見出し画像

7/6水:多様性のあるコミュニティには生き方の肯定を。

数ヶ月前に依頼があった講演会について、そのセミナーが明日、明後日に迫っている。私の発表は明後日なので、ここ数日はその準備をしていた。

自分の研究内容について紹介する話をしてくれ、とのことで、持ち時間は30分で、その中に質疑応答の時間を含めなければならないらしかった。だから、当初の予定は25分間話して、残りの5分間を質疑の時間にしようとしていた。

先週の別の学会が終わった直後にスライドを作り始めて、金曜日に発表資料を提出してしまったのだが、話す練習をしていると、やっぱり修正したいところがたくさん出てくる。

そして、資料を作っている段階では、話す内容はある程度イメージしているものの、話す時間についてはあまり気にしないことが多いので、どうしても情報過多になってしまうのだ。

だから、今日はずっと発表練習をしながら、スライドのどこを話さないかを決め、話す時間を短くするのに必死だった。その努力によってようやく、普通の速度で話して25分30秒くらいには収まった。本当だったらもう少しゆっくりしゃべりたいところだけど、仕方がない。

いやしかし、この数週間は何だかわからないけどずっと何かに追われている感覚がした。

それは、この講演会用に準備する必要があった執筆依頼の締め切りと、以前ブログにも書いた先週のゼミ発表と、その翌日にあった学会発表と、その2日後にあったこの講演会の発表資料の締め切りと、明後日に向けての発表練習があったからだったのだ、ということを、こうやってブログに書いていてやっと実感している。

そんな中でも、オンラインサロンのイベントに行ってしまったり、サロンメンバーとオンラインでお話したりライブ配信をしたり、遊ぶ方にも時間を使ってしまっている。

でも、それによって、この忙しかった2週間が充実させられたようにも感じる。それがいつもと違うところだ。

いつもであれば、そうした締め切りがあるときには、それぞれにしっかりと時間を割いてしまって、本来やるべきことができないままになることが多い。

そして、今回も確かに本来やるべきことは進んでいないのだが、人生の時間としてはある程度の充実感が得られているように感じる。

そして今日もオンラインでサロンメンバーと交流した。

こうして色々な人と話をすると、世の中には本当にいろんな人がいると思わされる。そして、自分の生き方もそうした人々の多様な生き方のうちの1つであるということを実感する。

だからこそ、自分自身の生き方も肯定される気がする。

博士課程に進む人間など、日本に住む人間のうちのほんの一握りだろうし、この先それを力にしてうまく生きていけるかもわからない。

でも、そういう生き方があってもいいのだ、と思える。

多様性のあるコミュニティの中で生きることの価値は、その「自分自身の生き方を肯定できる」ことにあるのだと思う。

ちょっと応援したいな、と思ってくださったそこのあなた。その気持ちを私に届けてくれませんか。応援メッセージを、コメントかサポートにぜひよろしくお願いします。 これからも、より精神的に豊かで幸福感のある社会の一助になれるように挑戦していきます。