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【紫陽花と太陽・下】第三話 姉弟[2/2]

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 珈琲を飲みながら、今日はやけに姉からの視線を感じる、と僕は思った。

「学校を辞めてもっと仕事をしたい」と公言した時に、姉とは言い合いになった。僕の人生の中でも一番激しい言い合いだったと思う。

 ケンカは嫌いだ。できることならケンカからは逃げ出したいし、勝ち負けにこだわる性格ではないのも自覚があったから、言い合いなどとは無縁の生活をしていた。学校でも、面倒な係でも別にやって構わなかったし、それで場が収まるなら喜んで引き受けた。そうやってのらりくらり生きてきたけれど。姉とのそれは、どうしても押し通したい出来事だった。

 結果、僕は退学をし、今のお店で短時間のアルバイトではなく正社員として働かせてもらえるようになって、無事解雇もされず、今に至る。

(桐華姉は今も僕が間違った生き方をしていると思っているんだろうか)

 視線に気が付かないふりをしながらスマホを見て体裁を繕う。
 スマホではさっきまで本を読んでいた。いや、聞いていた。

 僕は漢字が苦手だ。勉強をさぼってきたしっぺ返しだと思う。本を読みたいのにうまく読めず、時間ばかりかかってしまう。あずささんとたくさんの本を借りて、買ったりもして、知識を集めた。難しい本は彼女から概要を聞いて、もしくは彼女が大事だと思った要点だけを教えてもらって、二人で内容を共有した。いつも申し訳ないと思いながら僕なりにウンウン唸って本を読んでいたら、ある日あずささんが「音声で聞く読書の方法」を教えてくれた。スマホが本を読み上げてくれるのだ。

 あずささんは僕が知らないことを教えてくれる。困って終わり、じゃなくて、解決する方法を探してきてくれる。何度も助けられた。

 あずささんとは実のところ深い仲だ。
 こんなこと姉には言えない。絶対に反対されるって分かっているから。
 隠し通すと決めている。時期が来るまでは。
 それがいつかは分からないのだけど、もしばれてしまったら今と同じようにはならなくなる。最悪、あずささんが傷ついてしまう言葉を言われてしまうかもしれない。悪気はなくても、鋭利な刃物のように。それだけは絶対に避けなくてはならない。

 桐華とうか姉はざっくばらんとした性格だと思う。思ったことをそのまま口にする。昔は僕もそうだったかもしれない。でも、今は少し考えてから口にするように努力している。

 言葉には力がある。使い方をきちんと選ばないといけない。


遼介りょうすけは、手がかからない子供なんだな」
 ある時あずささんがポツリと言った。それから優しく何度も僕の頭を撫でた。わがままを言わない、人の手を煩わせない、困らせない、そういう子供なんだと。

「もっと、遼介の気持ちを教えてほしい」
「言ってるよ?」
「もっとだ」

 うーんと唸った。出会った頃の僕は、忘れ物だらけの優等生とは程遠い子供だった。食べたい物は自分で決めたし、作ったし、勉強嫌だな、体育めんどくさいなとか、思ったことはストレートに言ってたよ? というと、ゆるゆると首を振って「そういうことではない」と言われた。

 あずささんの方がよっぽど気持ちを抑えていると思う、と言えば、キョトンとして、そうかもな、と頷いた。

 フードコートで各々が注文をする時。……あずささんは初め、僕と同じものを注文していた。自動販売機で飲み物を買う時。それも僕や椿つばきと同じものを。行きたいところ、見てみたい場所。それも僕や椿が喜びそうなところを口にした。でもそれは、その気持ちは僕も少し分かる。大切な人の喜ぶ顔が見たいから言うのだ。喜ぶ顔が見たいという気持ちは、紛れもなく自身の希望だ。

