)
さてさて、そんなわけで、
つまり「蛆虫の作曲家」の蛆虫とは、
非常に重要な文学的、芸術的題材なのです。
「蛆虫の作曲家」が作る
オペラ楽団「墓の魚」の作品。
それはかつて
シェイクスピアや、
ティルソ・デ・モレナが作っていた様な
究極の社会風刺の道化芝居の再来かもしれません。
![](https://assets.st-note.com/img/1712800259046-UoatR5ly1i.jpg?width=800)
「この世に降り注ぐ、
死んだ魚の腐汁の様な雨に打たれ、
冷えた頭で土の蟯虫を眺めているのは、
何も男共だけではない。
そもそも花は花でも、
カルドの花は
全くそういった目的に相応しいものじゃあない。
あの巨大で愚鈍で醜悪な花は
全く春の駆け引きに相応しいものじゃああるまい。
そう。それはまるで私の様な花だ!!
花である事を神にすら強要されて、
あの姿を保ってはいるが、その本性は、
醜いこの世を構成する物質で作られているに過ぎない。
この世は腐肉だ。
悪臭を放つ蛆虫共に喰い尽くされる
無数の屍でこの世は作られている。
ならば男もそうだし、女もそうだろう。
諸君、大地とは壮大なる大便なのだ。
私が知りたいのは信仰ではない。
ああ、神よ!! 」
[黒実音子の戯曲「エル・カルド」より]
黒実音子と、その楽団
「墓の魚 PEZ DE TUMBA」が作り出す
淡々とスペインの墓地で話される対話劇と、
その哀れな街灯の下で映し出される
この世の風刺の世界。
ぜひ、一度、
聴きに来ていただけましたら嬉しいです♪
【1000視聴突破ありがとうございます♪】
「墓の魚」オーケストラの
映画の様な配信コンサート・第一弾
「死んだ珪藻とマキシロポーダのミサ」
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