偶然が3回続いたら必然なのです。
とある先生にこう言われた。
「人生の中で偶然が3回続いたら、それは必然だよ」
私がどの道に進むかも明確に決めずにフラフラとしていることを心配して、言ってくださった言葉だ。
私の中でそういう「偶然」だと思えることを思い出してみると、確かにいくつかある。
1つ目は、入学先の大学を選んだことだ。
当時の私も大して自分の進路についてダラダラと考え、とりあえず決めた「新しいエネルギーについて学べるところに行こう」という目標と、「私立大学よりも国公立大学の方が教員当たりの学生数が少ないから、指導がある程度手厚いと思うよ」という当時の部活の顧問の先生の言葉を元に大学を選んだ。上記の条件で選べる大学は本当はいろいろあったと思うが、たまたま選び、たまたま合格できたのがその大学だった。
2つ目は、研究分野と研究室を選んだことだ。
大学の講義を受ける中で、当初挙げていた「新しいエネルギー」の一種として「水素エネルギー」への興味を増していた学部3年生のとき、たまたま「安全工学」の講義を受け、そこで安全工学の「人道主義」の思想を学び共感した。安全分野の研究室はいくつかあったが、その講義をされていた先生の研究室にたまたま入ることができた。
3つ目は、博士課程(後期)に進学したことだ。
理系の国立大学生としては、修士課程まで進む人は学内では多数派であるものの、彼らの多くはその後就職するが、博士課程にまで進む人は圧倒的少数派だ。当時の私も就活をしていたものの、なんだか大事なことをまだ学べていないような気もして、博士課程の学生を多数輩出しロールモデルが複数あったことで、たまたま進学することを選んだ。
冒頭の言葉に戻ると、ここまで偶然が3回続いて今の自分があるとすれば、これは必然なのだろうか。
必然的に今ここにいる、と考えると、それはそれで、「まぁ間違ってないかもな」という気持ちと、「本当にそうなのか?」という気持ちが共存している気がする。
「必然なのだから、この道で生きていくしかない」という捉え方もできれば、「必然なのだけど、別の道も行くことができる」という捉え方もできてしまいそうだ。
しかし、冒頭の言葉における「偶然」とは、本当の意味で偶然なのではなく、「たとえハッキリとした明確な意志があって選択したことでなくても、そのときの自分の感覚に正直になって選んだこと」という意味合いなのだろうと私は推測している。
だとすれば、その自分自身の「3回の偶然」=「必然」を、信じてあげてもいいのかもしれない、とも思えてきた。
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