 わがまま、ということは椿が教えてくれた。

 朝の出発時間が差し迫っているにも関わらず、服にこだわり、髪型にこだわり、叶わないと知ると泣き叫ぶ。どうしても自分の感情を押し通そうとする。周囲は困る。

 僕は退学と就職の時にわがままを言った。姉は困ったのだ。困ったから言い合いになってしまったのだと思う。

 やり方は最良ではなかったかもしれない。でも、言い合いはして良かったと思う。

「僕の気持ち」
 あずささんに頭を撫でられながら呟く。顔を上げると目が合った。ずりずりと身体をずらしてあずささんを腕に抱いた。同じシャンプー、同じ石鹸を使っているはずなのに、あずささんの香りをかぐとくらくらと目眩がする。

「僕は、あずささんが好きです」
 あずささんの顔が真っ赤になる。めちゃくちゃ可愛いなと思う。
「僕はわがままだよ」
「……」
 無言が続きを待っていると分かったので、続けた。
「今だけじゃなくて、この先も、ずうっとこれからも、一緒にいたいと思っているから」

 あずささんと共に生きていきたいと願うことは、人生を縛ることになると思う。
「あずささんも同じ気持ちなうちはいいんだろうけどね」

 反対される理由は、学歴か、経験値の低さか、人間関係の希薄さか、行動範囲の狭さか、考え出すとどーんと落ち込みそうなので嫌になる。なにせ僕は部活動すらやったことがない。先輩後輩の上下関係も、個人戦で自身の限界に挑戦したことも、練習の成果を公衆で披露する緊張感も、やったことがない。友達も少ない。今も続いている交友関係はつよしくらいで、昔のクラスメイトとは当たり障りのない会話程度しかしなかったので、縁もほぼ切れている。行動範囲はさっき姉に指摘された通り。
 彼女。恋人——あずささんがいるなんて、誰が想像するだろう。

 姉のモノサシでは伴侶として選んだひろまささんが理想なのだから、仕方がない。
 ひろまささんは公認会計士として手堅く勤め上げている。すごい方だ。逆立ちしたってできないかっこいい大人の男性だと思う。
 比較なんて、想像なんてしても意味のないことだと分かってはいるけれど、いつかあずささんが誰か別の人を好きになるのは、悲しいし悔しいけど、考えただけで涙が出るくらいだけど、仕方ないのかなって思ってしまう僕がいる。

「む」
 あずささんがしかめっ面で僕の顔を覗き込む。出会った頃からは想像できないくらい、今の彼女は表情豊かだ。そして、
「自分を責めてなどいないだろうな」
 的確に僕の考えを指摘する。
「悩むなら、今と、先を見てするものだと」
「昔のことは考えてないってば」
「そうなのか?」
「うん、過去は変えられないからね」
「うん」
「あずささん? 顔が、ちょっと怖い……」
「先を見すぎても、仕方ないからな」
 くすくすと笑いながら、分かってるよ、と答える。僕の悩みなんて大したことじゃあないのだ。

 過去は変えられない。この言葉は、僕とあずささんの中では格言として大切にしている。変えられないことをいつまでも引きずって、つらいことも忘れたいこともわざわざ思い出して、そうして考えても何も生まれない。

 嫌というほど僕たちは過去に囚われてきた。割り切ることは今もまだちょっと難しい。

「大好きです」
 僕は痛くないようにそうっとあずささんを抱きしめキスをする。家族がいるこの家で、この先の情事へは進めない。中学二年生の時から同じ部屋、隣あったベッドで一緒に過ごしているだけでも(深い中になったのは最近だけれど)、恵まれた環境なんだと自分をなだめすかし、何度もキスをする。

 忘れてほしくない気持ちが伝わるといいなと願いながら。



(つづく)

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【あとがきではないあとがき】
姉視点、弟視点で綴られた回です。少しずつしたたかさが出てきた遼介を表現できていたら幸いです。
今回も第0話とパワーバランスが逆…というか、お互いが自分に自信を持てていないのでこのような状況になっております。未来が不透明、漠然とした不安からくる悩みは高校生ならではなのかな、と思って書きました。大人からしたら大したことないかもしれませんが…。

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