見出し画像

キリストの死体は冷たいのだ[哲学][神学]

脳というものがこの世に存在し、
脳というものに頼って生きているから、
脳の病気(我々にとって不都合な現象を
人は病気と呼ぶ)も生まれる。

この世に生まれたは、
生まれた時点から
時間物質的な風に曝され、削られ、
摩耗していく。

そう、あらゆるものは、
この地上に生まれた時点から
一定に崩壊していく

崩壊は最も自然な現象でもある。

悲劇というものも、そういう事で、
喜劇を望む意識が有るから
悲劇も生まれる。

その[地上への執着]はいずれ無に帰す・・
という確約こそが
[救い]なのかもしれない。

[痛み][愛][喜び]というそれ自体が、
私達を苦しめる
[呪い][罰]であるのかもしれない
(と言っても何の罰かわからないですが、
もっと象徴的な意味で)

これを神学に当て嵌めて考えた時に、
[キリストの愛]というものが、
決して[執着]
[絵に描いた様な家族の温かさ]ではない
事がわかる。

キリストの死体は冷たいのだ。

天使死骸である。
この地上に属していないので。

[神の愛]とは、
決して私達が思い描く様な[愛]ではない。

それは、悍ましさすら摩耗し、
殺戮すら土壌の美しさに変わる様な、
もっと壮大なものだ。


【1000視聴突破ありがとうございます♪】
「墓の魚」のラテン詩と、
メメントモリ曲の融合した
第一弾・配信コンサート
「死んだ珪藻とマキシロポーダのミサ」
こちらで公開中です↓↓↓

◇◇◇楽団公式サイト◇◇◇

◇◇◇「墓の魚」の音楽動画(ちゃんねる登録してね)◇◇

◇◇◇Twitter◇◇◇


この記事が参加している募集

#私の作品紹介

96,671件

自作の詩による詩集「沼地の聖書」(ハードカバーによる分厚い豪華本を予定)を出版する為のサポートを募集しております。ぜひ、よろしくお願いします!!いただいたサポートは詩集の費用にさせていただきます。