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7/16土:広く教養を身に着けるには学ぶ方法の使い分けを。

人はどういうときに「勉強したい」「学びたい」と思うのだろうか。

私の経験上は、何かどうしようもなく気になって答えを知りたい疑問があるときや、何かどうしようもなく自分に足りない力があることを実感したときに、「あぁ、学ばなければ、学びたい」と思う。そうした何がしかの欠乏感や渇きのようなものが、学びへのモチベーションになるのだ。

私が修士1年のとき、自己肯定感が爆下がりしていた時期は、それによって気づいた自分の不足を補うかの如く、貪るように読書をした。結果的に、自分の人生で一番読書した時期になった。

そうして新しいことを学ぶとき、初めのうちは楽しく学ぶことができる。それは、その分野の学びが、自分にとって新しい出会いや発見に満ちているからである。だから、比較的前向きに学べることが多い。

しかし、あるときを境に学びや勉強に対するモチベーションが上がらなくなるときがある。

それは、どんな分野であっても、その習熟度が対数関数的な上昇をするからだ。学び始めの頃は新しいことと出会い、発見も多いことから、多くのことを吸収でき前に進んでいる感覚を得られる。しかし、一定期間が経過すると、その伸び率が徐々に頭打ちになってくる。同じ時間勉強に費やしたとしても、充実感を得にくくなる。

さらに、その分野に深く入り込むにつれ、難易度も上がってくるから、全然理解できている気がしなくて、前に進まない感覚になる。重たい石をグーっと押してみるが、全く動く気配が無い感覚に近いものがある。これまでの私も、そういうことがよくあった。

これに対する私なりの解決方法は、分野によって自分の態度を使い分ける、という方法だ。

自分の専門分野に近い分野ならば、それに習熟する必要があるから、確かに辛いけれども地道に勉強を続けるしかない。

しかし、例えば教養レベルでよい分野などは、その入門書をいくつか読んでエッセンスを理解した上で、あとはそれを自分の生活の中で少しずつ意識的に使いながら理解する、という方法もあるのではないか。

自分の理解に基づいてその内容を人に語り、何か質問されて答えられなかった部分を優先的に補うとか。その学んだ内容を実際に使ってみて、自分なりの理解に落とし込むとか。

書いていて思ったのは、これらの方法は分野依存性が高そうだ、ということだ。

前者の例は、私の中では宗教・政治・社会・経済などの教養分野などが該当し、後者の例としては自己啓発・教育論・コミュニケーション論・マネジメント論など、対人関係などが該当しそうだ。

結論としては、広くまんべんなく教養や知識を身に着けるならば、上記のように分野ごとに学ぶ態度を決めて、それぞれを適切に使い分けながら少しずつ学んでいくことが、諦めずにモチベーションを維持しながら学ぶために必要なのだろうと思う。

ちょっと応援したいな、と思ってくださったそこのあなた。その気持ちを私に届けてくれませんか。応援メッセージを、コメントかサポートにぜひよろしくお願いします。 これからも、より精神的に豊かで幸福感のある社会の一助になれるように挑戦していきます。