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詩「血管に油脂を蔓延らせ」解説

こんにちは。
「墓の魚」の作曲家です。

新作の詩
「血管に油脂を蔓延らせ」
という作品を書いたのですが、
私の詩はゴンゴリスモ詩の如く、
謎解き的な要素が多いので、
いつもの様に読み取り方の一例を
解説をしていきたいと思います。

という訳で、まずは詩を掲載します。

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「血管に油脂を蔓延らせ」
黒実 音子

並べられ、突撃警備隊(アサルトガード)に
撃ち殺された者達は何処に行ったのか?
肉体を土壌に埋葬され、
マイクロコッカス菌達の馳走になった者達は?

凄まじい程の腐汁で汚染された
棺桶(フェレトロ)を見た事があるか?
それが、我々の
小春日和の和やかな団欒の行き着く先だ。

ああ、肉体は喪失するものだ。
談笑も、気高さも、逞しさも、
満たされた時間も・・

神よ、
我々は心臓病になる為に生まれて来た。
血管(バソ)に油脂を蔓延らせ、
止めの一撃で
肉体を撃ち殺す為に生まれて来た。
徹底的に擦り潰され、破壊され、
懸濁液(ホモジネート)となる為に生まれて来た。

例え、緩慢に生きた所で、
老朽化し、錆び、
軋む悲鳴を上げながら土に沈む。

夕暮れに佇む智天使(ケルブ)よ。
楽園というものがあるならば教えてくれ。
何の為に肉を地に抛るのか?
巨大な癌(かに)に肉体を喰われ、
家畜を屠る我らの魂の形が、
カロースを沈着させ、
肉状体(カルス)と歪な死細胞を積み重ね、
やがて地維に倒れ込む意味を教えてくれ。

肺を乾留液(タール)で真っ黒に染め、咳込み、
咆哮をあげ、笑いながら、
それでも我々が、
かつて死んだ健全な草や獣達の墓前に
立たなければならない理由を教えてくれ。

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以下、詩の原文と
その意訳的な解説文章
共に掲載していきます。
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↓↓↓↓

並べられ、突撃警備隊(アサルトガード)に
撃ち殺された者達は何処に行ったのか?

↓↓↓↓

(※1933年にスペインのカサス・ビエハス村で行われた政府・突撃警備隊による無政府主義者の村人の処刑、大量虐殺事件の事)

我々の平和や安泰は
決して絶対的に安定した理ではなく、
死や悲劇や残酷さがこの世界には常に隣接していて、
我々はあっという間にその絶望に巻き込まれる・・

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肉体を土壌に埋葬され、
マイクロコッカス菌達の馳走になった者達は?

↓↓↓↓

どんなに我々が平和な日常を謳歌した所で、
土壌の細菌に分解され、腐敗していく死者達。
そういうグロテスクな死の現実が消える訳ではない。
死を理想郷から消す事は出来ない。

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凄まじい程の腐汁で汚染された
棺桶(フェレトロ)を見た事があるか?
それが、我々の
小春日和の和やかな団欒の行き着く先だ。

↓↓↓↓

生きている我々のユーモアも、談笑も、
その同じ世界の中で、いつかは死に、腐敗し、
悪臭を放つ死者となる。
楽園と悲惨さは同じ世界で共存し、
矛盾する事なく、同質のものとして存在している。

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ああ、肉体は喪失するものだ。
談笑も、気高さも、逞しさも、
満たされた時間も・・
神よ、
我々は心臓病になる為に生まれて来た。
血管(バソ)に油脂を蔓延らせ、
止めの一撃で
肉体を撃ち殺す為に生まれて来た。

↓↓↓↓

(※血管(バソ)に油脂を蔓延らせ、止めの一撃で肉体を撃ち殺す → 血栓症の事)

生きている中で、写真に収める姿がどんなに優雅でも、
人間は実際には美しく生きる事は出来ない。
時間の中を生きるあらゆる物は
欠け、老朽化し、年老い、怪我をし、傷を残し、
劣化していく(逆は無い)
それがむしろ当然であるとするなら、
存在する事は喪失する事であり、
完成する事は壊れる第一歩に過ぎない。

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徹底的に擦り潰され、破壊され、
懸濁液(ホモジネート)となる為に生まれて来た。

↓↓↓↓

(※ホモジネート → ホモジナイザーという機器で生体組織を擦り潰し、細胞を破壊した液の事)

人間も、動物も、
あらゆるものは物質に過ぎない。
肉であり、蛋白質であり、水分であり、
それらの塊に過ぎない。
それ以上に深い意味など実はなく、
死ねば分解され、それら当然(自然)の姿に戻っていく。

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例え、緩慢に生きた所で、
老朽化し、錆び、
軋む悲鳴を上げながら土に沈む。
夕暮れに佇む智天使(ケルブ)よ。
楽園というものがあるならば教えてくれ。
何の為に肉を地に抛るのか?

↓↓↓↓

(※肉を地に抛る → 人間を地上に生み出すという意味)

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巨大な癌(かに)に肉体を喰われ、
家畜を屠る我らの魂の形が、
カロースを沈着させ、
肉状体(カルス)と歪な死細胞を積み重ね、
やがて地維に倒れ込む意味を教えてくれ。

↓↓↓↓

(※巨大な癌(かに) → 昔、癌は蟹に例えられていた為、癌のラテン語(Carcinoma)の語源は蟹)

病気で自らの細胞に殺される事もあり、
また、他の命を殺し、糧とする事を繰り返しながら、
それでもいつかは死ぬ。
ならば、その殺し合いの意味は何なのか?
生きていると言っても、
木などは死細胞を木として纏い、聳え立つ。
死と生の違いは何なのか?

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肺を乾留液(タール)で真っ黒に染め、咳込み、
咆哮をあげ、笑いながら、
それでも我々が、
かつて死んだ健全な草や獣達の墓前に
立たなければならない理由を教えてくれ。

↓↓↓↓

煙草を吸い、危険な行為をし、
不健康に死に向かって生きている様な者も、
今は生きている。
逆に、健康に正しく
草木を食んでいた様な動物達も
いずれは死に、永遠に生きる事は出来ない。
であれば、不健康さも、病人も、健康も、
100年後には同じ墓石の下の死者ではないか?

■■■■■■


いかがでしたでしょうか?
解説無しではわかりにくい
と言われている私の詩なので(笑)
今後も定期的に
「墓の魚」の詩の解説などを
していきたいと思います。

それでは、これからも
「墓の魚」をよろしくお願いいたします♪




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