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キリスト教「死者の為の祈り」COMMENDATIO ANIMAEとは?

こんにちは。
「墓の魚」オーケストラ作曲家です。

今日は、先日アップした
私の自作のキリスト教音楽
タイトルにもなっている
「COMMENDATIO ANIMAE」
の解説をしたいと思います。

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そもそも
COMMENDATIO ANIMAE
(コメンダティオ・アニマエ)
とは、
キリスト教用語ラテン語
魂の推奨魂の表彰
(COMMENDATIO = 表彰
ANIMAE = 魂)
などの意味を持っています。


これは、中世の騎士
死後、自分の魂を神に委ねる行為
を指した言葉ですが、
騎士に限らず、
キリスト教徒臨終の床
歌われ、祈られる儀式の事でもあります。

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その場合、ドイツ語
Kirchliche Sterbegebete
とも言い、
意味は[死者の為の祈り]です。

つまり、
「この者の魂を神に委ね給え」
と司祭が、
死者(または臨終の者)の為に祈ったのです
(「終油の秘跡」に近い儀式ですね)。

この儀式起源は、いわゆる
ユダヤ教徒「夜の祈り」にまで
遡ると言われています。

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キリストも、の間際に
「父よ、私の霊をあなたの手に委ねます」
と叫んだと言われていますが、
意味としては全く同じです。

さて、
死後、自分の魂を神に委ねる
とは、どういう意味でしょうか?

[生きる喜び]
と言えば、聞こえはいいですが、
生きている事は、
ただ楽しいだけではありません。
むしろ、楽しい事など、
人生の中で一瞬であり、
生きていく事は、
孤独に苦悩し、
嫉妬と劣等感に狂い、
老いを日々実感し、
病気を抱え、
増えていく醜い傷を隠し持っていく

という事でしょう。

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日々、喪失し、
打ちひしがれ、
消耗していく肉体と共に
歩んでいく事こそが人生
(それを陽気に笑うのがラテン者であっても、
ラテン者も、その事実は否定しません)

スペインフラメンコにも
以下の様なものがあります。

「この世はみんな嘘ばかり、
死しか真実なぞありゃしない。
それは違うと言う人もない」

「Este mundo es to mentira,
no hay mas verdad que la muerte,
no hay quien me lo contradiga.」


そういった
[砕かれた歪な骨の痛み]

「生きる事とはそういう事であり、
それも、この世界を作った
神の意志(意図)である」

と、受け入れ、
魂の運命神に委ねる
達観と信頼の誓いこそが
委ねるという行為かもしれません。

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キリスト教徒達が、
この世で信仰を貫こうとする時に、
地上で受ける様々な
社会からの迫害不理解苦難の事を
[受難]と言いますが、
その受難すら神の意志であり、
自分の魂が、
この地上で試されている
試練である
キリスト教徒達は考えます。

試練というと、
「何やら宗教色強く、古臭い考え方だ」
と思うかもしれませんが、
別の言い方をするなら、

この世界に生きる事は、
自分にとって都合の良い事ばかりではない。
でも、そんな残酷な世界の中でこそ、
自分が自分でいる事(信仰や信念を貫く事)に
価値があるのではないか?


また、ある魚が滅び、別の魚が栄える様に、
死とは、別の誰かにとっては生であり、

[害も福も同質のもの]
と考えた時にこそ、
人を襲う獣や、
不条理な天災
哀しい運命
を内包する、
この世界のありのままの
[悲喜劇(トラジ・コメディ)]な姿を
我欲とは別の視点で
見る事が出来るのではないか?


という事です。

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その時、
獣は命である事。
天災は事象である事。
哀しさとは愛である事
に気づく。

それは、キリスト教文学的に表現すれば、
(神の作った)この世界を愛し、受け入れる
という事になります。

そう考えた時、
悲劇とは、喜劇の為のものであり、
とは生きる喜びの為のものであり、
とはの為のものであり、
そのでもある、
という事がわかってきます。

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それは、
上は下であり、
下は上である

というキリスト教の思想です。
それ故に、キリスト教には
受難の栄光(Gloria Passionis)
という言葉があるのです。

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「さあ、神の聖なる者達よ、
主の天使達よ、
急いでこの者に会い
この者の魂を取り上げ、
それをいと高き方の前に持って来なさい」
([臨終の祈り]より)


喜びも、苦しみも、喜劇も、悲劇も、
生きる事であった
と受け入れ、
(言い換えるなら、
如何ともし難いこの世界)
運命を委ねる

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そこにあるのは決して諦めではなく、
精神の浄化であり、
結局の所、
我々は
己の精神からしか
世界の姿を捉える事が出来ない
ので、

精神(魂)が満たされている者は、
地獄すら、天上の王国に変えるだろう

という、
我々のこの世界への問いかけ(哲学)
が含まれているのです。

さて、そんな
「COMMENDATIO ANIMAE」
をテーマに、私が作曲をしてみた作品がこちらです。

生きるという魂の受難の旅路と、
人生の最後で訪れる浄化・・

ぜひ、聴いてみていただけますと嬉しいです。






「墓の魚」のラテン詩と、
メメントモリ曲の融合した
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