悪党達のキリスト教の物語について
ラテン・キリスト教は、
この世界の解決できない理不尽さ、不条理さに
私達が絶望して、修羅の道を歩まない様に
[神様が死後どこかで帳尻合わせしてくれる]
[この世の平等さを見せてくれる]
と信じる事で、
私達が楽観的に高潔に生きられる為の
[気高さの歩行器]
みたいなもの、
という一面もあるかもしれない。
しかし、キリストは
そんな歩行器が無くても、
絶望の暗闇の中、
愛(人類の気高さ)の為に一番最初に(下心、報酬なく)
十字架に架けられた訳で、
そういう意味でも私達は未熟で