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コミュニケーション教育

今回の記事を書こうと思ったきっかけは、こんな記事を読んだからだ。

そもそも、世間では、コミュニケーション「能力」とたやすく呼ばれていることに対して、私たちはすでにコミュニケーションが「相互作用」であることを忘れてしまっているのではないか?

「コミュニケーション能力」と言う時の「能力」という言葉には、個人内に存在する認知的な性質があると考えられる。これは、生まれつきのものというニュアンスも含まれるだろう。そのため、コミュニケーション能力といえば、人間が本来備えている社会的な知性と考えることができる。


コミュニケーション教育について考えてみると、いろいろと思うことがあるが、今回は、コミュニケーションの研究者として、これからのコミュニケーション教育をデザインするために必要なポイントについて考えてみようと思う。


ポイント1:コミュニケーションは相互作用であることを知る

心理学では、他者とのコミュニケーションを「対人コミュニケーション」と言う。対人コミュニケーションは「5W1H」で考えると、「いつ・どこで(When & Where)、誰が(Who)誰に対して、何を(What)、何のために(Why)、どのような方法で(How)伝えるのかという一連の過程と言える。

対人コミュニケーションの学術的な定義は、深田(1998)によれば、「二者間あるいは少人数の人々の間で交わされる情報の交換過程」と定義されている。

対人コミュニケーションは、①送り手②メッセージ③チャネル④受け手⑤効果という5つの要素から構成されている(深田, 1998)。
「送り手」と「受け手」は、メッセージを送受信する当事者を指す。
「メッセージ」は、送り手によって記号化された情報であり、言語情報(言葉や文字など)と非言語情報(表情やしぐさなど)から成る。
「チャネル」は、メッセージが運ばれる経路(視覚や聴覚など)を意味する。「チャネル」には「メディア」を含む場合がある。
「効果」は、受け手が、送り手からのメッセージを解読した時に、どう感じたか、何を思ったかなど、受け手との関係に及ぼす影響を意味する。

以上の5つの要素から成る対人コミュニケーションには、①当事者の人数②双方向的過程③対面性④心理的関係といった4つの特徴が挙げられている(深田, 1998)。
当事者の人数は、対人コミュニケーションが送り手と受け手の二者関係を基本とすることを意味する。
双方向的過程は、対人コミュニケーションが、当事者間で、送り手と受け手の役割が交代することを意味する。
対面性は、対人コミュニケーションが対面状況での相互作用であることを意味する。
心理的関係は、対人コミュニケーションが当事者間に何らかの関係性が存在していることを意味する。

以上のことを成立すると、対人コミュニケーションは、二者関係以上で成立しており、メッセージの記号化と解読が相互に循環していると考えることができる(以下の図はイメージ図)。

図1
対人コミュニケーションについて

ポイント2:コミュニケーションの学術的な理論を知る

コミュニケーションを理解するための考え方は様々であるが、例えば、「ソーシャルスキル」という概念を使えば、コミュニケーションを技術論で理解できる。ソーシャルスキルについては以下の記事でまとめているので、興味があれば読んでみてほしい。

コミュニケーションは、誰しも普段から行っているので、自分の経験的な持論だけでも理解できてしまうかもしれない。それでも、仮に、コミュニケーションを教育する、もしくは研究するという立場だとしたら、持論だけでは十分だと思えない。そのためには、論文で言われている理論やデータを用いて、コミュニケーションを体系的に考える必要があると考えられる。

コミュニケーションについて、どういう理論に基づいて考えるのかが重要である。

ポイント3:自分のことを伝えるのと同時に,相手のことを理解するのも必要である

世間では、「伝えること」に関するビジネス本が溢れかえっている。冒頭の記事にも書かれていたが、世の中で考えられているコミュニケーションは「伝えること」に偏っているかもしれない。

伝えることは確かに大事だ。伝え方は、スキルであるし、コミュニケーション能力と考えることができる。自分の思いを伝えれば、自分を理解してくれる人が増える。

しかし、コミュニケーションは「相互作用」なのだ。自分のことを伝えることと同時に、相手のことを理解するが重要なのだ。このことを忘れてはいけないと思う。

SNSを見ていると、様々な意見に対する批判・非難が飛び交っている。批判・非難ばかりを見るのは誰でもうんざりしてしまうだろう。批判的になることは、自分になじみのない考えや意見、または取り組むことが難しいこと、新規のアイデア、人間自身などに対して、時間をかけて学ぼうとせず、考えることもしないで非難して判断を下すことである。

人が批判的になりやすい理由は、いくつかある。

  1. 自分になじみのないことを理解するという骨の折れる作業から逃れるから。

  2. 自分は正しくて,相手は間違っているという心地よい感覚が得られるから。

  3. 自分になじみがあり,心地よい感覚を得られるものだけを信じたいから。

つまり、人が批判的になりやすい理由は「自分のため」なのである。

繰り返すが、コミュニケーションは「相互作用」なのだ。
批判する前に理解しようとするこそが「コミュニケーション」なのだ。
そう考えれば、コミュニケーションには「自分のことを伝える力」だけではない。「相手のことを理解する力」が必要である。

これからのコミュニケーション教育をデザインしていくために

Burke(1984)の言葉を借りれば、この世界において、コミュニケーションは絶対的なものではないと言える。

コミュニケーションが絶対的なものであれば、人は言葉や行為を用いて誰かに思いを伝えた時に、確実に理解してもらえるからである。
コミュニケーションは常に不完全であり、私たちは、出来事の真意がはっきりとわからないまま、自分が正しいという確証がないまま、他者を完全に理解できないまま、誰かとコミュニケーションを取ることが求められる。
私たちは、そのようなコミュニケーションの複雑さを認識した上で、他者との関係性の中で生きている。その関係性の中で、私たちは、何気ない一言が思いもよらない影響力を持つことを自覚しつつも、他者とのより良い関わり方を模索し、日々実践しているのではないだろうか。

人間関係は、他者との関わり方の工夫次第で、薬にも毒にもなる。他者との関わり方を工夫し、自分にとって理想的な人間関係を築き上げれば、自分自身が生きやすくなり、人生の質が高まると考えられる。

参考文献

  1. Burke, K. (1984). Permanence and change: An anatomy of purpose. (3rd ed.) Berkeley, CA: University of California Press.

  2. 深田博己 (1998). インターパーソナル・コミュニケーション―対人コミュニケーションの心理学― 北大路書房

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